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第72話 "白夜の国"の軍人

「ダ・フォーリス大尉がお見えです」

「ありがとう、お通しして」


 舞踏会の数日後。アンナは、自身の執務室であるアザミの間に、彼を呼び出していた。

 取次役の侍従にドアを開くと、仮面の軍人が直立不動の姿勢で現れる。


「征竜騎士団 第5連隊所属、ダ・フォーリス大尉です!」

「お初にお目にかかります、大尉。アンナ・ディ・グレアンと申します」


 異装の男であった。

 首から下は非の打ちどころのない完璧な軍人の姿だ。征竜騎士団は、黒の軍服で統一されている近衛兵とは違い、揃いのタスキを掛けていれば、それ以外の服装は自由である。これは華美な陣羽織(シュールコー)や羽飾りで鎧を飾った魔法時代の騎士の装い名残で、軍人たちは仕立て屋に依頼して最高の一着をあつらえるのが慣わしとなっている。

 彼が着用しているのは、濃い紫色の上着とベージュのパンツで、派手ではないが格調の感じられる確かな仕立てだ。実直さと重厚さを備えた軍人らしい装い。首には光沢のあるシルクに金刺繍を入れたスカーフを巻いており、それによって華やかさも加えられている。

 そう。首から下は、完璧な出立ちなのだ。


 しかし目を引くのはやはり、その顔。鼻から上を覆う仮面だった。濃い色の金属製で、鏡面仕上げになるほど磨き上げられた表面が異質な輝きを放っている。

 先日、大広間の鏡の裏から覗き見た時は、この仮面の記憶しか残らぬほどに強い印象を与えていた。今も、こうして全身を意識的に眺めなければ、どんな軍服を着ているかなど頭に入ってこないかもしれない。それほどに、その仮面は異様であった。


「舞踏会での面白い武勇伝を耳にしまして、会いたいと思いましたの」

「はは……これは弱りました。まさか、かの顧問殿にまでそのように仰せとは」

「あら? 陛下にあのような事をなさったのですよ。私が興味を持たないと思いますか?」

「いや、それは確かに。先日は衝動的に過ぎたことをしてしまったと、反省している次第です」

「衝動的? まさか、あの口付けは陛下にも見惚れるあまり、咄嗟にしてしまったとでも?」

「恥ずかしながら、おっしゃる通りでございます」


 仮面の軍人はそう言って顔を伏せた。

 まさか、恋の駆け引きの手練手管などではなく、本当に欲求の赴くままに、頬にキスをしたと言うのか? それも、大陸随一の君主の頬に。


「……大した度胸ね」


 アンナは思わず、素に戻ってしまったかのような反応をしてしまう。


「憧れ、恋焦がれた陛下と手を取り合い、ダンスまでしたのです。それで、その……舞い上がってしまいまして……」


 仮面の奥の表情は読み取れないが、その仕草は本当に恥ずかしがっているようであった。


 なんなのだこの男は? 不気味な仮面にも、確かな仕立ての軍服にも不釣り合いな、恋に悩む少年のような態度だ。

 まるで貴族の家に出入りしている庭師の少年が、その家のご令嬢に恋をしてしまったかのような、そんな幼く純朴な姿を、この男に見てしまう。


「本気なの、それ?」

「はっ、はい! 不純であることを承知で白状いたしますが、私が征竜騎士団に入ったのも、陛下に恋し、想うあまりの事でありまして……」

「はぁ!?」

「実は昨年、我が国の大使の護衛としてこの宮殿に参内したときに、初めて陛下のご尊顔を拝したのです。その時、一目で恋に落ちてしまいました……。あのお方の力になりたいと思う一心で、大使の元を辞し、この国の軍に入隊しました」


 男は気恥ずかしそうに、そう告白した。


「確かに、入隊のおりにグスター大使に推薦状を書いてもらったようね」


 アンナは軍本部から取り寄せた書類の写しを見た。ダ・フォーリス大尉が入隊の際に届け出たもので、彼の経歴が記されている。


「"白夜"の国では海軍にいたそうね……」


 "白夜の国"は、"百合の帝国"のはるか北方にある国で、夏至の時期に太陽が沈まない夜が訪れることからこの名で呼ばれている。

 山々には巨大な氷河が存在し、平地は一年の半分以上を雪に閉ざされる過酷な土地である。そのため古来より交易、とりわけ海運が盛んであった。船乗りが多いと言うことは、自然と海軍も強くなる。

 魔法時代には、屈強な男たちが傭兵として大陸南部の戦争に参加したり、時には村々を襲い掠奪していたため「海賊が支配する国」と言われていたほどである。

 そんな歴史を持つことから、"白夜の国"の海軍は、北の海の覇権を握っていた。


「その仮面の下の傷は、海の戦で出来たのかしら?」

「はい。当時、隣国との戦争の際、乗っていた船が炸裂弾の直撃を受けまして……」

「その傷、見せてくださる?」

「は?」


 "白夜の国"の大使館が発行した文書だ。偽造の可能性が低いことは、アンナも理解している。だが、それでも仮面の下の素顔を確認しなければならぬと思っていた。


「ですが、それは……」


 ダ・フォーリスは戸惑う。


「どうしたの? 素顔を見たいと言っているのだけど?」

「それはどうか、ご容赦いただけませぬか?」

「なぜ? まさか顔に傷というのは嘘で、このきゅうていで素顔を知られるわけにはいかない別の事情があるのかしら?」

「め、滅相もございません!」


 仮面をつけた者といえば、"鷲の帝国"皇帝ゼフィリアスの側近であり、今はアンナのもとで錬金工房再建に協力してくれているゼーゲンがいる。

 彼女の場合、その素顔がアンナの腹心マルムゼと瓜二つであるため、それを隠すためにこの宮廷では仮面を着用しているのだ。


 もしや、この軍人が仮面をつけるのも同じ理由ではないのか? マルムゼやゼーゲンと同じ顔、つまりホムンクルスであることを隠すために、この異様な金属の仮面を用いているのではないか?

 仮にそうだとしたら、女帝がこの男に「光」を見たという話も辻褄が合う。


「別にあなたの傷を晒して笑いものにしようというつもりはないの。この部屋にはあなたと私しかいない。もちろん、陛下にあなたの傷の話をするつもりはありません」

「……わかりました。それでしたら、あなた様にだけお見せしましょう」


 観念したようにダ・フォーリスは言うと、仮面の横につけられている金具に手をかけた。


「……!」


 流石のアンナも、思わず言葉が詰まってしまった。

 顔に戦傷を持つ軍人を多く見てきた。が、それを武勲の証として誇りにしている彼らとは、根本的に異なる。

 鼻より上の皮が剥がれ肉が露出していた。さらに右頬骨が削れており、顔面が半分崩れてしまったかのような凄絶な容貌になっている。そしてまぶたが無く、剥き出しとなった右の眼球が真っ直ぐアンナの顔を見据えている。


「……ありがとう。もういいわ」


 アンナが言うと、ダ・フォーリスは再び仮面を装着した。


「このご命令は、これ一度きりとしてください。見ての通りですので、出来る限り人前に晒したくはないのです」

「ごめんなさい。あなたを辱めるつもりはなかったの。ただ……」

「存じております。それが陛下の腹心たるあなた様のお役目だとうことは」


 彼の口元が緩んだ。これでこの話はおしまいにしよう、言外にそう告げる微笑みだと思った。

 それを了解したアンナは、話を切り替える。


「陛下は、もっとあなたのことを知りたいと仰せです。もしよろしければ、またあのお方と会ってください」

「それは……! ありがたき幸せに!! あのようなことをしてしまったのに、許していただけるばかりか、またお会いくださるとは……!」


 やや芝居じみた、過剰な抑揚のことばで、仮面の軍人は自らの幸福を喜んだ。


 * * *


「昼間、君の上司に会ってきたよ」


 その日の夜。ヴィスタネージュ宮殿南苑。

 グリージュス公爵家居館の寝室に、一組の男女がいた。ちょうど睦み事を終えたばかりのようで、女の方は半裸でぐったりとシーツ上に倒れ込んでいる。男の方は、サイドテーブルに置かれた水を一息に飲んでから、女に向かってそう言った。


「じょう……し……?」

「もちろん我らが顧問殿さ、クラーラ」

「顧問殿にお会いになったのですか!?」


 館の主人グリージュス公爵クラーラは、その名を聞いて飛び跳ねるように半身を起こした。


「安心したまえ。もちろん君の話などしていないよ。向こうが知りたがっていたのさ。突如、陛下の前に現れた仮面の男の正体をね」

「……ウィダス様。もうこのような事は辞めましょう。今の私は顧問派の……」

「おっと、今の私はウィダスではない。"白夜の国"から来た軍人、ダ・フォーリスだ」


 そう言うと、男の顔面が大きく歪んだ。かつてこの国の戦争大臣として、何枚もの肖像画が描かれた顔が、昼間、アンナが見た凄惨な戦傷へと変貌していく。


「ひっ」

「そんな、怖がらなくてもいいじゃないか。顧問はしっかりと見てくれたよ。この魔法で見せている幻覚の顔をね」


 再び男の顔はウィダスのものとなる。


「あなた様はそうやって、アルディス陛下の影武者を作り、ルコット様にも取り入ったのですか……?」

「うむ……? まあ、そういうことになるな。あのデク人形に与えた異能、"認識変換"は、私の魔法をベースとしているからね」


 男は、クラーラに彼女の体を抱き寄せる。


「お願いです。あなたを陛下に紹介することで、ルコット様への義理は果たしたはず。もう私を自由にさせてください……」

「ずいぶん勝手なことを言うじゃないか、ついさっきまで二人で燃え上がったというのに」

「それは、あなたが無理矢理……」


 抗弁しようとするクラーラの唇を男の唇が塞ぐ。それで、彼女は抵抗する意欲を削がれ、ぐったりと力を抜いてしまった。


「人を暴漢のように言うのはいささか心外だな。俺は君に無理強いなどした覚えはないし、そもそも最初に誘ってきたのは君ではなかったか?」

「……」

「俺の言うとおりにすれば、今以上の立場を約束する。最初にそう言ったではないか? マリアン=ルーヌを正妃に、そして君を寵姫に、と考えていたがその逆でもいい。真の"百合の血筋"による帝国繁栄に礎となってもらいたいのだよ」

「……そのような調子のいいことを。私だってわかっています、そんな約束が何の意味も持たないことぐらい」

「ならば、今すぐグレアン家に駆け込めばいい。俺は女帝をたぶらかし、帝座を奪おうとする大悪人だ。今すぐ顧問のために正義を遂行したまえ」

「……」


クラーラは何も言えずにいる。


「それが出来ないのは、あの女が憎いからであろう? そして、大貴族が宮廷を支配していた、あの女が現れる前の宮廷が懐かしいからであろう? ならばもう少し、俺に従っているといい。悪いようにはしないさ」


 ウィダスであり、ダ・フォーリスであり、そして"百合の帝国"の正統なる後継者である男は、そう言うと口元を大きく歪めて笑みを作った。

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