第62話 ラ・コンセイヤ・アンナ
女帝マリアン=ルーヌの戴冠式の3日後、寵姫ルコットが出産が発表された。
誕生は4日前。つまり、戴冠式の前日だったという。
「どう思う、マルムゼ?」
連絡を受け取ると、アンナはまず腹心に尋ねた。この頃のアンナは、なにかの連絡を受けた時、まずマルムゼの考えを聞くのが習慣となっている。
「1日前というのは怪しいですね。もし本当なら、その日のうちに嬉々として発表したでしょう」
「確かにね。もっとも、その発表だけで戴冠式を中止する事はありえないけれど」
正確な誕生日は、戴冠式と同日か1日後くらいといったところか。前日の誕生というのは、向こうにとっても、言うだけ言ったみた程度の意味しかないだろう。
「ただ、戴冠式とほぼ同時というのは人為的なものを感じます。元々この出産自体が、錬金術師によって制御されたものですから。もしかしたら本当に戴冠式前の出産を狙っていたのかもしれません」
「もしそうなら、連中は赤子のホムンクルスをただルコットの元に届けたのではないわね」
それならば、絶対に戴冠式より前に「出産」させるはずだ。つまり、彼らは詳細な出産日時を自由に選べない事になる。
「もしかしたら一度胎内に入れ、実際に出産を演じさせるような術を持っている……?」
おぞましい話だ。しかし稀代の錬金術師なら、そのくらいの芸当が出来てもおかしくはない。
「……結局、コウノトリの正体は掴めなかったのね?」
コウノトリとは、アンナたちが使っている隠語だ。ルコットの御子となるホムンクルスを用意し、出産を偽装する錬金術師のことである。
アンナはかなり前から、ルコット周辺の調査を行っていたが、結局何の手がかりも得ることができなかった。
「はい。ルコット自身が、帝都郊外の山荘に移ったことまでは突き止めたのですが、思いのほか警備が厳しく……申し訳ありません」
「謝る必要はないわ。あなたに出来なかったのなら、他に誰にもできない任務だったということでしょう」
アンナはにこりと微笑んで、マルムゼの失態を許す。
甘いだろうか、今私は恋人だから彼の失態の許してしまったのだろうか? そんな自問をするが、すぐにそれを否定する。
いいえ。今言った通り、これまで様々な調査や隠密任務に成功してきたマルムゼなのだ。今回の失敗は、そんな彼ですら難しい任務だったというだけだ。
「けど、あなたに隙を見せないなんて、クロイス家の警護担当はかなりの人物ね」
「昨年の暮れあたりから急に守りが固くなりました。ただの警護ではありません。出入りする人間を監視し、徹底的に情報が漏れる事を避けていました。周辺の住民も買収や脅迫でクロイス家に協力していた節があります」
「衛兵というより密偵のやり方ね、それは」
「はい。私もそのように感じました」
「その密偵が守りではなく攻めに動けば、こちらも危なくなるかもしれない。警戒しておいた方がいいわね……」
それほど腕利きがクロイス家にいるという話はこれまで聞いたことがない。向こうの内部にも、何か変化が起きたということか?
アンナは頭の中の「懸案事項」とラベリングされた棚にこの件を置き、元の話題へと頭を切り替えた。
「それで、御子誕生の報せを貴族たちはどう思うでしょうね」
「戴冠式をクロイス公は欠席しました。今にして思えば、御子の誕生が近かったからなのでしょうが、これに対しては評価が二分しています」
「へえ。どんなふうに?」
「一方では、宮廷にとって最も重大な儀式である戴冠式を蹴った、クロイス公の豪胆さを評価する声。帝国の最重鎮であるクロイス家の権勢は健在であり、彼は新女帝の即位を内心では認めていないとするものです」
多分、クロイスもそういう声が上がることを計算づくで欠席したのだろう。アンナはそう考えている。
「で、もう一つの声は?」
「クロイス公のそういったた思惑を承知の上で、それを非難する声です。時代は変わったのにまだ全貴族の主席を気取るのかと、彼を苦々しく思う者が着実に増えています」
「前者は当然、クロイス派の中核層が言っているのでしょうけど、後者を口にしているのは?」
「バラバラです。我々皇妃派陣営にいる貴族はもちろんですが、その他の中小貴族の中にも公然とそう発言するものが増えています。それに。閣僚やそれに近い大貴族の中にも……」
「なるほど」
勢力としては今なお現在だが、クロイス公の求心力は確実に落ちているようだ。
「確実にこちらの優勢は固まってきているわね。油断は禁物だけど」
「はい、今回の戴冠式と出産で、それらの声がどう変化するか注意する必要があるでしょう」
その時ドアをノックする音が聞こえ、続けて室外から声がかけられた。最近アンナにつけられた秘書官だ。
「顧問閣下。"鷲の帝国"の副代表が面会を求めておられますが」
「ええ。約束しています、すぐに行くわ」
アンナは応答する。
マリアン=ルーヌの戴冠とともに、アンナの役職も変わった。
顧問。
前職の皇妃家政機関総監と比べてあまりにも単純な名称となったのには理由がある。
まず前例のない役職であった事。
皇妃家政機関総監は、皇妃自身が主催する行事を差配するのが役目だが、皇帝の場合、自身が執り行う催しはそのまま国事となる。そのため、もし『皇帝家政機関総監』という役職があったとすれば、それは大臣級の権力を持つ役職となるのだ。
加えて、アンナはこれまで皇妃マリアン=ルーヌの私的なアドバイザーとしても活動していた。また皇妃の私生活の場である皇妃の村里の管理人のような立場でもある。
これらマリアン=ルーヌとアンナの関係性は全く変わらないままに、マリアン=ルーヌが女帝となった。それに従って、アンナの地位も押し上げる必要があった。
以上のような理由で、アンナの役割の幅を狭めるような所属や権限の限定をつけず、ただの「顧問」がアンナの役職名となった。
だが、この唯一無二の職名とその呼びやすさのために、これ以降の公式記録では「グレアン侯爵」や本名の「貴族グレアン家のアンナ」ではなく「顧問アンナ」と記されることが多くなる。また、"百合の帝国"の国民たちも、貴族特有の飾り気がないこの呼び方を好んで用いるようになっていった。
* * *
マルムゼを引き連れて隣の間へ移動すると、すぐさま仮面の女性が挨拶をしてきた。
「改めて女帝陛下のご戴冠と、新たな役職へのご就任おめでとうございます。グレアン侯爵閣下」
「ご無沙汰しております、ゼーゲン殿。こちらこそ、遠路はるばる戴冠式にご出席いただき、ありがとうございます」
部屋にいたのはゼフィリアス2世の護衛を務めるホムンクルスの女性、ゼーゲンであった。他に2人の人物が同席しており、アンナたちに挨拶する。
マルムゼと同じ顔を持つゼーゲンは、いたずらに詮索される事を避けるため、この宮殿内では仮面をつけている。それは前回の来訪から変わっていなかった。
「それにしても意外でした。ラルガ侯爵受け取った貴国の代表団の名簿にあなたの名が入っているとは思ってもいませんでしたので」
ラルガはアンナの期待通り、帰国命令に従うとともに戴冠式に列席する代表団を連れてきた。その中にゼーゲンは副代表として混ざっていたのである。
「先帝陛下……いえ、マルムゼ=アルディスの訃報を聞いた時より、我が君ゼフィリアスは私をこの国に派遣する事を考えておりました。ゆえに護衛の私が不在でも問題ないように、昨年のうちに国内の不穏分子は残らず叩き潰しています」
平然と、ゼーゲンはそう言ってのけた。マルムゼと同じかそれ以上の忠誠心を持つ彼女は、おそらくゼフィリアス帝の安全のためならどんな事だってやる。彼女の留守中に主君が襲われるなどあってはならない事なのである。だから今の話は、誇張ではないのだろう。
「それで、この2人が?」
「はい。我が国で最高の技能を持つ錬金術師です。それにホムンクルスの私を含め3人。先のお約束通り、貴国の錬金工房立ち上げにご協力いたします」
「ありがとうございます!」
アンナは深々とお辞儀をし、謝意を示した。
「ご存知の通りあの和平条約以降、我が国の情勢は激変しました。そしてその裏には錬金術が大きく絡んでおります」
「ええ。我々もそれについては察しております」
「手紙には書けぬような事も数多くあります。例の場所まで馬車を用意させましたので、道中でそれをご説明しましょう」




