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第93話 悪の道の同志


 サン・オージュは人口2万ほどの中規模商業都市だ。主要街道の中継地点のため物流が盛んで、この街を拠点として活動する商人も多い。

 が、今この街は平時とは全く異質の熱を帯びていた。


(やっぱり戦場が近いと、どの街もこういう空気になるのね……)


 馬車から降りた瞬間、アンナは思った。

 寵姫エリーナであった頃、当時"獅子の王国"との戦闘が繰り広げられていた前線近くの街を視察したことがあるが、あの街と全く同じ空気を纏っている。

 

 一般人の往来は少なく、サーベルや銃を持つ軍服姿が目立つ。街の外にはいくつもの天幕が並び、せわしなく伝令の馬が走り回る。

 到着したばかりの第6軍団の兵力は1万2000。先着している諸侯の私兵隊は総勢で8000弱だという。つまり、人口とほぼ同数の兵士が、現在この街の近辺にいるのだ。物々しい雰囲気になるのは仕方ないことかもしれない。

 

「向こうの天幕は、諸侯の部隊かしら?」


 アンナは同行している将校に尋ねた。彼は第6軍団長の副官で、この街に置いていく視察団の警護を担当する事になっている。


「はい。ルアベーズの反乱が自領に広がらないよう、近隣の貴族たちが派遣している部隊です」

「……憔悴しきってるわね」


 天幕の外で作業をしている兵士が何名か見えるが、みな一様に覇気がない。地面にぐったりと座り込んでいるものもいる。


「討伐隊は、領内への侵入すらできていません。一体、あの山の向こうで何が起きているのやら……?」


 将校は東の方角を見た。

 連なる山々を越えた先にルアベーズ伯爵領が広がる。この街から2日ほど行軍する必要がある距離だ。作成行動を取るには、山の向こうに拠点を築く必要があったが、未だ成功していないらしい。


「報告書では山道を抜けた先で砲撃にあった、とありますが……」

「はい。不意をついた砲撃で混乱したところを、反乱軍本隊の急襲を受け敗走した。これまであった6度の戦闘は全て同じ結果だったそうです」

「同じ結果? なんの対策もできなかったの?」


 これまでの討伐隊は正規軍ではない。規模も練度も、第6軍団には及ばないであろう。諸侯の連合軍ゆえに連携も取れていないかもしれない。

 だとしても6回も同じ負け方をするとはどういうことか?


「というより、対策のしようがないみたいです。偵察隊の報告では山道の先に、砲台らしきものが存在しないとのこと」

「砲台がない?」

「はい。もしかしたら砲撃は、我々が考えているより遠方から行われているのかもしれません」

「錬金術による兵器……?」


 考えられるのはそれだ。通常の大砲よりもはるかに長い射程距離を持つ兵器。サン・ジェルマン伯爵がそれを製造し、山の向こうの反乱軍に提供した。

 だとしたら由々しき問題だ。火器の射程距離は戦勝の勝敗を決定づける重要な要素と言える。こんなものがルアベーズだけでなく、各地反乱軍に行き渡れば、正規軍でも鎮圧は難しくなる。

 必ずやサン・ジェルマンの工房を抑えなければならない。アンナは胸の奥で改めて誓い直した。


 * * *


「戦場へ向かいたい?」


 アンナ一行の宿舎として手配されたのは、市内で最も上等な宿屋だった。

 明日未明の出立に備えて休もうとした矢先、シュルイーズ博士から思わぬ提言を受けた。


「どういう事だ、博士。 すぐにでも北へ向かい、サン・ジェルマン伯の工房を探さねばならぬのだぞ?」


 ゼーゲンが怪訝そうな顔で尋ねた。


「まさかと思うが……例の新兵器を実際に見てみたいとか言うんじゃなるまいな?」

「違います違います! ……あ、いや違わなくはないか? 私の好奇心は否定しませんが、その方が効率的と思ったまでです」

「効率的?」

「はい。我々は、目的地の詳細な位置を把握しているわけではありません。現地に着いたら、ゼーゲン殿の異能を使って地道に捜査する必要があるでしょう」

「だな……」


 ゼーゲンの異能"領域明察"は、ゼーゲン自身を中心とした任意の範囲にいる人間を把握するというものだ。索敵や偵察に向きの異能だが、任意の範囲といえども限界はある。せいぜい徒歩で1時間程度で行けるくらいの距離までしか測ることができない。

 そのため、彼女の異能をフルに活用したローラー作戦を展開するつもりだった。


「その点に私も不安がないわけではないが……それよりもいい方法があると言うのか?」

「はい」


 シュルイーズは頷いた。


「詳しく聞かせてくれますか、博士」


 アンナは言う。彼女からしてみれば一刻も早く、サン・ジェルマンにマルムゼを治させたいのだ。


「先ほどの将校殿の話を聞く限り、反乱軍の持つ長射程砲が錬金術の産物であることは疑いないでしょう。であるならば、必ず技師がいるはずです」

「技師?」

「ええ。今回の新兵器にどういった原理なのか、私には何パターンかの推論があります。が、いずれにしても高度な技術を要するため、反乱農民に扱える代物とは思えません」

「つまり、サン・ジェルマンの工房から錬金術師が派遣されて、戦闘に参加している可能性があるということか?」

「はい。もし、その者を拘束し尋問できれば、現地調査の必要がなくなると思うのです」

「なるほど……しかし、相手はどこにあるかもわからない未知の兵器だぞ。その錬金術師を易々と捕まえられるのか?」

「易々,とはなかなかいかないでしょうが、私には目算があります。ただし、これを実施するにはいくつかの条件がありますが……」

「条件?」

「はい。もしかしたら顧問閣下はお嫌かもしれません……」


 シュルイーズは不穏な前置きを付けてきた。


「構いません、博士。話して」

「……わかりました。まずひとつ目は、我々の行動は誰にも明かさぬこと。もちろん第6軍団にもです」

「しかし戦場に行くとなれば、引き続き第6軍団と行動を共にしなくてはなるまい?」

「いえ。大部隊は比較的大きめの山道を進まなくてはいけませんが、我々は全員含めても10人強です。いくらでも別の道を進めます」

「……」


 アンナは口元に手を当てて考える。

 第6軍団と別行動を取る。この青年学者がそんな条件をつけた理由は何か? 思い至ることがあった。


「博士、あなたは第6軍団を囮にしろと言うのですね?」

「ご明察。さすがは顧問閣下です」

「なっ? どう言うことだ?」


 突如飛躍した話にゼーゲンが戸惑う。


「第6軍団に何も伝えず、距離を取ると言うことは、彼らが砲撃を受けるのをどこかから観察し、射撃元を特定する。そういうことでしょう?」

「はい。第6軍団には少なからず犠牲が出ます。顧問がそれをお嫌と申されるのなら、この策は使えませんが……」


 確かに人様に堂々と言えるような作戦ではない。しかし……。


「……博士、私を誰だと思っていますか?」

「は?」

「私はアンナ・ディ・グレアン。後ろ盾も何もないところから、数多くの人間を欺いてこの地位についた女です。宮廷での政争であろうと、放火を交える戦いであろうと、私のその人となりは変わりません」

 

 東方の大陸において、古の軍略家が残したという兵法書がある。その書の一説に「兵は詭道なり」という言葉が記されている。

 いかに人を欺くか、それこそが戦いの基本だ。そして欺く相手は必ずしも敵とは限らない。勝ちを得るために必要ならば、味方をも騙す。

 アンナ自身、これまでの政争でそういうことをしてきた。今更、誰かを見殺しにする事に心をざわつかせてはいられない。


「どのみち第6軍団は、敵の新兵器を攻略せねばなりません。そのために流血は避けられないでしょう。ならば、その血を少しでも少なくするためにも、博士の提言が正しいと私は考えます」

「……わかりました」


 シュルイーズは答えた。


「もしかしたら私の方が、顧問閣下に無礼な配慮をしていたかもしれません。なるほど、確かにあなたはそう言うお方だ!」


 そう言って、青年学者は笑って見せた。


「……かつて私の腹心は、私とともに悪の道を進んでくれると約束してくれました。私はそんな彼の忠誠に報いるため、引き続きその道を進みます」

「顧問殿」


 アンナの言葉を聞いていたゼーゲンが跪く。シュルイーズもそれにならった。


「その者が倒れし今、代わりに私どもがあなた様ととも歩みます。恐らくそれが、我らの主君、ゼフィリアス2世陛下のお心にもかなうでしょうから……」

「ありがとう、2人とも。それではこれから詳しい作戦を立てましょう!」


 ゼーゲンとシュルイーズ。異邦の盟友たちのなんと頼もしいことか。


(隣にいて欲しい人が今はいない。けど、私は決してひとりではない)


 その事実は、アンナの心の一角に陣取っていた不安を消し去ってくれた。

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