③⓪
「全貴族……そこにはティンナール伯爵家も」
そこでヴァネッサの言葉が止まってしまう。
もし三人と顔を合わせて何か言われたのなら……。
そう考えただけで、ヴァネッサの体は震えてしまうのだ。
あのヴァネッサを見る三人の顔を思い出すだけで心臓が破裂しそうなほどに痛む。
(まだ怖い……怖くて怖くてたまらない)
次第に視界が滲んでいく。
『あんたみたいな役立たず伯爵家には必要ないわ』
『ウフフ、いくら頑張ったって意味ないのよ!』
『あなたは売られたの』
『でも本当、最初から最後まで誰にも愛されずに惨めよねぇ』
まるでエディットがヴァネッサの耳元で囁いているようだった。
周りの声がまったく聞こえなくなっていった。
「──ヴァネッサ、ヴァネッサッ!」
「……っ!?」
アンリエッタがヴァネッサを呼ぶ声が聞こえた。
意識が戻ってきた途端に視界がパッと明るくなる。
涙がこぼれ落ちそうになるのを必死にこらえていたヴァネッサだったが、彼女の宝石のようなピンク色の瞳がまっすぐ見つめているではないか。
「アンリ、エッタ……?」
ヴァネッサのアンリエッタの名前を呼ぶ声が震えて驚いてしまう。
(思い出しただけでこんなになってしまう。こんなことじゃ、アンリエッタやギルベルト様に迷惑をかけてしまうわ)
ティンナール伯爵家はヴァネッサのトラウマそのものだ。
十七年間、植えつけられた恐怖や絶望は簡単にヴァネッサの中から消えることはない。
体温がどんどんと下がっていくような気がした。
指先が冷えてうまく動かせない。
(うまく気持ちを切り替えないと……でもっ)
今はアンリエッタが目の前にいる。
折角、前向きないい雰囲気になっていたのにヴァネッサのせいで台無しになってしまった。
「……アンリエッタ、ごめんなさい」
「ヴァネッサ……」
「気持ちをっ、強く持たないと……ダメよね」
ヴァネッサはアンリエッタを心配させないように無理やり笑顔を作った。
口角が引き攣ってピクリと動く。震える腕を隠すように後ろに回した。
だけど信じられないほどに胸が痛くて泣き叫び出してしまいそうだ。
アンリエッタはヴァネッサの表情を見て首を横に振る。
「ヴァネッサはずっとひどいめにあってきたんだもの。怖くて当然だわ」
「……え?」
「許せないの……! こんなことをしてきた人たちには絶対に天罰がくだるはずだわ」
「アンリエッタ……」
アンリエッタの力強く優しい言葉がヴァネッサの凍っていく心を溶かしていく。
彼女はヴァネッサの震える手を取り、包み込むように握ってくれた。
すると自然と震えが止まっていく。
「ヴァネッサ、聞いて。もしヴァネッサの元家族がヴァネッサをいじめてくるなら……」
アンリエッタの〝元家族〟という言葉にヴァネッサは改めて衝撃を受ける。
ティンナール伯爵家は元家族なのだ。
(今はアンリエッタとギルベルト様がわたしの今の家族なんだわ……!)
そう思うと自然と心が軽くなったような気がした。
もうティンナール伯爵家に縛られる必要はないのだ。
「絶対に大丈夫よ。わたくしとお父様がヴァネッサを守ってあげるから!」
「…………っ!」
ヴァネッサはアンリエッタの言葉に感動してしまい、徐々に瞳が潤んでいく。
アンリエッタの純粋で力強い言葉が傷ついたヴァネッサの心に沁みていくような気がした。
先ほどまでの恐怖はすっかりと消えて、暗い気分が一気に上がっていた。
「ありがとう、アンリエッタ!」
「ヴァネッサにはわたくしたちがいるわ!」
ヴァネッサはアンリエッタを思いきり抱きしめた。
嬉しさと心強さから涙が頬を伝っていく。