空虚な人形
古い町屋敷の中にある荒れ果てた庭園に独り、静かに佇んでいる少女がいた。
少女の容姿は幼く、大体10~12歳くらいといったところだろうか。髪は長く腰の辺りまであり、銀色とも紅色とも見える独特な色の髪をしている。容貌も年齢には不釣合いなほど美しく、磁器のような綺麗な肌の色だ。そして、双眸の異なる紫色の瞳がその美しさを引き立ているかのようだ。服装は黒と白を基調としたもので、幾重にも重なったフリルや首元と腰についているリボンが特徴でまるでお姫様や人形を思わせる衣装だ。
実際に彼女は人間ではなく、人形なのだというから不思議なものである。
少女は庭で何をしているのかというと、何をするでもなくただただぼーっと佇んでいるだけだった。それというのも、彼女自信、何をしたらいいのか分からないからなのだ。いや彼女の場合、何をしたらいいのか分からないのではなく、どう行動したらいいのかが分からない、と言ったほうが正しいのかもしれない。
やがて何もすることがないからか、少女はふと瞼を閉じてしまう。長閑な午後の陽射し、絶好のお昼寝日和といってもいいだろう。
すると、そこへ少女に近付いてくる人物が現れる。その人物の足音によって静寂が掻き消されるように少女の瞳もゆっくり開いた。
歳は20前後くらいだろうか、どこか幼さを残したような顔つきが印象的な若者だ。ここまでなら普通の青年だと思えるのだが、問題は服装が奇抜で怪しい印象を受けるところだろうか。白を基調とした服装なのはいいが、貴族とは思えないように着崩した着方をしている。それだけならまだ何とでも言える。問題なのは、その上から蓬色のローブを着込んでいるので余計に怪しさが際立っているからだ。
青年の姿を見た少女は表情こそ変えなかったが、目の前の人物に関わりたくないとばかりに顔を逸らす。そんな少女の反応を見た青年は小さく息を吐くと、なるべく少女を緊張させないように笑顔で話しかける。
「やあ、エンテ。ここにいたんだね」
「…………」
エンテと呼ばれた少女はその問い掛けに対して何を答えるでもなく、顔を明後日の方向へ逸らしたままだった。
彼の声が聞こえていないのか、というとそういう訳ではないようだ。実はここ数日、このような調子で話しかけても黙りを決め込まれていて会話が成立しないことが続いている。悪い時だとすぐにその場を去ってしまうくらいなので今日はまだいい方なのかもしれない。
この場から去らないことを確認したクロノはここぞとばかりにエンテに話し掛けるのを続ける。
「今日は良い天気だね。こんなに暖かいと昼寝をするのにちょうどいいかもしれない」
手を上に伸ばしながらクロノは言う。
「…………」
それでもエンテの反応はない。だがそのことにも慣れたのか、クロノはめげることなくもう1度エンテに話し掛ける。
「少し、話をしたいことがあるんだけど……」
クロノが言い終るより先にエンテは踵を返しこの場から去ろうと歩き始めてしまう。いつもならここで切り上げて日を改めるのだが、今日の彼は一味違うのか少女を呼び止める。
「待ってくれ、エンテ! 話を――」
内心焦りながらもなんとか少女をこの場に留まらせようと頭を働かせる。そんなクロノの呼びかけに歩みを止めたエンテはそのまま彼の方を向かずにゆっくりと口を開ける。
「貴方と話すことなんて、何もないですよ」
とても少女とは思えないような落ち着いた声で一言だけそう呟く。その言葉にクロノは面食らってしまった。正確には彼女が言葉を発したことに対して驚いたのだ。
「きみにはないのかもしれないけど、ぼくはきみと話がしたいんだ!」
クロノの言葉にエンテは立ち止まる。しかし、依然として彼の方を見ずに感情の乗らない声で言葉を紡ぐ。
「あの時の約束はきちんと守るつもりです。一方的だったとはいえ、私が迷惑を掛けてしまったことに変わりありませんからね。なので、貴方の生活に支障が出てしまっている分は手伝うつもりでいます。ですが、それ以外の干渉はお互いにとってよくない、と私は判断しています」
淡々と、無感情にそう告げる。彼女の言う干渉とは、おそらく彼女にとって必要に感じない会話のことを指しているのだろう。確かに必要最低限のコミュニケーションでも何とかなることはあるだろう。
だが、咄嗟の出来事や自分が危険になってしまった時は? 誰かが助けてくれる?
残念ながらそんなことはない、と断定してもいいだろう。なぜなら、何も言ってくれなければ誰も、何もすることが出来ないのだから……。
それはかつて彼自身、そういった経験をしたことがあるからこう思えるのだ。昔、自分に余裕がなく、傍にいてくれた友人や他の人を拒絶し壁を作ってしまったことを思い出す。状況は違えど、彼女はあの時の自分に似ているのだということをクロノはこの1週間で感じ取っていたのだ。
「私の話はそれだけです。それでは、失礼します」
だからクロノは目の前の少女がどう思っているのか気になった。
それで彼女は虚しくないのだろうか? 誰にも頼らず、独りで、何もかも抱えてしまって――彼女は虚しいと思わないのだろうか、と……。
だから彼女に聞いてみることにした。自分と似たところがある目の前の少女に――
「きみはそれで淋しくないのか……?」
「……淋しい?」
「そう。きみは誰にも、何も言わなくて、淋しくないのか? 虚しいと思わないのか?」
クロノが言い終わると同時に2人の間に沈黙が訪れる。五分とも十分とも思える沈黙が流れる。だが、実際には一分にも満たないような沈黙だった。
その沈黙を破るかのように一陣の風が2人の間を割って入るように流れ吹くと、それを合図したかのようにエンテがゆっくりと口を開ける。
「……残念ながら――」
そこで一呼吸おいた彼女は少し振り返ると何も感じさせない目をクロノに向け、投げ捨てるように言い放つ。
「私にはそのような感情はありません。あったとしても、それを誰かに打ち明けるつもりもないです」
淡々と、きっぱりと吐き捨てるようにそう言い切る。それは明確な拒絶の意を示していた。
そんな彼女の言葉を聞いたクロノは頭を石で殴られたかのような衝撃に襲われる。それは彼女の言葉に衝撃を受けたのではない。かつて、自分も友人たちに対してこのように拒絶の言葉を口にしていたのか、ということを思い出したからだ。
こんなことを自分も言っていたのか、と思い出すとそれだけで呆れて物が言えなくなる。だが、今はそんなことを思っている場合ではない。今考えることは目の前の少女の心を開くことだ。
そのために何をすればいいのか。
このまま何もせず放っておく? いや、そんなことでは解決することはないだろう。それは自分が良く分かっている。
それならばどうすればいいのか……。あの時、友人たちはどうしてくれた? そうだ。自分の友人たちは献身的な言葉をいつも掛けてくれていた。
日常の他愛のないことや近況など、ありとあらゆることをめげずに話し掛けてくれていたことを思い出す。だが、当時の自分はそんな彼らの好意を踏み躙るかのように邪険にしてしまった。それでも、彼らは諦めるどころか次の日には忘れたかのようにまた気に掛け話しかけてくれたのだ。
普通ならば諦めたり見放したりするところを、彼らはしなかった。当時、何故彼らがそこまでのことをするのか理解できなかったが、今なら理解出来る。
自分の大切な人がいなくなったり離れてしまうのは誰だって嫌だろう。彼らはそれが嫌だったから必死に今の関係を繋ぎ留めるため、自分たちに出来る精一杯のことをやったのだ。その時のことを思い出すだけでも胸に熱いものが込み上がってくるのが分かる。
当時の自分のように強がって意地になっているであろう少女の心を簡単に揺り動かせるとは到底思わない。だけど、行動を起こさなければ何も変わらないままだ。
傍から見たらただの迷惑な押し付けやお節介なのかもしれない。それでも、自分自身、そして彼女のこれからのことを考えるのなら、例え疎まれたとしても今動かないといけない。以前、自分に同じようなことをしてくれた友人たちのように、後悔しないためにも――
これで話は終わりだ、といったようにエンテは今度こそ踵を返し屋敷に戻ろうとする。それに対してクロノはまだ話は終わっていないことを少女に伝える。
「エンテ。もうちょっといいかな?」
「……まだ何かあるのですか?」
先程のやり取りや連日話しかけられていることにいい加減うんざりしているといったように忌々し気にクロノへと吐き捨てる。 そんな少女の態度にもクロノは挫けることなく語り掛ける。
「何度もごめん。1度こういったことを話したかったというのはあるんだけど、それとは別にきみについて少し聞きたいことがあるんだ」
「…………」
クロノの問い掛けにエンテは何も答えない。
だが、この場から去ることをしないところを見ると一応話は聞く姿勢ではあるようだ。変わらずクロノの方を見ることはしないが……。
それでも話を聞いてくれるなら、とクロノは話を続ける。
「聞きたいこと、というよりは知りたいと言った方がいいかな? その知りたいこと、というのは他でもない。きみの魔術の実力についてなんだ――」




