02_自分は何者だ?
私は今、窮地に陥っている。
ざっと村内の確認を終えたのだから、次いで村の外、少なくとも塀周りの確認をしようと不用意に外に出たことが間違いだった。
私は目の前にいる野生動物と対峙し、睨み合っている。
見たところオオカミのような四つ足の生物だ。ニューファンドランドだったか、いわゆる超大型の犬と同じようなサイズだ。そう、大人でも騎乗できそうなほどに大きい。
もっとも馬じゃないんだから、本当に騎乗などしたら骨格の関係上、かなりよろしくないことであるようだが。
いや、そんなことはどうでもいい。そんなサイズの、モヒカンみたいな鬣のあるオオカミみたいな生物が、あきらかに威嚇の姿勢で私と向かい合っている。灰色の毛皮に真っ赤の鬣という、えらいコントラストのオオカミだ。
……それが3匹。
村の出入り口からは200メートルくらいの場所。この状況から一目散に逃亡したところで、10メートルと進む前に喰いつかれて捉まるだろう。
しかし、モヒカンなオオカミか。なんとも珍妙だな。なんで馬みたいな鬣を持つに至ったんだ? まぁ、それを云ったら馬もなんだが、馬はあんな風におっ立ってないぞ。スピノサウルスの背びれじゃあるまいし。
あれは一種のディスプレイ、威嚇用なのだろうか?
そんなくだらないことを考えていたら、中央の一匹が急に飛び掛かって来た。
それに対し、対峙していたにもかかわらず不意を衝かれたような有様となった間抜けな私は、突っ込んできたその大きな頭を胴体全体で受け止めることとなってしまった。
当然、幼女な有様な私など跳ね飛ばされて、あっさりと宙を舞った。まるで車にでも跳ね飛ばされたかのように。
そういえば、何を思ったのか自転車でタクシーに突撃した小学生が、今の私みたいに7メートルくらい空を飛んでいたのを思い出しだ。
あの時のタクシーは停車状態から走り始めたばかりで、速度は10キロも出ていなかっただろうに。
人って、跳ねられると空を飛ぶんだと私はあれで覚えたのだ。
お、なんだかパーソナルな思い出がでてきたような気が――。
ガツン!
思い切り頭から塀にぶつかった。それなりに蔓草が張っているとはいえ、クッションになどなりはしない。
痛い。
むっちゃ痛いんだが!?
3匹は襲ってこない。やたらと慎重だ。野生動物とはこんなものか? もっと獰猛だと思ってたんだが。
あぁ、うん。どうでもいい。
このままだと死ぬ。殺される。喰われる。
……。
……。
……。
「ふっざけんなーっ! 抵抗もせずに喰い殺されるなんて誰がしてやるか、クソがぁっ!!」
私はぶちキレた。
私は何者だ? ……いや、本当に。
私は目の前の惨状に、半ば途方に暮れていた。
あらぬ方向に首を曲げて死んでいるモヒカンオオカミ×3。
首をへし折られ、だらんと舌を出した口からは血が溢れている。
うん。どう見ても死んでいる。
そしてこれをやらかしたのは私だ。
こんな状況から、さぞかし死闘を繰り広げ、互いに傷を負ったのだろうと普通は思われるだろうが、私は無傷だ。
それどころか衣服にはほつれひとつないという状況だ。
せいぜいひどく汚れた程度だ。なにしろ地面を転げまわったからな。
なにをやったかというと、モヒカンオオカミの首を小脇に抱え込んでダッシュジャンプをしただけだ。
いわゆるプロレス技のブルドッキングヘッドロックというやつだ。確か、プロレスでは跳んでいる途中で解いて、相手の頭部をマットに叩きつけていたような気がする。が、私はそのまま抱え込んだまま身を逸らして尻餅を突くように着地した。
首を固定されたまま背の側に90度以上も無理矢理反らされたら、首の骨も折れるというものだ。
だから、このモヒカン共が死んでいるのは当然のことなのだ。
なのだが。
私、幼女だぞ。体重なんてたかが知れているし、筋力もそのようなものだろう。
なのになんで殺せているんだ? 普通なら振りほどかれているだろう?
いや、それよりもなによりもだ。
体当たりされたり噛みつかれたりしたのに、無傷というのはどういうことだ?
ちょっと汚れただけとかおかしいだろ!!
私は無様に死んでいるモヒカンオオカミ共を見下ろした。
……悩むのは後だな。こんなのでも貴重なタンパク減だ。美味い不味いはどうでもいい。食べなくては餓死してしまう。
私は三頭の足を無理矢理まとめてもつと、肩越しに担いで歩き始めた。
普通にそうして歩いたのでは引き摺ってしまい、進むのに若干の支障が出るため、必要以上に前屈みの姿勢で完全に三頭を背に載せるようにして村内へと戻った。
……いや、この三頭を一辺に運べるのもおかしいだろ。多分、総重量で200キロくらいはあるはずだぞ。幼女に運べる重量じゃない!
少しばかり歯毀れした肉切り包丁でモヒカン共の首を落とし、骨組みは残っているが壁の倒壊した家の梁に吊るす。もちろん、その真下にはバケツを置いておく。
何をしているのかというと、血抜きだ。運ぶのにすこし時間がかかってしまったが、多分、許容範囲内の時間と思いたい。仕留めた獲物の血抜きは手早くしなくてはならない。でなくては肉が酷い臭いになってしまうからだ。
……間に合っているといいなぁ。米国の鹿狩りが盛んなところだと、住民が猟銃で仕留めた鹿を車に積んで自宅にまで持ち帰り、そこで捌くことなど普通であるらしい。とはいえ、これは1900年代初頭の頃の話だが。
某、ネクロフィルな猟奇犯の伝記で知った知識だ。
だからなんでこんな知識があるんだよ。
……いや、もうこの不明な知識に関しては諦めよう。出所を考えたところで無駄だ。分かったからどうだという話だしな。少々気味は悪いが。
血抜きが完了したところで、今度は内蔵を取り出す。腹を割いてやれば、内蔵など簡単に落ちる。さして難しいことではない。
あとは適当に解体して皮を剥いで終わりだ。
皮なめしの下処理も問題ない。鍛冶屋に薬剤は十分に残っていた。あれらが無くなって困るようになるほどここに留まる気はないから、いま使い切ってしまっても問題ないだろう。
肉食獣の肉は不味い、という話があるが、実のところは迷信といってもいいようなものだ。要は、その獣の肉がどうなのか、というだけだ。どちらかというと味というよりは臭みについての話になるだろう。
実際、草食獣である羊も、大人の羊の肉は臭いの関係から食肉としては良いものとはされてはいないと聞く。故に、臭みがでていない子羊が好まれると。
そういえば、北海道発祥のジンギスカン料理は、臭みの強い羊肉を美味しく食べることが出来るようにするために生まれた調理と聞くしな。
陽が傾き、空が暗くなり始めるころになって、やっと3匹の解体が終わった。とんでもない重労働だ。
解体に慣れた猟師であるなら、この半分どころか、精々2~3時間で完了するんだろう。
あとはシーツで簡易テントを張って、そこで燻煙すれば保存食のできあがりだ。陽が完全に落ちる前に終わらせないと。
燻煙期間は……3日くらい燻せば十分だろう。きっと。
これで1日が完全に潰れた。予定が大幅に狂った。肉を手に入れられたのはありがたいが、どうにも痛し痒しな気分だ。
外の確認は諦めよう。明日は村内をくまなく確認しよう。
村民の遺骸を放置しておくわけにもいかないしな。