③⑤
「俺のことを好きにならなくていい」
ギルベルトは淡々とそう言った。
彼は何を思って、この言葉をヴァネッサに言ったのだろうか。
こんなにもギルベルトの考えが知りたいと思ったことはない。
ヴァネッサは返す言葉が見つからなかった。
ただ喉奥から「ぁ……」と、詰まったような声が出た。
「君の夫として君の好きなことはさせたいと思っている。今までの分まで、ヴァネッサがやりたいことをやるといい」
「…………」
「責任は取るつもりだ」
ギルベルトの言葉は優しいのにどこかほろ苦い。
不思議と涙は出てこなかった。
ヴァネッサの気持ちはあっけなく拒絶されてしまったが、それで彼への感謝の気持ちや恩が消えるわけじゃない。
(わたしはわたしのやりたいことをやるわ……!)
下唇をキュッと結んだヴァネッサはギルベルトの『やりたいことをやるといい』という言葉。
ヴァネッサはギルベルトに向かってダイブするように彼のことを抱きしめた。
ギルベルトが逃げられないように腕でガッチリと固定する。
「お、おい……!」
「ギルベルト様、今から一緒に眠りましょうっ」
「ヴァネッサ、やりたいことはやるといいと言ったが……こういうことじゃないぞ!?」
ギルベルトはヴァネッサを諌めるようにそう言った。
けれど今のヴァネッサにはこんな方法しか思いつかなかったのだ。
「このままだとギルベルト様まで倒れてしまいますから、少し休んでください!」
「ヴァネッサ、離してくれ……まだ予定がっ」
「ギルベルト様が少し休むまでわたしは離しませんから!」
ヴァネッサが見てもギルベルトがいい状態だとは思えなかった。
だからこそ無理やりにでも止めようと思ったがよくなかっただろうか。
ギルベルトも抵抗しているが、今にも倒れてしまいそうなギルベルトを放ってはおけない。
「ヴァネッサ、いい加減に……っ」
「このままでは倒れてしまいます。無理をしないでください」
「君だけには言われたくない」
「ぐっ……!」
ギルベルトの的確な指摘がヴァネッサの心に刺さる。
このままでは間違いなくギルベルトは休みもとらず、働き続けてしまうだろう。
ヴァネッサは最終手段だと、あることを口にする。
「──ギルベルト様に何かあればアンリエッタが悲しみますっ!」
「……!?」
「も、もちろんわたしも悲しいです! わたしたちにはギルベルト様しかいないんですからっ」
自分でも何を言っているのかはわからなかったが、ギルベルトに少しだけでも休んでほしくて必死だった。
ふと、ギルベルトの抵抗が弱まったような気がして、ヴァネッサはゆっくりと顔を上げる。
「……わかった。三十分だけ休む」
「本当ですか!?」
「レイ、三十分後に起こしてくれ。それからジェフに伝言を頼んで欲しい」
「かしこまりました」
レイは驚きつつも頭を下げて、部屋の外へ。
ヴァネッサはギルベルトに予定を変えさせてしまい、複雑な心境ではあったが、これで彼が少し休めるだろうとホッと息を吐き出した。
ギルベルトは頷くと椅子を取り、背もたれに寄りかかって腕を組むとすぐに瞼を閉じる。
「こ、ここで眠るのですか!?」
「ああ、移動する時間が惜しい。それに休めと言ったのは君だぞ?」
少し苛立ったような声に、薄目でこちらを見るギルベルト。
ヴァネッサは静かにするために口を閉じる。
暫くの沈黙の後、ギルベルトは本当にすぐに寝てしまった。
スースーと静かな呼吸音。ギルベルトが休んでくれたことが嬉しく思えた。
心地のいい沈黙にヴァネッサもベッドに横になる。
(よかったわ。ギルベルト様が休んでくれて……)
アンリエッタとたくさん話したり、興奮したりしたせいかすぐに眠気が襲ってくる。
ヴァネッサもそのまま眠りに落ちた。