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第76話 第2の政変

 リアン大公の要求に対し、アンナは一旦は回答を保留した。


「まぁ、君の立場ではそう言うしかないだろうな」


 皇弟は、アンナや時勢に理解を示すような態度を示し、一旦は引き下がった。だが2週間後、さらに驚くべき要求を突きつけてきたのだ。


「バティス・スコターディ城を取り壊せ、ですって……?」

「はい。大公殿下曰く、あの監獄は帝国の負の側面の象徴であり、それを壊し劇場を立てれば帝室の威信は損なわれるどころか、いや増すであろう、とのことです」

「……」


 アンナは机に肘をついてうなだれた。

 いや、確かにそうなのだ。皇弟の言うことはもっともだ。

 あの城は数多の反逆者を囚え、処刑してきた場所だ。何を隠そう、アンナもその1人である。

 魔法時代以来の古めかしい外観も相まって、あの建物は帝都市民に好かれていない。

 それを取り壊して劇場を中心とした新市街を開発すれば、帝都にの陰が一つ消え、新たな光が生まれるだろう。さすがは帝都に住み、帝都市民からも愛されている皇弟殿下ならではのアイデアだ。


「錬金術の裏事情を知らなければ、私だってそうしたいわよ……」


 しかしアンナには、あの城壊せない理由がる。

 あそこの地下には賢者の石が眠っているのだ。城の地上部分からは巧妙に隠された空間で、淡い光を放つ鉱石が帝都全域の魔力を吸い上げて成長している。錬金工房のバルフナー博士は、生成中の石を工房敷地内に移すことを試みたが、上手くいっていない。下手に動かせば、魔力が暴走し未曾有の災害を引き起こす可能性がある、というのが博士たちの見解であった。


「バティス・スコターディ城は、監督権をめぐって高等法院との係争が続いています。ここに大公殿下も加われば、政局はより混乱するでしょう」


 マルムゼの言う通りだ。新たに法務大臣となったラルガと共に、クロイス派の牙城である高等法院の切り崩しを図っているが、今の所うまくいっていない。

 そして、今後うまくいく見通しは絶望的だ。あの監獄城の取り合いだけならどうとでもできる自信があった。しかしアンナはこれから、国難を乗り切るためクロイス派の大臣を2人切り捨てるつもりでいる。

 対立の激化は必至。そこにリアン大公が入ってくれば、混迷はさらに深まる。いつまでもアンナが取ろうとしている政策に着手することはできない。

 手をこまねくうちに、国内には餓死者が溢れ出ることだろう。


「……」


 それ避ける道が無いわけではない。

 ……やはり、それを選ぶしかないのか。


「しかたないわ。マルムゼ、ボールロワ元帥をお呼びして」

「元帥を? ではまさか……」

「かくなる上は、例の計画を実行しましょう」

「本当に、よろしいのですね?」

「九割九分、決めていたことよ。覚悟ができなかっただけ……」


 自分に言い聞かせるように、アンナは言う。


「今こそ私の復讐を完遂する。リアン大公が絡んでくる前に、決着をつける!」


 例の計画。

 それは財務大臣、国務大臣の解任を皮切りに、クロイス公爵の宰相職辞任を要求し、一気に政権を奪ってしまおうというものだった。その際、リュディスの短剣を預かるボールロワ元帥に軍を動員させ、ヴィスタネージュ宮殿周辺に展開させる。ちょうど一年前、アンナとマリアン=ルーヌによって行われたクーデターを再び行うのだ。


「クロイスを失脚させれば高等法院もラルガ侯爵のコントロール下に収めることが可能になる。そうすれば、バティス・スコターディ城だって、地上を大公に、地下を私たちにと折半できるわ」


 もちろんそれだけでない、今年の災厄を乗り切る強力な体制を築き上げるためにも必要なことだ。


「上手くいきますか?」

「閣僚の中にも、私たちとの距離を縮めたがっている者もいる。彼らを取り込めば、クロイス下ろしは可能なはずよ。」


 そう言いつつ、胸の内には恐れがわだかまる。

 2年続けての政変。劇薬だ。女帝の意思にも反するだろう。

 出来ることならもっと時間をかけて、穏便にクロイス派の弱体化を進めたかった。今、力ずくでクロイスを排除すれば、大貴族たちとの確執は免れない。帝室から離反した彼らはどうなるか、自領に帰り私兵を動かすような事態になりはしないか?


「マルムゼ、ごめんなさい」

「は、いきなり何を?」

「私がこの体で目覚めた日の夜のこと、覚えてる? あなたは私にリュディスの短剣を見せ、これで軍を動かせと言ったでしょう?」

「ああ、そのようなこともありましたね」

「あの時、私は内乱を起こしかねないその案を短絡的な発想、と一蹴したわ。まさか私自身が似たような方法を選ぶなんてね……」

「その頃とは事情が違います」


 マルムゼは首を横に振る。


「今にして思えば、あの時あなた様が選んだ道は正解でした。ほとんど犠牲を出さずに、ここまできたのですから。それに、あなた様のお力で"獅子の王国"との戦争は終わり、"鷲の帝国"のゼフィリアス陛下からの信頼もお勝ち取りになった。当時あなた様が最も恐れていた周辺国の介入もないでしょう」

「マルムゼ……」

「最初にお誓いした通り、私はあなた様と道を共にします。その道が例え『悪』と呼ばれるものであっても、アンナ・ディ・グレアンにとっての正義であるならば」


 そう言うとマルムゼは腕を広げ、アンナの体を抱きしめた。アンナも全体中を彼に預け、広い胸板に半身を埋めた。

 2人はそのまましばらくの間、抱擁を続けた。

 そして、お互いの身体を離すと、ボールロワ元帥とラルガ法務大臣へ召集の使いを出すのだった。


 * * *


 3週間後。

 その日の早朝、ボールロワ元帥は、大規模演習と称して帝国軍第6軍団1万2000と、近衛師団1万、そして精鋭部隊である征竜騎士団1000名をヴィスタネージュ郊外の平原に展開させる。

 その配置はさながら大宮殿を敵城に見立てた半包囲態勢であった。しかもこの陣形は演習当日になって初めて発表されたものだ。

 元帥からこの布陣を指示された将兵たちから戸惑いの声が上がる。


「閣下。この陣形では、まるで我々が叛ぎゃ……」

「あくまで演習である」


 叛逆。その決定的な一言を第6軍団長が発する前に、ボールロワ元帥は遮るように言った。


「顧問殿の承認を得ているし、陛下のお耳にも入っていることだ。貴官らは何の心配もせずともよい」

「いや、しかし……」

「私からもよろしいでしょうか?」


 戸惑い顔の第6軍団長の横で近衛師団長が手を挙げた。


「我々近衛師団は昨年、白薔薇の間の政変においてヴィスタネージュの皇宮と各省庁を占拠しました。その行動自体にはなんの恐れも抱いておりません」


  彼は、ボールロワ伯爵が師団長だった時に副官を務めていた男だ。自分の上官が、今の情勢下で叛逆を目論むような愚か者ではないことをは知っている。が、それでも納得できないことがあった。

 

「ですが、作戦目標については明確にしていただきたい。これは一体何を想定した演習なのでしょう?」

「そうです、そこです」


 征龍騎士団の隊長も声を上げた。


「昨年のクーデターは皇妃の命令で行われたもので、正当性がございました。此度の演習は、顧問殿の承認を得ていると仰いましたが、それは本当に陛下やこの国のためになることなのでしょうか?」

「無論だ」


 ボールロワは答える。


「此度の延伸の目的は治安維持!何らかの理由でヴィスタネージュが混乱状態にあり、陛下の御身に危機が迫った時のためのものである!」


 3人の軍団長はごくりと唾を飲み込んだ。


「では、この陣形のままヴィスタネージュに入ること想定せよと」

「そうだ。厚遇や省庁には連絡員を配置している。彼らからの報告次第では突入もありうる。……とはいえ、あくまでこれは演習だ。いつでもそうすることができる体勢をとれるようにしておけば良い」


 3人の軍団長はいずれも百戦錬磨の軍人だ。元帥のその一言で全てを察した。

 2万数千の大軍が皇宮を半包囲している事が大事なのだ。それだけで、想定される敵は行動をかなり制限されることになる。

 そしてこのような演習が将兵にすら事前に通達される事なく、行われるということは、()()()()()()なのだろう。


 これは演習であって、演習ではない。


 今日、ヴィスタネージュで何かが起きる。

 女帝陛下の身が危うくなる可能性のある何かが……。

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