魔術師と使用人
クロノベルトが手紙を受け取り屋敷の中に戻ると、屋敷の使用人らしき背の高い女性が鋭い眼光を彼に向けて立っていた。
年齢は定かではないが、見たところ20歳後半に見える。少し碧みがかった癖の強い髪は長いのか、仕事に差し支えないように後ろで纏めているようだ。端整な目鼻立ちではあるのだが、あまり感情を顕にしないのか、仏頂面で少し怖い印象に感じ取れる。また、特徴的な縁の丸い眼鏡を掛けており、左の目尻には泣き黒子があるのが特徴的な女性だ。
それまでのイメージ通り、動きやすさを重視した汚れても気にならないような地味な服装をしている。
先程から生活音などが聞こえてこないところをみると、どうやら屋敷にはこの女性とクロノベルトしかいないようだ。とはいえ、彼女1人でこの屋敷の全ての雑務をこなすことなど不可能に限りなく近いだろう。かと言って、屋敷の主人がそのようなことをしているというのも前代未聞ではあるのだが。
彼の目の前に立っていた女性はクロノベルトに歩み寄ると静かに口を開けた。
「……誰か来訪していたように思うのですが――」
今し方開いていたであろう扉を見ながらクロノベルトへと問い掛ける。
年齢に似合わずとても丁寧で物腰の柔らかい印象を受ける喋り方なのだが、どこか少し怒気を含ませた声音に聞こえる。しかし、そんな様子も気にしないといったかのように、クロノベルトはつい先程あった出来事を彼女に説明する。
「手紙を届けに来たみたいだったのでそれを受け取っていました。手紙なんてここ最近あまり来ないから珍しいですよね」
手に持っていた手紙を目の前の女性に見せると、屈託のない笑顔で彼女へそう告げる。そんなクロノベルトの反応を見た女性は手を蟀谷にやるや否、深く溜息を吐いた。
「……よろしいですか、クロノベルト様。いつも申し上げているように、そのような雑務などはこちらで済ませるといつも申し上げているではありませんか。なのに何故、いつもそのようなことを先になさるのですか?」
表情こそ変わらないものの、どことなく感じられる彼女の気迫にクロノベルトは少し気圧されてしまう。だがそんな様子も慣れているのか、クロノベルトは目の前の女性に言葉を返す。
「まあまあ。落ち着いてください、アルスさん。僕の都合で今まで雇っていた使用人には辞めてもらってこの屋敷に関わることはアルスさん1人でやってもらっているんです。それなのに僕だけ何もしないというのは少しおかしいと思いませんか? 昔からよく言うじゃないですか。働かざる者食うべからず、って」
アルスと呼ばれた女性は特に悪びれた様子のない主に対して、再び深い溜息を吐いた。そして、悪戯をした子供を咎めるかのようにクロノベルトへと詰め寄る。
「貴方様は仮にもこの屋敷の主なのです。そのようなお方が屋敷の雑務をするなど前代未聞だと言っているのです。いつになったら理解ってくださるのですか」
「いいじゃないですか。これくらいなら手の空いている人間がやる方がいろいろと効率がいいと思いますよ。それよりも、アルスさん。僕のことを呼ぶ時は呼び捨てでいい、と前から言ってるじゃないですか」
そんなアルスの言葉に怯むことなく、クロノベルトは日頃思っているであろうことを彼女に再度言い伝える。しかし、そんな彼の言葉を受け取る訳にはいかないアルスはクロノベルトに断りの言葉を返す。
「そういうわけにはいきません。いくら手が空いていようが、主である貴方にそのようなことをさせるなど、到底許されるものではありません。それと、その件も前から申し上げてるように、使用人である私がこの屋敷の主である貴方をそのようにお呼びするなど以ての外です」
「主と言っても名ばかりですし、そもそも没落したので主従関係もあってないようなものじゃないですか。それに、アルスさんには昔からお世話になっているんだから肩肘張らずに気軽にしてほしいな、と思っているんですよ」
「……クロノベルト様の言い分は分かりました。ですが、私がここでお世話をさせて頂いているのは主従関係というだけではなく、一個人としての意志で務めさせて頂いております。なので、貴方がそのようなことを気にしなくても良いのですよ」
「だったら尚の事、僕のことは気軽に呼んでほしいし手伝いたいですよ。アルスさんは僕が小さい頃から一緒にいるから使用人というよりはお姉さんみたいな存在だと思っているので」
そう言ったクロノベルトはアルスから視線を逸らすと照れ臭そうに頬を掻いた。
彼の言葉を聞いたアルスは目を閉じ俯くと、呟くように言葉を吐き出す。
「――やはり、血が繋がっているだけはありますね……」
いつもの仏頂面だが、そう言った彼女の顔はどこかとなく嬉しそうに見える。
「血が繋がっている? 何の話ですか?」
アルスの言った言葉が聞こえたのか、クロノベルトは何の話なのかと彼女へと聞き返す。しかし、アルスは何事もなかったかのように「気のせいです。忘れてください」と言うのだった。
そう言われたクロノベルトはただただ困惑するだけだったが、アルスが言っているように気にしないことにするのだった。そんな主を余所に、アルスは肩を竦めると呆れるように口を開く。
「それはそうと、そういった発言は極力控えた方がよろしいかと思います」
「そう、ですか? 思ったことを口にしてみただけなんですが……」
「だからこそ、なのですが……、まあ、言っても治りそうにないのでそのままでいいと思います。それに、そこが貴方の良い所でもありますので」
「? 少し納得できないですが、アルスさんがそう言うなら気にしないようにします。それより、呼び名や手伝いの件は――」
「そうですね……。その件は考慮させて頂きます」
手を口に近づけると一考するようにクロノベルトへと告げる。そんなアルスの表情は微かに微笑んでいるように見えた。
このように、一見真面目で融通が利かないような人物に見えるが、こういった受け答えが出来ることから実はそれなりに砕けた性格の持ち主なのかもしれない。それに、頭ごなしで彼の行動を否定しているというわけではなく、彼を想っての発言だということが分かる。残念ながら彼女の想いは当の本人に届いていないようだが……。
何にせよ、こういったやり取りをしているところをみると、彼女に相当な信頼を寄せているというのが見て取れる。
お小言をしたため、すっかり当の目的を忘れていたアルスはクロノベルトの持っている手紙について言及する。
「そういえば、一体誰からの手紙なのですか? もしかしたら急ぎの用事で寄越したのかもしれませんよ」
アルスの言葉でクロノベルトも思い出したかのように自分の手に持っている手紙に目を落とす。宛名を見る限り、自分に宛てられた手紙だというのは間違いないようだ。それなら、差出人は誰なのかと裏側を見るや否、クロノベルトは眉間に皺を寄せると苦虫を潰したかのような表情になった。
それからアルスの方へと視線を戻すと、手に持っていた手紙を渡すのだった。
「すみません、アルスさん。この手紙を処分してもらってもいいですか?」
不快感を伴ったような複雑な表情をしながらアルスへと頼み込む。そう言われたアルスはクロノベルトに断りを入れ、差出人を見ることにした。
「ギルバート・ルイ・コンスタン――、先代様からの手紙のようですね」
そう、その手紙の差出人というのは2ヶ月前に亡くなったクロノベルトの父――ギルバートからのものだったのだ。
父からの手紙だというのに何故、処分してもらおうと頼んだのか。それは、彼の表情や態度から読み取ることが出来る。どういう訳か、彼はあまり父親のことをよく思っていないようだ。
そのことは使用人であるアルスも知っているのか、クロノベルトの発言に対して眉一つ動かさないことからそれが窺い知れる。
「……処分してしまってもよろしいのですか? せめて一読してからでも遅くないとは思いますが……」
「別に大した用件でもないだろうから問題ないですよ」
今までの会話とは打って変わって、まるで不貞腐れたかのように呟く。しかし、そんなクロノベルトに食い入るようにアルスは問い掛けた。
「……ですが、旦那様が手紙をクロノベルト様に届ける程なのですから、もしかしたら大切な話なのかもしれませんよ?」
「そうなのかもしれないですけど、だとしても――」
「それに、もし今ここで処分して『やはり読んでおけば良かった』、と後悔されては私としても……」
念を押すかのようにクロノベルトに食い下がる。普段のアルスとは違うことを察したクロノベルトは彼女の説得に根負けし承諾するのだった。
「分かりました、分かりましたよ! 読みます。読めばそれで納得してくれますか?」
渋々といった感じで手紙の封を切る。すると、封の中には2通の手紙が入っていた。
『――親愛なる息子、クロノベルトへ
お前がこれを読んでいるということは私はもうこの世には居ないのだろう。
私も魔術師だ。いつ死んでもいいよう悔いのないように生きてきたつもりだ。だが、1つ。思い残していることがある。
それは、我が家に代々伝わると言われている秘宝の在処を示す碑文の謎を解くことだ。
その秘宝というのは他でもない。彼の大英雄、アインハルト・ルイ・コンスタンが遺したと言い伝えられているものなのだ。
お前も魔術師の端くれなら彼がどのような偉業を成したのか知っているだろう。その彼が遺したと言われている秘宝だ。我々の考えつかないような代物に違いないだろう。
そこでだ。
私には成し得なかった碑文の謎をお前に解いてもらうことがこの手紙の目的だ。
もし、解くことが出来ればお前のこれからの助けになるだろう。未熟者のお前には過ぎた物だろうが、他の者の手に渡るよりは遥かにいい。
最も、それは碑文の謎を解くことが出来れば、の話だが――
』
そこで手紙の内容は終わっており、2通目には何も書かれていない紙が入っているだけだった。
手紙の内容から察するに、傲慢な人物だということが窺い知れる。
その父からの挑発とも嘲笑しているとも捉えられる手紙を読んだクロノベルトは何も言わずアルスへと手渡し、読んでくれるように促す。少しして、一読したであろうアルスに向けて心当たりがないか尋ねてみた。
「……アルスさんは何か聞いていたりしますか?」
「いいえ、残念ながらギルバート様からは何も仰せつかっておりません。それにもし、仰せつかっているのだとしたらギルバート様が亡くなられた時にクロノベルト様にそうお伝えしております」
クロノベルトからの問い掛けに対し、アルスはゆっくりと首を横に振ると、申し訳なさそうにそう答えた。そのアルスの言葉にクロノベルトは「それもそうか」と頷く。
使用人である彼女の言葉をそのまま鵜呑みにするのはどうかと思うが、彼女が嘘を吐いても何のメリットにもならない。
それに、些細なことでも滅多に口にする人物ではなかったのだ。そのような重大なことを誰にも公言していなくても不思議ではない。
「それならどうしようもない、お手上げですね」
為す術がないと思ったクロノベルトは碑文のある場所を探そうともせずあっさりと匙を投げるのだった。もう少し粘ってみてもいいと思うのだが、彼は元々手紙を読むだけで済まそうとしていたので当然と言えば当然の結果なのかもしれない。
だが、それでも少し気になるのか、再びアルスへと尋ねることにした。
「そもそも碑文なんてものがこの屋敷にありましたっけ?」
「残念ながら、私はそのようなものを今まで見たことがありません。もし見つけていたのだとしたらギルバート様は疎か、クロノベルト様にもお伝えしております。私に限らず、解雇した他の使用人もそれらしきものを見たという報せを受けておりません」
「そう、ですか……」
期待していたという訳ではないが、いざ情報がないことを知ったクロノベルトは落ち込むように肩を落とした。
そして、当初の予定通りアルスに手紙の処分をしてもらおうと頼むのだった。
「すみません、アルスさん。やっぱりその手紙は処分してもらってもいいですか?」
「……碑文を探されないのですか?」
「探さない、というよりはそもそもその碑文が本当にあるのかどうかというのが疑問なんですよ。それにもし、本当に碑文があったとして、それを解けるとも限らないですしね」
諦めの表情とは別に、何かを察知するかのような複雑な表情でアルスへと言葉を繋げる。
「仮に、仮にですよ? もし、碑文が存在してそれを解くことが出来た時……、厄介なことになりそうだ、というのが最大の理由です」
「厄介なこと……ですか? どうしてそう思われるのですか?」
「勘っていうのもあるんですけど、あの英雄が遺したものだって言うからには何か相当なものなのかもしれないなぁ、と思ったんですよ」
「……そうですか。そこまで仰られるのでしたら、この手紙は責任を持って私が処分させていただきます」
特に表情は変えずにアルスは言葉を付け加える。
「手紙を処分した後になりますが、以前から申し上げていたように少しの間屋敷を空けることになります」
「あぁ……そういえば、そんなことを言っていましたね。ちなみに、何時頃戻ってくるんですか?」
「2日ほどになるので、明後日には戻ります。その間屋敷を開けてしまって申し訳ありません。……先程も申し上げたように、くれぐれも――」
「分かっていますよ。その間のことは何とかやっています。少しの間ですが、ゆっくりして来てください」
アルスは一礼するとその場を後にするように去っていくのだった。