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第78話 混迷のヴィスタネージュ

  午前9:30 顧問のアンナより、帝国宰相クロイス公への解任通告。同時に財務大臣ベリフ伯、国務大臣ユヴォー候の解任も通告。


 10分後 午前9:40 事件が発生。


「どいつもこいつも儂を愚弄するか! 道を開けよっ!」


 人垣が割れた。進む方向に道ができる。それはクロイス公にとってごく当たり前のことだ。

 しかし今のそれは、彼への畏怖やクロイス家の威光によるものではない。彼が右手にもつ、血が滴るサーベルを皆が恐れたからに過ぎない。

 今や彼は、帝国貴族の盟主ではなくなっていた。不遜にも皇宮の大廊下でサーベルを抜いた凶賊に成り下がっていた。


「衛兵! クロイス公が乱心めされた! 公を取り押さえよ!」


 惨劇を目の当たりにした若い貴族が叫ぶ。だが、間に合わない。衛兵が貴族たちをかき分けて騒動の中心に入り込むよりも前に、クロイスの白刃が再びきらめいた。


「この無礼者が!」


 勇気ある貴族の眉間が断ち割られると、第二波の悲鳴が巻き起こる。そして貴族たちは一斉に大廊下の出口へ向かって走り出した。

 事ここに至り、衛兵は複数人がかりでクロイス公を捕えようとするが、遅かった。今度は大廊下に銃声が鳴り響く。


「公爵閣下!」


 どこからともなく武装した兵士の集団が現れた。異変を察知したクロイスの私兵が、隠し通路を通じて大廊下に侵入したのだ。

 こういった通路は、ヴィスタネージュの至る所にある。そ俺を利用するのは、何もアンナやマルムゼに限った話ではない。


「ご無事ですか!?」


 私兵隊長は、軍歴豊かな壮年の男だった。"薔薇の王国"との戦争でいくつも武勲を重ねたことにより、クロイス公自ら声をかけ、自分の親衛隊長として正規軍から引き抜いたのだ。

 彼は、これ以上ないほどの的確な行動で、主君の救出に駆けつけた。


「すぐに南苑の館に戻るぞ。グレアンの小娘と女帝に、正式に抗議する」

「いえ、なりません。郊外にボールロワ元帥の軍が展開しております」

「なんだと!?」

「この騒動が軍に伝われば、元帥はすぐに軍を動かします。南苑に入れば身動きが取れなくなるでしょう。ご領地へお帰りください」

「儂に都落ちしろと申すか?」

「誠に遺憾ながら……」


 クロイス公はぎり……と奥歯を噛み締めた。

 アンナと女帝に対する怒りは収まりようもないが、衝動を抑え込むだけの余裕を取り戻していた。


「わかった。だが、まずはルコットと合流だ」


 ルコットには息子がいる。先帝アルディス3世との間に生まれたドリーヴ大公アルディスが。

 母子は今、東苑の寵姫用の館で暮らしている。孫と共に領地へもどり、彼を次期皇帝として擁立する。そして挙兵すれば、現体制を快く思わない貴族たちが呼応するはずだ。そうなれば、正規軍10万とも戦うことができる。


 戦争だ! かくなる上は実力をもって、帝国を私物化する小娘2人を討伐するのだ!


 * * *


 午前10:25宮殿大廊下で変事発生の報告が、ボールロワ元帥に伝えられた。


「馬鹿な……狂ったかクロイス公……」


 元帥は思わず口に手を当てて俯く。


「元帥閣下……いかがなさいますか?」


 近衛連隊長が上官に声をかける。


「残念だが、もはや演習などと言ってはおられん。全軍、作戦計画に基づき行動を……」


 元帥が諸将に指示を出す最中、外で遠雷のような炸裂音が響いた。音の発生源は遠く、天幕に阻まれたこともあり音量そのものは小さかった。しかしそれは深く、低く、軍人たちの腹の底に響いた。


「なんだ今のは?」

「申し上げます!」


 兵士が駆け込んでくる。


「ヴィスタネージュにて爆発を確認! 南苑のあたりと思われます!」

「なに!?」


 ボールロワ元帥と3人の軍団長たちは、一斉に天幕の外に出た。

 宮殿の方角に、一筋の黒煙が昇っているのが見える。この距離であれだけはっきり視認できるということは、かなりの規模の爆発だ。


「陛下の御身が危ない……」

「元帥閣下!」


 軍団長たちと目を合わせると、元帥は大きくうなずき、指令を出した。


「全軍、ただちに行動開始! ヴィスタネージュ大宮殿を速やかに制圧し、事態の収集にあたれ!!」

「はっ!」

 

 軍人たちは声を揃えて応答する。


 だがこの時、彼らのいずれも気付いていなかった。展開中の征竜騎士団のうち、ダ・フォーリス大尉が指揮する50名の小隊が姿を消していることに……。

 

 * * *


 午前11:12 アンナは、マルムゼを伴い南苑に到着した。


「なんと愚かなことを……」


 クロイス家の別邸の他、その周囲にあった貴族の居館が黒煙の中に包まれている。

 南苑の建物は、もともと謁見に訪れた貴族たちの待機所が発展したもので、ひとつひとつの建物は郊外にある貴族の別邸と比べると小規模だ。したがって庭もそれほど広くはなく、建物と建物の距離も近い。

 そのため、クロイス家で発生した火災は近隣の館に燃え広がっていた。

 衛兵隊長が、顧問の来着に気がつき部下と共に駆け寄ってくる。


「顧問閣下、このような事態を起こしてしまい大変申し訳ございません」

「状況は?」

「はい。ただいま南苑担当の3隊で消火活動にあたっておりますが、この規模の火災は想定しておらず、他の区域からの応援を呼んだところです」

「錬金工房には連絡しましたか?」

「は? いえ、それはまだ……」

「倉庫に、試作品の大型ポンプがあるはずです、それを使い運河の水を汲み上げなさい」

「はっ! 直ちに」


 隊長の横に控えていた衛兵が、すぐさま駆け出した。

 もともとエリーナ時代に、前線の陣地構築のために開発したものだ。試作品はうまくいったのだが、貴族の横槍で制式配備を見送られることとなった。以来、倉庫で埃をかぶったままになっているのを、工房再開時に確認している。まさかこんな形で役立つとは思わなかったが……。


「それにしても、一体何が起きたのですか?」


 アンナはまだ状況を理解できていない。

 大廊下でクロイス公が刃傷沙汰を起こし、彼の私兵が突入した直後のことだ。謁見の間で衛兵に指示を出していた時に、凄まじい轟音が響き、部屋全体が揺れた。大廊下で右往左往していた貴族たちの悲鳴も足音も、その轟音でぴたりと止み、異様な静けさが本殿を支配した。

 そして窓から外を見ると、南苑で黒煙がもうもうと立ち昇っていたのである。


「火元はクロイス公爵の別邸。まだ正確なところはわかりませんが、爆発の規模から考えると、地下に大量の爆薬が隠されていたと思われます」

「爆薬……ね」


 馬車で南苑に急行する最中、アンナもその可能性には思い至っていた。と言うよりあの轟音を聞き、この黒煙を見れば、それ以外考えられない。


「なぜそんなものをここに……?」


 いくらクロイス家の別邸とはいえ、ここは皇宮の敷地内だ。そのような危険物を持ち込むことは当然許されていない。

 宰相の権力を使えば、密かに持ち込むことは可能ではあろう。しかし、その理由がわからない。


「まさか、こう言う事態が起きることを予期していたとでも?」

「ありえますな」


 ラルガ侯爵が近づいていきた。

 彼もアンナを追うように、謁見の間からここに急行したらしい。


「クロイス公たちは姿を消しました。どうやらこの爆発を目眩しに使ったようです」

「私たちの計画が公爵に漏れていたと?」

「いえ、それならばブラーレ伯たちの抱き込みもうまくいかなかったでしょう。公爵自身にとっては不測の事態。ですがそれを予見していた別の人物がいたと考えるのが自然かと」

「なるほど……」


 思い当たる人物がいる。ルコットが出産のために隠れ住んでいた別邸の警護役だ。

 密かに調査を進めていたマルムゼたちを手玉に取り、コウノトリ……ホムンクルスを用いてルコットの出産を偽装する錬金術師たちの正体を隠し通した、凄腕の密偵。その人物なら、このくらいのことをやってのけても不思議はない。


(だとすれば、その人物の次の一手は……?)

 

 アンナは背筋の悪寒を覚え、東の空を見た。東苑には今、極めて重要な人物が2人いる。


 ひとりは寵姫ルコットの館にいるドリーヴ大公アルディス。名目上アルディス3世の遺児であり、クロイス公の実の孫だ。あの赤子は、公爵が挙兵する大義名分となる。

 

 そしてもうひとり、言うまでもなく女帝マリアン=ルーヌ。この混乱に乗じて、()()()()()()()()()()かが彼女を襲撃すれば現政権は大きな痛手を被る。

 それはクロイスの一族が代々得意としてきた手口だ。


「陛下が危ない……! 急ぎ東苑へ兵を!!」

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