第86話 そして新たな戦いへ…
午後8:30 この時刻になってようやくアンナは、女帝からの呼び出しを受けた。事の顛末を報告するためである。
「ご無事で何よりです、陛下」
謁見の間には、女帝とアンナの2人しかいなかった。
「アンナ、これはあなたの望んだ結果ですか?」
言葉に詰まる。長い一日が終わり、クロイス派はついに壊滅した。今回の政変の主目的をアンナは叶えたことになる。
クロイス公爵本人も死亡したという報告が入ってきている。ウィダスも死に、他の大貴族たちも屈服した今、ついにアンナ個人の復讐も完遂したと言えるだろう。
しかし……失ったものも多い。南苑の崩壊は深刻で、クロイス家の邸宅だけでなく隣接する4棟の居館が全焼。飛び火などの被害を被った貴族は30家を越えるようだ。
さらに、運河の橋などの各種施設の破壊、アルディス親愛帝のコレクションの焼失など、宮廷が受けた物的な被害は少なくない。
しかしそれよりも重たいのは人的被害だ。南苑では100人を超す死傷者が出ており、今も行方不明者の捜索は続いている。
グリージュス公クラーラも死んだ。アンナや女帝に潜在的な敵意を持っていたとはいえ、宮廷運営に欠かせない存在であった。
そして、アンナの最愛の人マルムゼと、女帝が愛を誓ったばかりの相手ダ・フォーリスも……。
「どうしたの? これがあなたの望んだ結果かと、聞いてるのです」
何も答えないアンナに、女帝は今一度尋ねた。
「……完璧にとは言えませぬが、帝国の今後を考えますれば、目標は達成したと言えるでしょう」
アンナの立場ではそう言うしかなかった。
「アンナ、私は昨年の政変の際、あなたとクロイスが手を取りあうことを望みました」
「……はい」
「もちろんクロイスのやってきた事が正しいとは言えません。ですが、無用な混乱と流血を起こさぬためには、彼らの主張をある程度認めざるを得ない、そう判断したのです」
「それは、間違っていなかったと思います」
「なのにあなたは今日、自ら混乱を引き起こし、血を流した」
「……」
弁解の余地は無い。
アンナからすれば必要な事だった。未曾有の天災の影響は今後数年続くだろう。その地獄から民を救うためには、何がなんでもクロイス派を排除する必要があった。それも速やかに。手をこまねいていれば、リアン大公が政局に介入してくる可能性も出てきたのだ。
しかし今なお南苑では、夕闇の中で兵士たちが救助活動に勤しんでいる。それを思えば、必要な犠牲だったとうそぶく事は、アンナにはできない。
「……」
「ボールロワ元帥には減俸を言い渡しました。あなたも相応の処分を覚悟なさい」
「仰せのままに……陛下」
アンナは玉座に座る女帝に跪き、頭を下げた。その姿に向かって女帝は続ける。
「まさか辞めようなんて思ってないわよね? 」
「それは……」
「辞職だけはさせません。あなたへの処分は減俸と領地の一部返上。引き続き、私の顧問として働いていただきます」
女帝の声が振るえだす。
「アンナ……私が知る限り、あなたは今この世で最も有能な政治家よ。そのあなたが望んだのなら、今日の事は必要だったのでしょう……」
そこまで言った後、女帝は溜めていたものをぶちまける様に、大声をだした。
「だったら何故、いつもみたいに完璧にこなさなかったの!? こんな結果、あなたらしくない! あなたなら……アンナ・ディ・グレアンなら大きな犠牲も出さず、望む結果だけを得られたはずよ!?」
「申し訳……ございません」
これまでが運が良かったのだ。アンナはそう思った。クロイスが爆薬を隠す可能性なんて、いくらでも想像する余地があったはずだ。ウィダスが影で繋がっていたのも、戦争大臣時代の癒着を考えれば難しくない。
そこまで思考が至らなかったのは、アンナの限界なのかもしれない。
「だめね……」
涙声で女帝は続ける。
「あなたを呼ぶのにこんなに時間がかかったのも、冷静さを取り戻すためだったのに……ごめんなさい」
「いえ……。ダ・フォーリス大尉のことは申し訳なく思っております」
大尉は東苑の何処かで行方知れずになっている。恐らくは何処かでクロイスやウィダスの一党に襲われたのだろう。
「彼とグリージュスを失ったことで、百合の間はあなたの敵となったわ。引き続き政務はあなたに任せるつもりだけど……私には彼女たちからあなたをかばうことは難しいの。それに……いえ、何でもない」
女にはその言葉の続きが想像できた。女帝自身、アンナをいつまで恨めずにいるか自信がないのだろう。それほどまでに、あの仮面の軍人が大きな存在になっていたのだ。
アンナはマリアン=ルーヌが即位してからのこの1年を思い返す。この人と共にする時間は、それまでと比べ激減していた。お互いに多忙であったとは言えただ1人の親友とまで言ってくれたこの人を孤独にしてしまった。
かの仮面の軍人は、アンナが抜けた隙間を埋める存在だったのだろう。
「……あなたもマルムゼを失くしたのよね。しばらく暇を与えます。ゆっくり休みなさい」
「いえ、陛下。今休めば変を起こした意味がなくなります。明日より新体制を発足させ、1人でも多くの民を救うために励むつもりです」
「……そう」
マルムゼのことはシュルイーズたちに任せるしかない。アンナにはアンナしかできない戦いをするのだ。復讐は完遂した。が、相変わらずこのヴィスタネージュはアンナの戦場であり続けるだろう。
「ならばもう下がりなさい。明日のためにも休むのです」
「……かしこまりました」
アンナは女帝に一礼すると、謁見の間を辞した。
無人の大廊下に次の灯りが差し込む。絨毯には、クロイス公の狼藉の犠牲となった貴族の血痕が残っていた。また壁には、クロイスの私兵集団が開けた穴が空いており、隠し通路の暗闇がその奥に見える。
彼らは本殿の裏手からこの通路を使って侵入し、そしてクロイス公を脱出させたのだろう。
この通路は、マルムゼもアンナの謀略のために使用した事が幾度かあった。
そしてアルディスもまた、この通路を使いエリーナと共にお忍びで宮廷から抜け出した事があった。
「マルムゼ……いえ、アルディス」
真っ暗な穴の前でアンナはつぶやく。
「必ずまた会いましょう。私はそれまで、あなたに恥じる事がないよう走り続けます……!」
錬金工房に運び込まれ、生命維持の措置を施されている最愛の人に対して、心の中で約束した。
* * *
「ぶあっ!!」
暗闇の中で男は目を覚ました。
「おはようございます、兄上」
女の声がした。頭上では風に揺られた枝がガサガサと音を立てている。冷感を伴う夜の空気。おはようという言葉が似つかわしくない時刻のようだ。
「俺はどれくらい寝ていた?」
「10時間ほどでしょうか。すでに日付は変わっております」
「その時間で済んだということは、これは俺の身体だな」
「はい。万一のためにエリクサーを用意してましたが、魂をホムンクルスに移す必要はなかったです」
「そのホムンクルスの身体は?」
「兄上と同じ服を着せて黄金帝の別邸に。彼らはあれをウィダス子爵の遺体として回収したようです」
「そうか、よくやった」
万一の際に自身の体のスペアとするよう、この宮殿の数カ所に、魂を入れていないホムンクルスの肉体を隠している。それらは全て、魔法を用いてウィダス子爵の姿に偽装していた。今回はそれが役立った。
「この肉体は持ち堪えてくれたか。ありがたい」
女の手から淡い光が発せられ、それが男の胸部を照らし出している。
あの高さから瓦礫の上に落下した、その時の打撲や骨折と、炎にさらされ続けたことによる火傷は、彼女の治癒の異能でほぼ完治していた。
「複数の魔法を使えるという兄上の優位性は保たれたままです。ホムンクルスが使える異能はひとつだけ。魂を移し替えれば、計画を変更せざるを得なかったでしょう」
"認識変換"、"認識迷彩"、"感覚共有"、"領域明察"……。これらホムンクルスたちが持つ異能はこの男、リュディス7世が使う魔法をベースとしている。
男は"認識変換"を使い、自らを顔に傷を持つ男ダ・フォーリス大尉に、妹を零落した名家の女ポルトレイエ夫人に仕立てあげた。
そして"感覚共有"を気づかれない程度に用いながら、少しずつ女帝やグリージュス公爵の心に入り込み、彼女たちを籠絡する事に成功した。
今日の政変では、"認識迷彩"を利用して軍を離脱。前もって仕込んでおいたクロイス私兵による狂言襲撃を鎮圧し、さらには"領域明察"で撃ち漏らしたグリージュス公の口封じに成功した。
そこまでは完璧に事が進んでいたが、調子に乗りすぎた。目の上のこぶである顧問アンナとマルムゼも始末しようとしたが、一瞬の隙をつかれて奴らを討ち漏らしてしまったのだ。
「まさかあの2人が、あいつらだったなんてな……くくくっ……」
この国の正統な後継者を名乗る男は笑う。
簒奪者の子孫とその寵姫。4年前に確かに始末したはずだった。なのに奴らは生きていた。なぜか?
「やはり、サン・ジェルマンは俺たちを欺いている」
我が正統な帝室に尽くしてくれた錬金術師。だが、30年ほど前から我々の意に反する行動が目立ち始めた。特にあの2人を生かしたことは大罪だ。
もっとも、それも無理からぬことなのかもしれない。なにしろエリーナ・ディ・フィルヴィーユはあの男の……。
「兄上。確かに計画に支障は生じましたが、それ故に楽しみもできました」
「ほう?」
「あの女。顧問アンナは私と同じなのでしょう? プロトホムンクルス同士の殺し合い。これほど血が騒ぐ事がありましょうか」
顧問アンナと同じ顔をした妹。認識変換を用いて、その素顔は隠しているが、被術者以外のものが見れば、双子のように見えるだろう。
「意外だな。お前が、そんな好戦的なことを言うとは」
「これまでの戦いは、兄上に多くを任せすぎたと反省しているのです。一筋縄ではいかなかぬ相手。ともに立ち向かう必要があるのではありませんか?」
「ああ、かもしれないな」
「今の私たちならばやれます。本気であの女と殺し合い、そして必ず勝利しましょう」
暗闇に目が慣れてきた。揺れる枝と、星空の境界が明確になる。木の葉の影からのぞくわずかな隙間は、蓋を半開きにした宝石箱を思わせた。その宝の山の中に、ひときわ明るい星が輝く。
それは、"百合の帝国"の帝室では、戦いに勝利する者の天上に輝くとされる、瑞兆の星だった。
歴代皇帝の中には、この星が輝く夜に出陣し、勝利を収めた者が何人かいる。
不測の事態はあれど、我々の未来は変わらない。真の帝の血を引く我々は必ず勝利するだろう。
男はそう確信していた。
第III部 復讐完遂編 -完-
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次回より第IV部開始となります。
一応、これが最後の部となる予定です(第III部開始の時まで同じ事書きましたが、今度こそ…)
また、1週間ほどお休みいただきますが、来週より再開するつもりです。
今しばらく、お付き合いいただけると幸いです
いつもブクマやいいね、評価などありがとうございます。
大変励みになっています。この場を借りてお礼申し上げます…!!




