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第88話 共同戦線

「どういう風の吹き回しかね?」


 その日の前日、グレアン侯アンナはリアン大公の邸宅であるベルーサ宮を訪れていた。用向きは、以前より彼から要望があった帝都における劇場建設についてである。


「つい先日まで、わたしがこの話を進めるのを嫌がっている様であったが……今になって、共同で建設を進めたいと言うのか?」

「事情が変わったのです。此度の政変で、バティス・スコターディ城は正式に帝室の管轄となりました。法務省やその背後にいるクロイス派を気にする事なく、劇場建設を進めることができるようになったのです」

「クロイス派か……」


 皇弟リアンは、カップを手にすると、中に満たされた黒褐色の液体を揺らした。湯気とともに湧き立つ珈琲の香気を楽しむように、リアンは目を瞑ると、それきり何も言わずに口を閉ざしてしまった。


「……」


 ちがう、そんな話をそに来たわけではない。

 真の目的と全く違う話を切り出してしまった自分に、アンナは苛立ちを覚える。しかし、単刀直入にあの話をすれば、皇弟の疑心を買うだけでもある。最新の注意をはらいながら話を進める必要があった。


 

「……クロイス公は、劇場建設に反対していたのかな?」

「いえ、決してそういうわけでは。しかし、バティス・スコターディ城についてはその管轄をめぐって彼らと違憲の食い違いがあったため、もしそのお話をすれば、揉め事は必然だったかと思います」

「おや、私の見解とは少し違うな。むしろ揉め事を起こそうとしていたのは、君の方だったように見えたが?」

「……!?」

「痛い腹を探られたくないから、君はあの城にわたしが介入することを拒絶した。その上、まるで子供がかんしゃくを起こすように馬鹿げた火祭りを行い、強引に全て解決しようとした……違うか?」


 いつになく、皇弟は辛辣だった。いや、もともとこういう気性の人物だ、たまたまこれまで矛先がアンナに向けられていなかっただけであり、敵に回せばこの人ほど厄介な相手はいないのだ。


 リアンの言う通りである。 そもそも今回の政変をアンナに決断させたのは、この劇場建設の話が発端であった。

 先先代のグリージュス公爵に持ちかけられたまま、頓挫してしまったという劇場建設問題の解決を、大公がアンナに求めてきたのだ。

 

 それ自体は非常に取るに足らない話である。しかしリアン大公は知ってか知らずか、アンナの悩みの種を的確に突いてきた。バティス・スコターディ城だ。アンナが法務省と管轄をめぐって争っていた監獄城の名を持ち出すことで、リアンはこの問題を政争の要に引きずり出そうとしたのだ。


 その真意がどこにあるのかは、今もアンナにはわからない。

 しかし、アンナとクロイス派の争いにリアン大公が介入するとなれば、話は劇場建設のみに留まるはずがない。故に、多少無理をしてでも状況を変える決断を、アンナは迫られることとなったのである。


「なぁ、アンナ。この部屋には私しかいない。腹を割って話そう。君が望んでいることはなんだ? 私と一緒に劇場建設がしたい? そうじゃないだろう?」

「……」


 アンナとてその話をしに、ここベルーサ宮を訪れたのだ。相応の覚悟はしてきている。が、主導権を握られたまま、口を開くのには抵抗感があった。


「むしろ、劇場建設をさせないためにここにきたのではないか? 共同で建設を進める体を装って、何らかの都合をつけて工事を遅らせる。君の真意はそうであろう?」


 アンナはぎゅっとスカートの裾を握り込んだ。光沢のある淡い水色の生地に不自然なシワがよる。


「あの城に何があるのだ? 君は一体、何を隠している?」


 全てを打ち明ければ、リアンは味方になってくれるだろうか? 少なくとも表立って敵に回ることはないだろう。その秘密はきっと、この孤独な皇弟が潜在的に抱いていた恐れも取り去ることになる。

 しかし、その恐れが消えた後、この人が何を目指す様になるか、それが全く予想できない。最悪、この国を滅ぼす元凶にだってなりかねない。

 けど、それでも今はこの人を味方につける必要がある。政変がかならずしもアンナにとって良い結末とならなかった今、味方が必要なのだ。全ての秘密を共有し、ともに戦ってくれる味方が。


(アルディス、私に勇気を……!)


 アンナは心の中で、今は仮死状態となり錬金工房で眠る恋人の名をとなえる。そして、皇弟リアンの眼を見据えた。


「全て、お話しします。ただし……相応の覚悟をなさってください」


 * * *


「……つまり黄金帝以降の帝国の歴史は全てまやかしだったということか?」

「まやかし、ですか。少なくとも帝室と貴族社会にあり様に関してはそう言わざるを得ないでしょう」

「なんということだ……」


 リアンは顔面を蒼白にして口元を押さえていた。

 アンナがバティス・スコターディにこだわる理由。それはすなわちその地下に眠る賢者の石の話であり、それを生み出す強大な魔力の話となる、そしてそれらの説明をするためには、ペティア夫人が先祖代々守り抜いてきた真実の歴史と、闇に葬られ正統なる皇族の話をせざるを得ない。

 それらの事実は、当の黄金帝の血を引くとされている皇弟リアンに少なからぬ動揺を与えていた。黄金亭の血を引くとは、もはや"百合の帝国"の正統な後継者であることを意味しない。その逆であり、呪わしき簒奪者の子ということになる。


「そして今、リュディスの血を引く真なる皇帝が、復讐と帝位の奪還をかけて動いている。そう君は言いたいのだな?」

「はい。それに対抗するためにも賢者の石の研究を進める必要がございます。そのために、バティス・スコターディを私自身の手で押さえなくてはならないのです!」

「復讐者の正体はわかっているのか……?」


 リアンは青ざめた顔のまま、アンナに尋ねる。


「はい。先の政変の際、我が腹心マルムゼがその者と争い、相討ちとなりました」


 そのマルムゼの正体については、リアンに打ち明けずにいた。彼の兄アルディス3世が名前と姿を変えて、アンナと行動をともにしていたなどと、ただでさえ動揺しているこの人をより混乱させるだけであろう。


「相討ち……つまり、元戦争大臣のウィダスこそが復讐者だったと? だが、奴は死んだのであろう?」

「……あの死体が真にウィダスの、そして復讐者のものであれば、ですが」

「違うというのか?」

「百年に及ぶ憎悪を晴らすための復讐が、あんな形で終わるとは私には思えません。ウィダスの死そのものが、復讐から目を逸らすための欺瞞ではないかと、私には思えてしまうのです」

「では他にいるのだな、帝室への復讐を目論むものが」


 アンナは頷いた。


「あくまで推論です。しかし、()がそうであった場合、最も理想的な形で復讐完遂に近いところにいることとなります」

「どういうことだ、誰なのだそれは!?」

「今回の政変で私すらも欺き、勝者となった者。盤石であった顧問派の体制にひびを入れ、現在の皇帝からの絶大な信頼を勝ち取ることに成功した者です」

「つまり……ダ・フォーリスか……!?」


 彼は外国人でありながら、広大な領地と伯爵の位を手に入れた。そして、女帝マリアン=ルーヌの恋人として宮廷から歓迎されている。これを、再び至高の存在へと返り咲くための準備と考えるならば、これほど理想的な状態はない。


「私がお話しできることは全てお話ししました。その上で改めて申し上げます。大公殿下、何卒私にお力をお貸しください」


 もはや後には引けない。乱を好む宮廷の潜在的な政敵に、最悪の情報を与えてしまった。しかし、これからアンナがやろうとしていることを成し遂げるためには、彼の協力が不可欠なのだ。彼を制御不能の敵としないためにも、ここで全てを話さなければならなかった。


「ひとつ、聞いておきたい」

「なんでしょう?」

「復讐者に対抗すると申したが、本当にその必要はあるのか?」

「……と,言いますと?」

「今の話が本当ならば、非は我が祖先たる黄金帝にある。正統なる後継者の主張を認め、彼にこの国の統治を委ねる。皇族の私には無理だが、君にはそういう選択もあるのだろう。何故、そうはしない?」

「愚問です」


 アンナは、強い意志を言葉に乗せ、皇帝の問いに答えた。


「私が求めているのは10年後の平和であり、今この時の民の安息です。100年前の正しさなどではありません。どれだけ主張に理があろうと、それが私が求めるものと相反するのであれば、私はその主張を否定します!」


 アルディスとともに目指した、民のための国。それは100年前の亡霊が仕掛けた陰謀によって一度は頓挫した。ホムンクルスの肉体を得たアンナは再び、かつての理想のために動いている。それを邪魔するものは何者であっても許さない。


「なるほど、相わかった。アンナ、ゲストルームをひとつ貸す。今日は泊まっていくと良い」

「は。いえ、まだ早いですし、グレアン邸へ戻るつもりでしたが……」

「ここからの方が職人街へ近かろう。明日、ともに劇場建設の依頼をケントにするのだ。それが共同戦線の証となる」

「では!」

「ああ、もちろん劇場建設は表向きのこと。しかし我々が手を携えたと知れば、敵も警戒しないわけにはいかぬ」

「閣下……ありがとうございます!」

「礼など無用。私は長らく観客であることを好んできたが、どうやら舞台に立たねばならぬ時が来たようだ」


 リアンのそんな言葉の端には、どこか観念したような、それでいて少しばかりの清々しさが含まれていた。

昨年末に新章を開幕してから、インフルエンザにかかってしまい執筆が中断してしまっておりました。

大変ご迷惑おかけしましたが、本日よりまた更新を続けてまいりますのでよろしくお願いいたします。

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