第43話 職人街再建
帝都には6つの市門がある。
帝国建国時には街の周囲をぐるりと囲っていた城壁は、市域の拡大とともに取り壊され消滅したが、門だけは移築され今も残っている。
それぞれ現在の市域の外れにあり、今も程度の玄関口として機能している。
「えっ?」
南西の市門をくぐる手前から、アンナは賑やかな気配に気づき、馬車の窓を開けた。
2年前、アンナの肉体を得てから初めて通ったのがこの門だ。あの時は絶望に打ちひしがれたのを覚えている。大火で焼け落ちた職人街はスラムに成り果て、中央にあった錬金工房は広大な更地と化していた。エリーナが生まれ育った故郷は無惨な姿に朽ち果てていたのだ。
それが今、活気に満ちた人の声と、金槌やノコギリの音で溢れかえっていた。
「すごい……こんなに人が戻ってきていたのね」
馬車を降りたアンナは、その喧騒を聞きながら心を打ち震わせていた。
焼け落ちた家々の瓦礫は取り払われ、そこに新しい家を建てるための柱が組まれている。そして人々の顔には正気が宿り、せわしなく動き回っている。
「すべて、あなた様の功績です。アンナ様」
「そんな。私はまだ何もしていないのに」
いずれは、職人街を再建するつもりでいた。が、今の時点でまだ何も着手していないのだ。
それなのに、人々がこの廃墟に集まり、一から街を再建しようとしている。
「錬金工房跡地で行われていた貴族の悪事を暴き、"獅子の王国"との戦争を終わらせた。どちらも、あなた様が成し遂げたことではありませんか」
話は"皇帝の小麦"に関する一連の事件まで遡る。
先代グリージュス家当主で、あの女の夫だったグリージュス公爵は、軍の物資を横領し、工房跡地の地下に隠していた。
劇場建設予定地という名目で立ち入り禁止になっていた広大な更地が、大貴族による悪事の拠点とされていた。この事実に元住人は怒り、小規模な暴動が発生したらしい。
だが当時、帝都防衛総監だったラルガ侯爵は、彼らを弾圧せず、一部の暴れ者の逮捕だけで済ませてしまった。事を穏便に済ませたい帝都市長も住民の行動を黙認し、更地には人々が居着くようになったそうだ。
そして戦争の終結。これによって、前線に駆り出されていた男たちが戻ってきた。彼らは仕事を求め、かつて帝都の経済を下支えしてきた職人街に集まってきた。
こうして、歴史ある帝都職人街の再建が急速に進み出したのだ。誰の主導でもなく、民衆たちの意志によって。
(確かにあのふたつの事件はきっかけになったのかもしれない。でも、活気は私が生み出したものではないわ)
絶え間なく続く復興の音は、アンナの心を強く震わせていた。
「失礼ですが、グレアン侯爵閣下……でございましょうか?」
突然、声をかけられた。とっさにマルムゼが、アンナの身をかばう姿勢をとる。その俊敏な動作に、声の主は動揺したようだ。
「あっあの、すみません! 突然お声がけなどしてしまい!!」
「あなたは……?」
その顔を見て、アンナは心臓が止まる思いがした。
「ケン……」
「私、ガラス職人のケントと申します。この街の再建のまとめ役のような事をしております」
「あ……は、初めまして……グレアン侯爵アンナです」
あぶなかった。本来、アンナ・ディ・グレアンはこの男と面識があってはならないのだ。相手が先に名乗った事によって、アンナはその人物の名を呼んでしまう失態を避けることができた。
(最後に会ったのはいつだったかしら。すっかり大人……というより、おじさんね)
私と同じ年齢だから……もう30歳を超えているはずだ。アンナは、少年の頃の面影が残るその髭面を見て、前世の記憶を懐かしんだ。
ケント。彼は、この職人街で一番大きなガラス工房の跡取りで、エリーナの幼馴染だ。
* * *
「それにしてもよく私だと分かりましたわね?」
「このような場所にお越しくださる貴族……それもご婦人となると、侯爵様しかいらっしゃらないだろうと、そんな確信がございました」
ケントは自分のガラス工房へと案内してくれた。ここがは今、職人街再建のための拠点となっており、商工会議所を兼ねているのだという。
「ここでいいわ」
玄関を抜けてすぐの場所にある工房で、アンナは足を止めた。
「ここですか? 食堂ならテーブルや椅子もあるし、いくらかおくつろぎできると思うのですが?」
「いいえ、こういう空気が好きなのよ。ここでお話がしたい」
アンナは中央に据え置かれた炉や、その周辺に配置された作業台、道具置き場などを眺めた。工房自体は新築だが、どこか懐かしい。ケントの父親の工房と同じ配置だ。
「この炉は、石炭で動かす最新式ね」
「お詳しいのですね! ええ、錬金術を応用して作られているものです!」
「高かったのではなくて?」
「実は軍からの払い下げ品なのです。私は前線近くの街で、軍属として物資製造をやっていましたので」
「ということは、もしかしてエイダー男爵が?」
前線からの撤兵は、ラルガ侯爵の息子であるエイダー男爵が指揮していた。
「はい。男爵様に、帝都に戻って職人街を再建したいという話をしたら、この炉を持ち帰れるよう取り計らってくれたのです」
「そうだったのね」
アンナは心の中で喝采した。やるじゃないか男爵。きっと彼は、不要となった軍備をこうして、兵や軍属たちに手土産として持ち帰らせているのだろう。疲弊した彼らの新たな生活が少しでも楽になるように。
「ところで……実は侯爵様のお知り合いが、この街にいるのですが、会っては下さいませぬか?」
「私の……知り合い?」
アンナは首を傾げる。このケントのように、エリーナの顔見知りは何人もこの街にいるだろう。けど、アンナを知る人物とは、いったい誰のことだ?
「ダン! 隠れてないで入ってこい!」
ケントが叫ぶように呼びかけると、工房の入り口から、おずおずと1人の男が入ってきた。
「あなたは!」
横に控えていたマルムゼが、何も言わずに半歩前に歩み出た。剣の柄には手をあてている。何かあればすぐに斬りかかれる態勢だ。
「大工のダンです……覚えていらっしゃいますでしょうか?」
小さく身を縮こませ、押し黙っている男に変わって、ケントが彼の紹介をする。
「……覚えています」
アンナが廃墟と化したこの地を訪れた時に襲いかかってきた強盗の1人だ。エリーナとしても知っている顔だったから、マルムゼに殺すなと命じて逃してやった。
「あ、あの時は……す、す、すみませんでしたあ……っ!」
ダンは弾かれたように勢いよく地面に伏せ、絞り出すような声で謝罪した。
「彼は腕利きの大工でしたが、自暴自棄になっていた時期がありました。そんな時にお会いしたあなたに謝りたいと、いつも言っていたのです」
「あの時は、何もかも無してしまって……何もかもが憎くて……それであんな事を……」
とめどもなか溢れてくるダンの後悔の言葉を、アンナは黙って聞いている。
「あなた様がここで行われていた大貴族の悪事を暴いたと聞き、あの時会ったお方 だとすぐに気がつきました。それからオレは……オレは……」
ダンが伏せる地面に涙が落ち、黒いシミが作られている。みるみる広がっていくそれを見て、アンナはそれが彼の心からの後悔であることを理解した。
「わかりました。顔をあげてください、ダン」
意識的に穏やかな声で、アンナは大工に語りかける。
「当時の職人街の状況や、あなたの境遇を思えば、悪事に手を染めるのも仕方なかったのでしょう。けど、だからと言って全てを水に流すわけにもいきません」
「それは……もちろん! もちろんです! どんな罰でもお受けします!」
「では、私を手伝ってください」
「へ?」
ダンは顔を上げ、きょとんとした表情でアンナを見つめた。
「ケント、彼は腕利きの大工だと言いましたね?」
「ええ。この工房をはじめ、ここの建物の多くはこいつの指揮で建てたものです。個人の力量はもちろん、親方としての才覚もありますよ」
「ならば、その腕をふるって皇妃様の館を建ててください。それがあなたに下す罰です」




