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第83話 アンロック

「マルムゼ! 惑わされないで!」


 アンナは叫んだ。


「ウィダスの戯れ言よ! 隙を見せてはダメ!」

「承知!!」


 マルムゼは跳躍する。寸前まで彼の身体があった場所に何かがぶつかる。ウィダスが別のランプを掴み、投げつけてきたのだ。香油が飛散し、麝香の臭気とともに炎が走った。


「そうよ、ウィダスの戯れ事……私たちを惑わすための……」


 アンナは同じ言葉を繰り返した。自分に言い聞かせるために。


 アルディスが生きていた……それもずっと自分の側にいた? ……馬鹿な。

 確かにマルムゼはホムンクルスだ。アンナがそうであるように、彼にも今の肉体を手に入れる前の人生があったはずなのだ。

 彼自身はその記憶がないと言っていた。アンナも彼の過去が気にならないわけではなかったが、それ以上に考えるべき事が多く、解き明かすつもりはなかった。

 それが、こんな形で明かされるなんて……。


(ううん、違うでしょ! 明かされたわけじゃない。これは、あの男のまやかし……)


 そう思おうとする一方で、アンナの頭脳は「答え合わせ」を始めていた。


 あの男はまず、マルムゼの正体に気づき、そこからアンナの正体に行きついた。アンナの過去の名がエリーナだというのは事実だ。ならばマルムゼの正体も……?


 なぜ彼は皇族の一日のスケジュールを知悉していた?

 なぜ彼は卓越した剣の腕を持っていた?

 なぜ彼は私に尽くしてくれた?


 それらは別の理由を並べることも難しくない。皇族に近しい者なら、彼らのスケジュールは知っている。確かにアルディスは剣術を得意としていたが、彼以上の剣の使い手はいくらでもいる。アンナに尽くしてくれたのは、サン・ジェルマン伯爵からの命令に他ならない。

 そうだ、否定する術はいくらでもある。


(じゃあ私はなぜ……?)


 私に対しての「なぜ」に、私は自信を持って答える事ができるのか?


 なぜ、私はマルムゼを愛した?


「えっ……!」


 不意に、アンナの四方を覆っていた壁が消滅したような錯覚を覚えた。

 自分を押さえつけていた何がが霧散する。この感じをアンナは前にも味わった事がある。帝都の地下で。


「ホムンクルスの……記憶のロック……」


 それまで全く思い出すことのなかった記憶が蘇る。ウィダスの言葉により、封印が解除されたという事か。


 * * *


『陛下。これが呪しき血族にかける、最後の呪いとなります』


 その記憶は、以前甦ったものと比べ、あまりにも漠然としていたものだった。

 視界はぼんやりとした光に満たされ、形あるものは何も見えない。

 身体は重さを感じない。どこかに寝ているような、あるいは宙を漂っているような、そんな感覚である。


『あなたは新しき生の全てを、この女に捧げていただきます』


 ただし、声だけは鮮明に聞こえた。懐かしい、父の声だ。金属職人タフトの声……。


『この女の支えとなり、この女が望むものを全てお与えなさい。それが私の……あなたの主人たる錬金術師サン・ジェルマンからの命令です』


 しかし声は、己を金属職人だとは名乗らなかった。錬金術師サン・ジェルマン。それが声の主の名前。

 失望と納得が同時にやってきた。それは、以前甦った記憶とも合致する。だが、できれば違って欲しかった。


「私の……」


 アンナはつぶやく。


 私の父は、サン・ジェルマン伯爵だ。そして……。


 この記憶の中で、彼が話しかけている相手は……。


 * * *


「うわははは!」


 ウィダスは雄叫びとも高笑いともつかない声を上げながら、別邸内のランプをひっくり返してまわっていた。マルムゼはその背中を追いかける。

 1階はすでに数ヶ所から火の手が上がっている。さらにウィダスは階段を駆け上がって2階の吹き抜け回廊に向かう。

 壁に飾られた絵画やタペストリーにも、すでにカーペットから吹き上げられた火の粉がかかり、めらめらと炎の下を伸ばし始めていた。


「我が祖父のコレクションが……」


 親愛帝アルディス1世の蒐集物を見て、マルムゼは何の違和感もなくつぶやいた。そして、そうつぶやいてしまった自分に気づき、慌てて口元を押さえる。


「隙あり!」


 そんなマルムゼの姿を、ウィダスは見逃さない。すくさま、彼のサーベルがマルムゼに襲いかかる。


「ちがう!」


 マルムゼは剣を振って、その一撃をしのごうとしたが、思わぬ軌道に目算が外れた。

 そうだ。さっき右手を貫いたではないか。なのに太刀筋の鋭さは変わらない。しかもこの刃の動きは先ほどと鏡写しだ。……この男、両利きだったのか。


「ぐあっ!」


 サーベルがマルムゼの剣の上を滑り、彼の二の腕を切り裂いた。

 不覚だった。この局面において、利き腕の負傷は大きな意味を持つ。


「……何も違わないさ」


 形勢が大きく自分に向かって傾いたことを確信したウィダスは、マルムゼにそう言葉を投げかけた。


「貴様の正体はアルディス3世。寵姫とともに高邁な理想を掲げながら、腹心であり無二の親友だった者に殺された、哀れな男さ」

「……」

「覚えてるはずだ? お前が今受けた傷の味。5年前のあの日も、俺たちはお前の利き腕を封じることから始めた」


  * * *


『お命いただきます……』


 マルムゼもまた、封印されていた記憶が蘇っていた。


 早朝の戦陣。ここは全軍を見渡せる丘の上だ。

 切り立った崖となっており、眼下には前日の豪雨で水量と流速がました川が流れている。


 そして激しい痛み。右手首の先が消えている。剣を抜き放とうとしたその寸前、目の前の男によって斬り飛ばされたのだ。


『お前は……』


 マルムゼは目の前の男を見て愕然とする。彼の腕を飛ばしたのは皇帝マルムゼ3世……。いや違う、恐らくこいつはマルムゼ=アルディス。

 そしてこの時、自分はこう思っていた。


 影武者のお前が何故……と。


『陛下あなたにはここで退場していただきます』


 マルムゼ=アルディスの背後にいる男がそう言う。幼き頃から共に育てられ、大人になってからは密偵として尽くしてくれた、近衛兵の男。


『ウィダス……これはどういう事か!?』

『申し訳ないが私とこの者は、クロイス公と道を共にさせていただく』

『なに?』

『あなたとフィルヴィーユ派が推し進めている改革。アレはやり過ぎです。これ以上あなたの声望が高まれば、我が悲願が叶えにくくなる』

『何を言っているのだお前……悲願とはどういう……』


 言い終わる前に、マルムゼ=アルディスの剣が首元を狙ってきた。


『ごちゃごちゃ言わず、アンタは俺に帝位をよこせばいいんだ!』


 倒れ込むようにしてそれを交わす。続け様に、近衛兵たちのいる天幕の方へ走ろうとした。が、ウィダスの蹴りが腹部を貫いた。


『ゴフゥっ……!』


 胃液が逆流し、全身の筋肉が瞬時に硬直した。昨夜、作戦会議をしながら腹に入れた堅パンとチーズが逆流する。


『無駄ですよ。私の指示で、向こうの天幕には今誰もいません。この丘の上にいるのは、我々3人だけです』

『マスター、長引けば近衛兵たちも怪しみます。早くやってしまいましょう』


 マルムゼ=アルディスがウィダスに言う。


『まあ待て。この男もなぜこれから死ぬのか、理由くらいは知りたかろう』


 今まで聞いた事ないような、無二の腹心の冷たい声だった。それで直感する。これは単なる謀反ではない。ずっと昔から周到に練られていた計画だ。これまでの彼との友情も、この日の裏切りのための準備に過ぎなかったのだ。


『お前は知らなくて良いことだ、少し距離を置け』

『は、それはどういう……?』

『いいから離れていろ』


 ウィダスが強めの語調で言うと、マルムゼ=アルディスは、しぶしぶと後退した。

 

『あなたは私をウィダス子爵の一人息子と思っていたかもしれませんが……実は別の名前があるのです』

『べ……つの……な?』


 今の蹴りで内臓をやられたのか、うまく声を出すこともできない。


『我こそは真なる皇帝リュディス5世の血を引きし、正統なる後継者、リュディス7世。呪わしき簒奪者の血を引くあなたに変わり、この帝国を正しき方向へと導く者』

『な……』


 何を言ってるのだこの男は? 黄金帝の血を引く? 簒奪者の血……?


『……と、まあ、こんなことを言っても誰も信じないでしょう。それにあなたは偉大すぎる。帝位を奪回するにも、大義名分がないのです』


 ウィダスは、不服そうな顔をしているマルムゼ=アルディスの方を見た。


『だから、しばらくはあの男に皇帝をやらせます。あなたと比べるべくもない無能な男ですが、そこはクロイス公がよしなにしてくれるでしょう。この国が滅ぶことはありません』


 ここまで聞いて、この男の計画の輪郭が見えてきた。させない。そんな事、断じて許すものか。


『ですが国は大いに乱れ、民の恨みは帝室と貴族たちに向けられるでしょう。そこで私の出番となります。私が民の代表として宮廷の全てを覆し、正しい王朝を復活させるのです』

『ふざ……けるな……そんなこ……』


 まだうまく舌が回らない。が、体力は戻ってきた。こいつらの暴挙を止めるためにもなんとかしてここを離脱……。


『そんなわけで、あなたの遺体すらも残すわけにはいかないのです。お許しを』


 最後の最後まで活路を探していたが、ウィダスはそれを許さなかった。

 彼の短剣は胸を貫き、鍔元まで深く食い込んだいった。


『うおああああああ……!!』


 絶叫。


『おさらば』


 ウィダスの声。そして二度目の蹴り。身体が宙に浮き、崖の下の激流へと転がり落ちていった。

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