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第61話 戴冠式

 年が明けてまもなく、帝国東北部の都市ライアンドラにおいて、女帝マリアン=ルーヌの戴冠式が行われた。

 この街は、初代皇帝リュディス1世が、竜討伐の旗揚げをした地とされている。そのため歴代皇帝は、この町で戴冠式をが行うのが慣わしとなっていた。


 "百合の帝国"の長い歴史の中でも、初の女性君主である。しかも嫡子ではなく、先帝の未亡人が戴冠するのだから、長年のしきたりにそぐわないことも色々出てくる。

 それらの解決のため、宮内省は昨年以来ずっと戦場のような有り様だった。宮内大臣ベレス伯爵が「病気」を理由に退陣したことで指揮系統に混乱も見られ、戴冠式の準備は困難を極めた。


 そのためアンナは宮廷の庶務の大半を女官長グリージュス公爵に任せ、自らは宮内省におもむき陣頭指揮をとることになったのである。


 例えば、帝室の需要な行事については皇族や元閣僚などの重鎮による「典礼委員会」なる組織が招集され、アドバイザーとなる慣例があるのだが……。


「典礼委員会はまだ召集できないの?」

「それが、未だ皇妃様のご即位に反対する長老が何名かおりまして……」

「誰? 私が直接説明に行きます。場合によっては解任もやむを得ません!」


 例えば、式典での新帝の衣装は細かく定められており、その多くは、代々受け継がれたものを宮内省が管理していたのだが……。

 

「ご戴冠の際に、陛下が羽織るマントですが……先々帝より受け継がれているマントは当然、男ものでして……」

「それを女帝陛下に着せても良いか……ということ?」

「はい。女性が公の場で男装することをタブー視する者も多いですし……」

「では、列席者に新しい時代が来たことを印象づけるためにも、新しいものを用意しましょう」

「ですが今から仕立てるとなると生地の調達が間に合いません」

「先帝アルディス3世陛下の戴冠式で、女帝陛下がお召しになっていたものが残っているはずです。その装飾を施し直せば、年内に間に合うでしょう?」


 例えば、諸外国の代表団招待についても……。


「最悪でも、"鷲の帝国"と"獅子の王国"の代表団が参列しなければ、国際社会に認められません。外務省は一体何をやっているの?」

「それが、外務省にいくら問い合わせても、調整中だという回答ばかりでして……」

「外務大臣のルベーヴ侯は何をやっているの?この期に及んで、足を引っ張る気……?」

「いかがなさいましょう?」

「わかったわ。ラルガ侯爵を"鷲の帝国"から呼び戻します!」

「は? ラルガ大使を、ですか?」

「彼の方がよほど外務大臣にふさわしいわ」

「ま、待ってください! 今、閣僚人事を強行すれば大混乱に……」

「わかっている。ラルガ侯爵が帰国するというニュースだけで、ルベーヴは震え上がって真面目に仕事をするはずよ」

「つまり、ハッタリと?」

「ええ、そうよ。でもラルガ侯爵の事だから、帰国ついでに"鷲の帝国"の代表団を連れてくるくらいするかもね」


 その他諸々、あらゆる事について……。


「駄目ですグレアン侯! 今のペースではとても年内に準備は整いません……せめてひと月は延期しないと……」

「いけません。戴冠式より前に、ルコット寵姫の御子が生まれれば、後継争いは振り出しに戻ります。年明けの挙行は絶対です」

「しかし、現実問題として……」

「では今から私が全部署をまわり、調整します。何が何でも間に合わせるのです……!」


 新女帝お披露目の食事会や、ベレス伯爵とペティア夫人の審問と並行し、アンナはこれらの仕事を行なってきたのだ。

 流石の彼女も疲労の極致に達していた。


 (これが終わったら、休暇をとろう。それで、マルムゼに思い切り甘えて、癒してもらうんだ)


 ライアンドラ大聖堂に勢揃いした廷臣たちの先頭で、アンナはそんな事を考えながらあくびを噛み殺す。こんなところで隙を見せて、新帝の懐刀という立場に疑問を持たれてはたまらない。


 正面の大扉が開き、会場の全員の視線がそちらに集中した。新女帝の入来である。

 この数ヶ月、皇帝の未亡人として公式の場に出ていたマリアン=ルーヌは、久しぶりに喪服以外の衣装に身を包んでいた。


 純白のシルクに金の刺繍で百合の花をあしらったドレスは、帝都でも十指に入る仕立て屋を10人残らず呼んで、総がかりで作らせたものだ。

 その中には某国の王太子の花婿衣装の取り掛かっていた仕立て屋もいたが、それ中断させてまでこちらの仕事をさせている。

 あわや外交問題にもなりかねない所業だが、アンナが当国の大使と交渉して丸く収めた。


 宮内省で大騒ぎとなったマントも、中古の仕立て直しとは思えないほど立派なものとなった。このマントは、成人男性の背丈の5倍ほどもある長大なもので、精緻な刺繍とおびただしい数の宝石で彩られている。

 重量もかなりのもので、後ろで何人もの介添人がマントを支えていなければ歩くこともままならないほどだ。


 介添人といえば、盲目の新女帝の手を取って王冠まで案内する役は、アルディス3世の妹である皇女ユーリアが務めることとなった。

 マリアン=ルーヌ本人はアンナが手を取ることを希望したのだが、流石にアンナはこれを辞退した。戴冠式でそんな事をすれば、クロイス公爵以上の専横と取られかねない。

 自分は、あくまで家臣の一人として列に並び、介添人には皇族の中で最も身分の高い女性であるユーリアを選んだ。

 当のユーリアは最初はその話に猛反発したのだが、皇弟リアン大公の説得で渋々承諾したらしい。

 当然といえば当然なのだが、新女帝と皇族たちの間の溝が深い。今回の件を、その溝を埋めるきっかけにしたいともアンナは考えていた。


 無表情のユーリアに手を取らたマリアン=ルーヌが、アンナの前を通り過ぎる。その時、アンナは気づいた。


(見えている?)


 新女帝の足取りは、かすかだがいつもより迷いがない。もしかしたら、ユーリアの先導など必要ないかもと思わせるほどに。


(ああ、そうか。王冠の放つ魔力を見ているのね)


 どうやら彼女は、魔力を光として知覚できるようになったらしい。本人が言うには、アンナの異能にかかった影響とのことだが真偽はわからない。もし本当だとすれば、"鷲の帝国"皇帝の血筋が秘めていた力だろうと、アンナは推測していた。


(何にしても、今は都合がいい。事情を知らない列席者たちは、あの足取りを君主にふさわしい覇気ととらえてくれるでしょう)


 そう考えながらも、アンナは血筋とは何なのだろうと思わざるを得なかった。

 先日ペティア夫人より聞かされた、この国の忌まわしい裏の歴史。かの名君・黄金帝は悪逆なる簒奪者であり、その子孫たちはいずれも偽物の皇帝であった。

 しかしその偽りの継承者たるアルディスも何者かに殺され、ホムンクルスに帝位を奪われてた。

 そして今、この国の冠を戴こうしているのは、他国の皇族である。しかし魔力を認識できる彼女は、ある意味では過去100年のどの皇帝よりも、リュディス1世に近い資質を持っているとも言える……。


(いや、馬鹿な。支配者の資質とは、魔力でも血筋でもない。民を統べ、国に安寧をもたらす才覚よ)


 そして、マリアン=ルーヌにはその才覚があると、今のアンナは信じている。彼女を支え、この国にはびこる貴族たちの悪習を一掃し、公正な社会を築く。

 それが、エリーナやアルディスを殺した者たちに対する復讐であり、自分の生きる道だ。アンナはそう信じていた。


(とはいえ、ペティア夫人の話を捨て置くことはできないわ)


 あの話がどこまで本当かはこれから裏付けをとっていかなくてはいけない。それに彼女の知らない事実だってあるかもしれない。それらを明らかにすることは、アンナやマリアン=ルーヌの敵対者を炙り出すことになるだろう。

 そして、そのためには錬金工房の復活は急務だ。錬金術師を集め、真の皇族たちの安息の地でであり全ての黒幕たる大錬金術師の本拠であろうサン・ジェルマンなる地を調査させる必要がある。


 この戴冠式が終われば、アンナは様々な雑務から解放される。明日にでも、職人街の工房跡地に行って……。


(あれ?)


 そこまで考えて、アンナははたと気づいた。


(私、明日から休暇取るつもりじゃなかったっけ? なに仕事しようとしてるの?)


 そう思って心の中で苦笑する。前々から自覚はあったが、どうも自分は休めない性分らしい。

 そろそろ過労死してもおかしくないくらい動き回っているのだが、ホムンクルスの頑丈な身体はまだ持ちこたえてくれている。

 まあ、いい。マルムゼに甘えるのは夜の楽しみとし、夕方までは工房再建の仕事に取り掛かることにしよう。


 そんな風に、頭の中で明日の予定を立てていると、わあっと歓声があがり、万雷の拍手が大聖堂を満たした。


 見ると、いつのまにかマリアン=ルーヌがその頭に「竜退治者の冠」を戴いていた。どうやら考え事をしているうちに、世紀の一瞬を見逃してしまったらしい。


「女帝陛下万歳!」

「"百合の帝国"万歳! マリアン=ルーヌ陛下万歳!」

「新たな皇帝に栄光あれ!」


 そんな叫びが、波のように押し寄せてくる中、王冠を戴いた盲目の女性は堂々として姿で廷臣たちの前に立っていた。


 こうしてアルディス3世の皇妃マリアン=ルーヌは、名実ともに"百合の帝国"の皇帝となったのである。

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