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魔術の心得

 エンテの魔術の実力を知るため、庭園から離れるように2人は別の場所へと移動していた。移動した理由は彼女の実力がどれほどのモノなのか分からないので安全を図って移動することにしたのだ。

 なによりも、荒れ果てているといってもここには彼の楽しかった思い出が確かに存在している。だから彼自身、この庭園がこれ以上荒れてしまうことが嫌だったのかもしれない。それほどまでにこの場所は彼にとってとても大切な場所なのだろう。

 移動している間もクロノは幾度となくエンテに話し掛けるのを心掛けた。だが、依然としてエンテは話し掛けに応じようとすることはなかった。先程のやり取りでも彼女自身が言っていたように、彼女にとって必要なこと以外は話すつもりがないのだろう。第三者から見ると1人だけ無心に話し掛けているクロノは滑稽に映るだろうが、彼はそんなことなど気にも留めずいろいろと話し掛けた。



 そうして庭園からしばらく歩いていると、不意にクロノが立ち止まった。クロノが急に止まったことでエンテはそのまま彼の背中に顔をぶつけてしまうことになる。そのことにクロノは謝るが、エンテは特に気にすることなくいつも通り無表情で何も言わずにそっぽを向くのだった。そんなエンテにクロノは肩を竦めつつも辺りを見回すと安心したように頷く。

 クロノが向かった場所というのは、ちょうどエンテが眠っていた(場所)から少し離れた所になる。辺りには木々もなく、危険な物もないので滅多なことがない限りは安全そのものな場所と言えるようなところだ。万が一、何かあったとしてもこんなにも開けた場所なら被害の心配をする必要もないだろう。

 早速エンテの魔術を確かめようと思ったクロノは彼女から充分に距離を取る。それは、どういった魔術を使うのか分からないということもあり、もしもの時の為に距離を取った方がいいと思ったからだ。それに、今のクロノは大した魔術を使うことが出来ないので安全を期するのは当然の結果なのかもしれない。

 自分の準備は整ったと合図したクロノは、エンテに魔術を使ってもらうように声を掛ける。

「さて、それじゃあエンテ。きみの得意としている魔術を見せてくれないかな?」

 クロノの問い掛けに対し、エンテは何かをする様子も見せずに無表情のままその場に佇んでいる。



 そうして、彼女が何もしないままあっという間に5分経過してしまうのだった。

 初めは大掛かりな魔術をするから時間が掛かっているものだと思ったクロノは楽しみながら待っていた。だが、いつまで経っても魔術を使う素振りを見せないエンテに疑問を抱いてしまう。そして、エンテの体調が悪いのかと彼女に聞いてみることにした。

「えっと、エンテ? もしかして、今日は調子が悪かったりするのかな?」

 クロノのその問い掛けに対し、エンテは驚くべきことを口にする。

「貴方の言っているように、調子が悪いのかどうか分かりません。そもそも、貴方が魔術を使えるようにしてくれるのではないのですか?」

「…………え?」

 エンテの予想外な言葉にクロノは自分の耳がおかしくなったのかと疑ってしまいそうになる。

 なぜなら、彼女が言ったこととは即ち()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言っているようなものだったからだ。それほど彼女が放った言葉というものはありえないものだったのだ。

 だからクロノは考えてみる。何故彼女がそんなことを言ったのかを、考えてみる。しかし、いくら考えてみても答えなんて出るはずもなかった。埒が明かないと思ったクロノは気を取り直し、再びエンテに問い掛けてみることにした。

「えぇっと、エンテ? もしかして、僕が魔術を教えなければ使えないっていうことでいいのかな?」

「そうですが、……何か問題でもあるのですか?」

「問題というか……、僕が教えなくても魔術が使えるんじゃないのかな?」

「……そうなのですか? よく分かりませんが、それだったら私は魔術を使うことが出来ません」

 そんな漠然としたエンテの言葉で質問を質問で返すやり取りが終わってしまう。クロノはというと、エンテの言葉が信じられないといったように彼女をただ眺めるしかなかった。

(どういうことだ? 戦後に創られたといっても基礎くらいは教えてもらっているはずだ。いくら記憶喪失だとしてもそれはありえないはずだが……)


 そう、クロノが言っているようにエンテは軽い記憶喪失を患っていたりする。人形であるのにもかかわらず、人間のようなことが彼女の身に起きているのだ。アインも言っていたように、人間に限りなく近い存在なのでそういうことが起きても不思議ではないだろう。

 問題は――彼女が魔術を使うこと、それもそもそも魔術を使うことすら出来ないと言ってのけたことだ。


 一般的に記憶といっても様々なものが存在する。それこそ、保持時間に関わることから内容に関わることまで様々だ。記憶喪失というものはその中でも、内容に関わるもの(エピソード記憶、意味記憶など)が密接に関係している。特に、エピソード記憶に支障が出来てしまうことで記憶の欠落といったようになってしまうのだ。

 エピソード記憶というものは、その人が経験した出来事に関する記憶になる。例えば、その日の出来事や誰と、何をしたのか、といったようなその人が持っている記憶だ。対する意味記憶というものは、一般的な知識や情報といった記憶に該当する。これは普段から目にする物や有名な事柄を見知っているといった記憶になる。端的に言うなら、エピソード記憶はその人にとっての思い出で意味記憶はその人にとっての一般的な知識になる。

 彼女も人間と一緒なんだと踏まえて考えると、エピソード記憶に障害が起きてしまい記憶を呼び起こせない状態になっていると考えられる。

 初めて彼女と話した時のことを思い返してみると――彼女の身に起こった出来事やら見知った人物などを忘れている、ということが挙げられる。だが、どういうことか彼女は自分の生みの親である"ヒルデ・ノートリス"のことを朧げながらも覚えているらしい。名前やどういった人物なのかは忘れているが、彼女にされたことや言われたことといったことは覚えているというのだ。

 こういった限定的な記憶喪失といったものはありえないのだが、現にこうして存在しているのだから起こりうる現象なのかもしれない。


 話が逸れてしまったが――

 その2つの記憶以外にも手続き記憶というものがあり、今回の問題点に繋がる記憶に当たる。それというのも、この手続き記憶というものは生まれて今まで積み重ね行動した結果、その行動を自分のものとして覚えるといったものなのだ。これは立つことや歩くこと、文字を書くことなんかが当て嵌まる。そして、この手続き記憶というのは一度身に付いたものは忘れることがないという特徴を持っている。

 このことから、例えエピソード記憶に障害があったとしても、手続き記憶が正常なのであれば問題なく魔術を使うことが出来るはずということになるのだ。

 それだけではない。仮にもエンテ(彼女)は世界有数の魔術師である"ヒルデ・ノートリス"が創り出した自律型人形なのだ。自分の意思を持った人形を創った業績も然ることながら、彼女自身の魔術の腕前もかなりのものだと伝えられている。彼女の性格までは流石に分からないが、アインハルトの日記によると人形とはいえ自分の娘同然に扱っていたということが書かれていた。それを踏まえて考えてみると、ヒルデ(彼女)がエンテに()()()()()()()()()ということは考えられないはずなのだが……。

 しかし、当のエンテが魔術を使うことが出来ないと言っている以上、どちらかが欠けているとしか考える他ないだろう。或いは両方か……。


 その時、クロノは1つだけ見落としていたことを思い出す。

 それは、自分の魔術の体系を相手に悟られないようにするためだ。先程少し触れたように、魔術は使い方次第で絶大な威力を持ったりもするのだが、そういったものにももちろん弱点は存在している。その1つが、自分の魔術の体系が相手に知られてしまうことだ。その理由は、相手に知られることで隙を突かれたり対策を取られたりして不利になってしまうからだ。まあ、これはあらゆる事象に言えることでもあるが。なので、おいそれと自分の魔術を相手に見せることは最も愚かな行為とされている。

 こちらを警戒している彼女なら当然簡単に要求を飲むことなんてないだろう。そう考えたクロノはまずはこちらの手の内を明かしてから反応を窺うことにしてみた。



 静かに一息吐いたクロノはゆっくりと右手を顔の近くまで持っていくと自分の内側から魔力を捻り出すために硬直してしまった。その様子をエンテはただ黙って見ている。

 やがて、彼の手の中に納まるように風が纏わりつく。それを見ていたエンテは驚くと同時に何やら納得したように頷いた後信じられない行動に出た。

「なるほど……。そうやるのですね」

 なんと、今さっきクロノがやったことと同じことを繰り返し行おうとしたのだった。だが、同じことをしているはずなのにエンテの手には風が纏われることがなかった。それでもエンテは諦めることなく同じ行動をしたり、時には自分なりにそれらしい身振りなど試行錯誤をしている。

 そのエンテの行動と言動を聞いたクロノは自分の考えが間違っているということに気付く。それと同じく、自分の真似をしているエンテを見ていて恥ずかしくなってしまう。

「んん゛! えーっと、エンテ? 少し止まってもらってもいいかな?」

 このままという訳にもいかないと思ったクロノは、とりあえず一旦エンテには止まってもらってから魔術の基本を教えようと思うのだった。

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