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第35話 和平成立

 半年後。ヴィスタネージュ宮殿大広間。


 "百合の帝国"皇帝アルディス3世と、"獅子の王国"全権代表ケレス伯爵、そして仲介人である"鷲の帝国"皇帝ゼフィリアス2世が条約文書にサインしていく。三者のサインが記された文書をゼフィリアス帝が掲げると、大広間に万来の拍手が巻き起こった。


 こうして百年近く続いた、"百合の帝国"と"獅子の王国"の戦争は終結した。


「この条約は、会戦でいずれかが勝利するたびに結ばれてきた、これまでの一時的な休戦とは違う。完全な戦争の終結だ」


 調印後にアルディスが演説を行う。


「かつてこの大陸は悪しき竜の王が支配する暗黒の世界だった。この竜を討ち、平和を築き上げた英雄達がいる。我ら3カ国をはじめ諸国の王侯たちは皆、彼らの末裔だ。今こそ我々は始祖たちの理想を思い出し、平和な世界を作らねばならない!」


 理想論ばかりを並べ立てた内容。アンナはそれを聞くクロイス公の顔を見た。

 彼は"百合の帝国"代表団の一人として、皇帝の後ろに立っている。


(どんな気分で、この演説を聞いているのでしょうね?)


 百年に及ぶ戦争で最も利益を得ていたのがクロイス公爵家だろう。彼らは代々、占領地の略奪品を独占し、武器商人たちに投資し、さらにはグリージュス公のような者を利用して軍の物資を横領していた。

 そうやって得てきた富の蓄積が今の彼らの権勢を支えてると言ってもいい。それが突如終わってしまったのだ。心穏やかであるはずがない。


 ゼフィリアス帝が和平案を持ち出した時、当然クロイス派は反発した。

 友好国にあるまじき変節、断交も辞さない。そういきり立った大臣もいたという。


『断交? 貴国と縁を切りたい気持ちを抑えているのは余の方である!』


 ゼフィリアス帝は初っ端から、彼が持つ最強の武器を手にしたそうだ。妹に対する不誠実な待遇を責め、それでも"鷲の帝国"側が歩み寄っているのだ、という姿勢を示した。

 "鷲の帝国"は、戦争を好まぬ代わりに、皇族の多くを各国の王侯貴族たちと結婚させたり、養子に出したりすることで勢力を築き上げた国だ。


 ゼフィリアス帝の先祖たちは代々、「戦争は他国に任せ、我らは結婚せよ」という家訓に従ってきた。今では、大陸の半数近くの国が、"鷲の帝国"と親戚づきあいをしている。

 マリアン=ルーヌ皇妃の不遇は、それらの国全てから非難を浴びることとなる。


『余は貴国の孤立を望まぬ。だからこそ、"獅子の帝国"との講和も勧めているのです』


 そう言ってゼフィリアス帝は、クロイス公を追い詰めた。


 一方その頃、軍部でも終戦を求める動きが出始めていた。ラルガ親子が動いたのだ。

 軍人とは本来戦いを望むものではあるが、百年にも及ぶ戦いは、さすがに彼らの戦意を減退させていた。前線では、公然とクロイス公の対"獅子の王国"政策を批判する声が起こり、反乱を示唆する者まで出始めた。


 すると今度は、戦争大臣ウィダスがそれらの声を潰すために動き出したが、それも即座に止められてしまう。

 皇弟マルフィア大公に関する極めて不穏な噂が流れたのだ。"百合の帝国"の軍権を象徴する至宝「リュディスの短剣」は実は皇帝の手元にはなく、マルフィア大公リアンが所有しているというものだった。

 リアン大公は肯定も否定もしなかった。だが実際、皇帝の手元に短剣はないのだから、ウィダスもアルディス帝本人も、軍内の反戦の声を止めることができなくなった。


 こうして"百合の帝国"首脳部が混乱に陥っている間、ゼフィリアス帝は帰国をとりやめてヴィスタネージュに居座ってしまった。彼は日ごとに和平を求める声を強めていき、最終的にはラルガ侯爵を含めた和平交渉団を"獅子の王国"へ送る確約をクロイス公から取り付けることに成功した。


 そして数ヶ月の交渉を経て、このヴィスタネージュ和平条約の締結に至ったのである。


 * * *


「実現したわね、アンナ。あなたの計画が」

「皇妃様」


 式典が終わり、宮殿のバルコニーで休んでいるとマルムゼに手を引かれた皇妃が現れた。


「ありがとう、マルムゼ殿」


 皇妃は、アンナの腹心に向かってにっこりと微笑む。どうやらバルコニーの入り口に控えていたマルムゼに、ここまで案内してもらって来たようだ。


「それでは皇妃様、伯爵閣下、私は廊下に控えておりますのでごゆるりと」


 マルムゼは一礼すると、また中へと戻っていた。


「ベルーサ宮であなたが話した筋書き通りで驚きました。あなたが和平交渉団に入らなかったことは意外でしたけど」

「私のような新参貴族、大した力にはなれなかったでしょう。和平の実現はラルガ侯爵の人徳と粘り強い交渉があったからこそです」

「謙遜しないで。今回の事であなたの実力を認めた人は多いでしょう。きっと、宮廷の役職を得ることができますわ!」

「それは、どうでしょう」


 皇妃は善意の人だ。宮廷の人間社会が持つ悪性にあれだけ晒されながら、それに染まることがない。手柄を立てれば相応の見返りがあると本気で信じている。

 実際には逆だろう。今回のことでクロイス派は、アンナを極力政治の舞台から遠ざけようとするに違いない。

 ラルガ侯爵やリアン大公との結びつきを断ち切るために、帝都を離れることになるかもしれない。あるいはヴィスタネージュの宮廷内において、常に監視されることになるか……。いずれにせよ、次の一手を打つ必要があると、アンナは考えていた。


「皇妃様こそ、ありがとうございます」

「え? なんのことかしら?」

「あの時、ゼフィリアス陛下にお口添えしてくれたのでしょう。私の提案に乗っていただくように」

「さすがね。わかっていらしたのですね」


 やっぱりそうだったか。


「兄は曲がりなりにも一国の皇帝、あらゆる損得を考えて行動しなければならない人。ですがベルーサ宮で、わがままを申し上げましたの。アンナの……私の最愛の友人の力になってほしいって」


 ゼフィリアス帝とは考えが一致することも多かったし、錬金術の裏側を知るもの同士と言う共通点もあった。だから、最終的には味方につけられると考えてはいたけども、これだけスムーズに事が運んだのは、皇妃の口添えがあったからこそだ。


「アンナ、あなたは私が諦めていたものをすべて与えてくれた。二度とみられないと思っていた庭園の景色、ともにお茶会で笑ってくれる友人たち、それに家族との再会……」

「与えたなど……。すべて皇妃様が持っていて当然のものです」

「ううん。この宮廷でそれをすべて用意してくれたのはあなただけ。だから、約束します。何があろうと私はあなたの味方だって」

「皇妃様?」

「例えあなたが、恐ろしいことを考えていようと、私は構わない。あなたを助けます。それが私の恩返しと思って下さい」


 恐ろしいこと? まさか……復讐心を見透かされている?

 アンナはほんの数瞬だけ焦る。

 が、すぐに落ち着きを取り戻した。違う。皇妃のこの態度は、全幅の信頼をおいている証だ。

 アンナが完全な善意で皇妃に寄り添っているわけではないことを承知した上で、味方になるというのだ。


「もったいなきお言葉です。私のようなものを、そこまで想ってくださるとは有難き光栄にございます」


 アンナは頭を下げつつ、胸中では会心の笑みを浮かべていた。


(本当に純粋で、優しい人だ)


 そして愚かな人でもある。上に立つものはここまで家臣に心を許してしまえば、あとは家臣による専横が始まるだけだ。

 

 この人の人間性はとても好ましいものだ。一人の友人として末永く付き合っていきたいとも思う。

 しかし、同時に公人としてこれほど手玉に取りやすい人はいない。復讐と野望のため、利用させてもらおう。


「本当に仲が良いのだな」


 その時、背後で声がした。よく知っている声。


「え……?」

 

 振り返るとそこには皇帝アルディス3世が立っていた。


(いつの間に?)


 背後には表情をこわばらせたマルムゼがいる。皇妃と同じように、アンナのもとまで案内を命じられたようだ。

 

「まぁ、陛下。そうですの、アンナは私の第一の親友ですわ。ねぇ、アンナ?」

「は、はい……」

 

 皇妃の嬉しそうな声。アンナは慌てて居住まいを整え、深々とお辞儀をする。


「皇帝陛下。此度の式典、誠にお疲れ様でした。我が帝国が新たな道を選んだこと、大変喜ばしく……」

「いや、よい。そのような堅苦しい言葉。それに今回の和平は、そなたが描いたものであろう?」

「それは……」


 アンナは返答に窮した。突如現れた、最大の復讐相手。なぜ今ここに? 夜には和平を祝うパーティーがある。それまでは自室にいるのではなかったのか?


「私がここにいることが不思議か?」


 頭の中を見透かすようにアルディスが尋ねてきた。


「それは、そうですね。パーティの準備があると思っていましたので……」

「確かに、皇帝ともなると衣装の着替えや準備に時間もかかるし、その間にも給仕長や大臣との打ち合わせもあるからな。本来なら部屋に籠もりきりになる頃合いだ」

「それでは何故……?」

「なに、君やそこにいる君の側近がいつもやっていることさ。隠し通路を使って抜け出して来たのだ。君たちがここにいると聞いてな」


 アンナの心臓が跳ね上がる。マルムゼも表情に出すことはしなかったが、肩をピクリと震わせた。

 皇帝は、隠し通路のことを、私やマルムゼがそれを使っていることを、知っている……?


「皇妃よ、しばし君の友達を借りたいのだが良いか?」

「……はい? それは、陛下のご命令とあらばもちろん」

「かたじけない」


 アルディスは皇妃の手を取り、軽く口付けをしてみせた。


「まぁ、陛下ったら……」


 皇妃は、少し顔を赤らめながら微笑む。


「では参ろうか、グレアン伯。それに君もだ、マルムゼ」

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