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ヴァネッサが目を覚ますと、ギルベルトはもう部屋にはいなかった。
(大変っ! わたしが時間になったら起こさないとって思ったのにっ)
ヴァネッサが慌てていると、見兼ねたセリーナがギルベルトは時間で目覚めて用事を済ませに向かったと教えてくれた。
それを聞いたヴァネッサは心の底から安堵していた。
(よかった……ギルベルト様の体調は大丈夫かしら)
ヴァネッサがギルベルトのことを心配していると、レイとセリーナが前に立つ。
「ヴァネッサ様、アンリエッタお嬢様と旦那様のこと……ありがとうございます」
「……レイもセリーナもいきなりどうしたの?」
「ヴァネッサ様に聞いて欲しいことがあるのです」
真剣な表情をしている彼女たちにヴァネッサは向き直る。
ヴァネッサはここで初めて彼女たちからギルベルトの前妻について話を聞くこととなる。
共通点はリリアンもクロエも家族に虐げられてつらい思いをしていたこと。
リリアンはアンリエッタを産んで亡くなり、クロエは報復を恐れた令嬢たちに毒殺されてしまったことを聞いた。
ギルベルトはそのことを後悔している。
だからヴァネッサのことも相当悩んで受け入れたのではないかということも……。
レイとセリーナも医師であるギルベルトに救われてここに侍女として働かせてもらっているそうだ。
屋敷で働いている人たちはギルベルトに救われたことで恩を感じているそうだ。
話を聞きながら、ヴァネッサはボロボロと涙を流していた。
(ギルベルト様はなんて優しい方なのかしら……)
セリーナがハンカチでヴァネッサの涙を拭ってくれた。
「だからこそ私たちはヴァネッサ様の言葉が嬉しかったのです」
「アンリエッタお嬢様もあんなに笑顔になるなんて……それもヴァネッサ様のおかげですわ」
「ギルベルト様のこともそうです。誰の制止も聞き入れなかったのに……ヴァネッサ様のおかげです」
「二人の仲も取り持ってくださり、私たちは嬉しいですわ」
レイとセリーナの目にも涙が浮かんでいる。
ヴァネッサに感謝してくれているのだろう。
だが、ヴァネッサだってギルベルトとアンリエッタに感謝している。
それから噂がすべてデタラメで、おもしろおかしく広まっていただけだと知ることができた。
ギルベルトの性格では、あえて噂を否定することもしなかったのだろう。
それにヴァネッサに対するギルベルトの態度も前妻たちにあったことを聞けばわかるような気がした。
アンリエッタを産んで亡くなってしまったリリアン、毒殺されてしまったクロエ。
真面目で誠実なギルベルトはきっと彼女たちを救えなかったことを悔いている。
『だが、今は君の気持ちに応えるわけにはいかない』
『俺のことを好きにならないくていい』
口下手なギルベルトのことだ。
諦めるにはまだ早い。
出会ってから一ヵ月ほどしか経っていないのだ。
今は自分ができることをしようと気持ちを切り替える。
(そんな不名誉な噂なんて吹き飛ばしてみせるわ! ギルベルト様やアンリエッタのためにも……!)
理由を知ったらますますやる気が出てくるではないか。
ヴァネッサはレイとセリーナに講師たちを呼んでほしいと頼む。
王家主催のパーティーまでにやることはたくさんあるからだ。
ギルベルトもヴァネッサの自由にしていいと言った通り、協力的だった。
ヴァネッサに『無理をしない』ことを条件に許可を得た。
体調が許す限り、朝から晩まで勉強をする。
ティンナール伯爵家で得た知識もないよりはマシだった。
唯一の休みといえばアンリエッタとの午後のお茶の時間だ。
そこでクッキーを食べて、お茶をするのが唯一の癒しだった。
互いにダメージを受けた分、励まし合って回復していた。