①⑧ ギルベルトside1
ヴァネッサがシュリーズ公爵邸にやってきて、あっという間に二週間が経とうとしていた。
最初に会った彼女とは信じられないくらいに明るくなり、よく喋るようになる。
激しい雨の中、こちらの顔を見た途端、喉に傘をつきたてようとしたのには驚いてしまった。
ギルベルトがなんとか寸前のところで止めようとしたが、手のひらが傷ついてしまう。
それから一週間ほどは暴れるのではと予想したが、ヴァネッサはギルベルトの予想とは違って、すぐに落ち着きを取り戻した。
ここが安全なのだと理解してくれたことで、早い段階でヴァネッサと話すことができたからだ。
あのままだったら間違いなくヴァネッサは自害を繰り返していたに違いない。
精神状態が一気によくなったのにもなんらかの理由はありそうだが、今は彼女が笑って過ごせることに安堵していた。
(ティンナール伯爵め……何故執拗にヴァネッサを虐げていたかは知らないが、こんなこと許されることではないぞ)
ギルベルトの事前の調査では限界があった。
とにかくヴァネッサの情報がなく、ティンナール伯爵領の領民たちもヴァネッサに会ったことはないと言っていた。
彼女は重たい病で屋敷から出られないという。
ティンナール伯爵は重たい病を抱えている娘を献身的に面倒を見ているという美談が広まっている。
そのわりにはどの医師もヴァネッサを診察したことがないという。
よほどひどい病を抱えていると思っていた。
それと同時に聞いたのはティンナール伯爵への不満だ。
『税が上がり続けている』『彼は娼館に頻繁に出入りしていて大金を使っている』というものだった。
それを聞いた時、この方法しかないと思った。
ギルベルトがヴァネッサと結婚したいと提案すると、ティンナール伯爵は激しく抵抗した。
しかし金をチラつかせれば、勝手にギルベルトの考えを解釈したのだろう。
『好きに使ってください。どうなっても構いませんから』
ティンナール伯爵がどんな意味で言っていたのか考えなくてもわかるが、黙って従うしかなかった。
本来は持参金を持たせて嫁がせなければならないが、それもしたくないと言った。
恐らくしたくてもできないのだろう。
自分が優位に立っているとわかったせいか、ティンナール伯爵はガラリと態度を変えた。
もうヴァネッサの状態を隠す必要がないとわかった途端、厄介払いとばかりにギルベルトに語っていた。
(よくこの状態で嫁がせられたな。金以外、どうでもいいということか……)
けれどギルベルトの見立てでは極度の栄養失調。
肌の赤みや痒み、激しい咳も診察の結果、重い病気などではなかった。
ギルベルトの予想ではあるが、彼女をとりまく環境がかなり劣悪だったのではないだろうか。
それもかなり長期に渡り続いたものだ。
肌の赤みや咳など、こうして環境を変えて適切な治療を受けさせればこんなにもよくなる。
塗り薬で肌の痒みは減り、咳も眠れないような激しいものでもなくなった。
ヴァネッサはここに来たばかりの時にはスープを半分すら飲めない状態だった。
本人はそれで当たり前のような顔をしていたが、どう考えたって異常だ。
その証拠に料理や食材の名前を知らないどころか、何が食べたいかと聞いてもヴァネッサは『パンか野菜』としか答えないのだ。
ヴァネッサの世話を任せていたレイやセリーナも彼女の悲惨な現状を憂いながらよく涙を流していた。
頭に浮かぶのは同じ人として扱われていなかったのではないかという事実。
ギルベルトはティンナール伯爵たちに激しい怒りを感じていた。
ヴァネッサがどんな目に遭ってきたのか簡単に想像できる。
(詳しい調査を行いたいが……いや、まだやめておこう)