第90話 宮廷の女たち・再
春の訪れとともに帝国全土に戦の風が吹き始めた。
発端は帝国南部のルアベーズ伯爵領だった。この地は先年の霜害で大打撃をこうむっており、深刻な飢餓状態に見舞われていた。
この地を治めるルアベーズ伯爵は、領地を代官に任せきりにし、本人はヴィスタネージュで遊び暮らす典型的な放蕩貴族であった。そして領地の惨状を知らぬ彼は、代官の忠告も聞かず例年以上の酷税を課すことを決めてしまった。
『今年は盛大なパーティーをいくつも開かなくてはならん。前年のような税収では困るぞ』
代官をはるばる帝都まで呼び出し叱りつけた伯爵の言葉は、程なく領民たちの知るところとなった。
『生まれてこの方、領地に足を運んだことすらないボンボンが何を行ってやがる!』
『貴族様のパーティーのために俺たちは死ねっていうのか!?』
『冬を越せずに死んでいった子供たちが浮かばれねえ!』
声高に叫ぶ彼らは武器を取り、領主に抵抗する道を選んだ。
そしてこれが皮切りとなった。同じような境遇に見舞われていた各地の農民が次々と立ち上がったのである。ルアベーズ蜂起からひと月経たぬうちに、全土13箇所で農民の反乱が発生した。
これに便乗したのが、旧クロイス派貴族たちだ。
彼らにしてみれば、新体制は不安定なほど都合が良い。政府から追及されていた不正蓄財の証拠隠滅も兼ねて、多額の軍資金が武装農民たちに流れていった。
大貴族の中には、新政権の直接的な打倒を目指し、挙兵するものまで現れた。クロイス事変直前に、顧問アンナによって解任された元財務大臣ベリフ伯爵がその代表例である。
こうして、本来ならば敵同士となってもおかしくない、農民反乱とクロイス系大貴族の、奇妙な共犯関係が築き上げられたのである。
顧問アンナも皇弟リアンも、決してこの状況を望んでいたわけではない。だが情勢は、すべて彼女たちの予測通りに進んでいた。
* * *
「陛下、10分で構いません。何とぞお時間を……!」
そんな緊迫した情勢の中、宮廷の力関係を象徴するような出来事がグラン・テラスで起きた。
女帝マリアン=ルーヌは、真珠の真の友人たちと共に、日課である庭園の散歩に出かけようとしていた。そこに、顧問アンナが現れたのである。
「アンナ……」
自分を呼ぶ声に女帝は反応した様子だ。しかし、すぐにその姿はいくつものドレスに埋もれてしまった。彼女の「友人」たち、真珠の間グループの貴婦人たちがアンナと女帝の間に壁として立ちはだかる。
「いくら顧問殿といえど、不躾ですよ」
壁の最前列に立つ女、ポルトレイエ伯爵夫人が言った。死んだグリージュス公爵に代わり、宮廷女官長に任命された彼女は、今や真珠の間においても最重要人物と目されている。
「ご挨拶ならば、毎朝行われる謁見の儀に出れば良いこと」
「事は政務に関わる事。陛下と2人きりでお話しする必要があるのです」
ふと、アンナは以前にも似たような事があったな、と思い出した。
何年前になるか。まだ女帝が皇妃だった頃、このグラン・テラスで、当時の宮廷女官長ペティア夫人に呼び止められたことがあった。
皇妃派と呼ばれるグループの中心として、あの時ペティア夫人と対決したアンナだったが、今ではその立場にポルトルイエ夫人がいる。
そして、私はあの時のペティア夫人か。やや自嘲気味に、アンナは思った。
「困りますわ。陛下との間柄を特権とでも勘違いなさっているので?」
ポルトレイエは、ここでアンナと女帝の関係をはっきりさせてしまおうという腹づもりらしい。もうお前の時代は終わった。陛下のお側にいるのは我々なのだ。そう言いたげだ。
アンナにとっては懐かしさすら感じる。あの時の自分も、ペティアに似たようなことを言ったかもしれない。
「面会の申請はもう10日も前からしております。ですが一向にお返事をいただけず、こうして参上した次第です」
「当然のこと。政務に関わると言っても、正式な閣議決定ではないのでしょう? それは顧問という立場を利用した権力の私物化でなくて?」
ポルトルイエの言葉に、他の女たちも頷く。
賢しらな口を聞いて、お前たちに政の何がわかる!? ……と言いたいところだが流石にそれは我慢した。
そんな発言をすれば、かつてのクロイス公爵と同じところまで堕ちてしまう。
「アンナ」
2人のやりとりを聞いていた女帝は、アンナの名を呼んだ。その声に、女たちがざわつく。
「……5分だけです。5分、あなたに時間を与えましょう」
「あっ、ありがとうございます!」
「陛下!」
ポルトレイエは不満げな声を上げる。
「迷路庭園でお話を伺います。女官長、人払いをお願いできる?」
「なりません陛下。ご多忙の身、このように予定にない事は……」
「多忙といっても、この後は散歩をするだけよ? その時間くらい彼女に差し上げても良いでしょう?」
「ですが……」
「ねえ、グリーナ」
女帝はポルトレイエを役職名ではなくファーストネームで呼んだ。
「あなたは私の大切な親友よ。でもアンナもまた、そうなの。わかってくれる?」
「……かしこまりました」
不服そうにポルトレイエは引き下がる。その様子を見て、アンナは複雑な想いを巡らせていた。
このような対応をとるという事は、女帝はまだアンナへの寵愛を失ってるわけではないらしい。その点には希望を待つことができた。
しかしアンナはかつて、女帝にとって「ただ一人の親友」だったのだ。それが今やポルトレイエ夫人と同列となっている。いや、向けられる想いの強さを比べれば彼女や他の真珠の間グループに差をつけられているかもしれない。
女帝の気持ちの変化を非難する事はできない。アンナ自身にもその責はあるのだ。とはいえ、このまま気持ちが離れていくのを認めるわけにもいかない。
女帝が自分を疎んじ始める前に、関係を改善しなくては。それは宮廷におけるアンナの最大の課題であった。




