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第30話 新たなホムンクルス

 目を覚ますと、マルムゼは既に準備を整えていた。暗い色の服。腕と脛には金属のプレートに革を貼り合わせた防具。腰に差す剣は、忍び込みやすいように通常よりも短いものを選んでいる。

 その顔にも心なしか気合いがみなぎっているように、アンナには見えた。


「その様子だと、ちゃんと英気は養えたみたいね」

「……はい!」


 答えるまでに、少し間があったのが気になったけど、問題はなさそうだった。するとマルムゼも問い返してくる。


「アンナ様こそ、ちゃんとお休みになられたでしょうか?」

「私? ……ええ、そうね」


 思い返すと、嫌な夢にうなされていたような感覚がおぼろげにある。けど目覚めた時には、それらを吹き飛ばすような、安心感に包み込まれた感じが残っていた。

 不思議な感覚だけども、今現在はう心身がものすごく良い状態になっているのを実感している。


「私も万全みたい。行きましょう。"鷲の帝国"の皇帝陛下に会いに!」


 * * *


 ホテル・プラスターは、モン・シュレスの市街地を見下ろす高台の上に立っている。

 作戦の決行時刻である深夜1時は、ちょうど月が西の山々に没した直後であり、そこから日の出まではこの高台を照らす灯りは何もない。幸いなことに今夜は、薄い雲が星も隠しており、街からホテルへ続く山道は誰にも見つからずに進むことができた。


「さて、ここからが本番よ」


 二人はホテルの正門に着く前に横の細道へとそれた。この道はホテルの横を回り込んで、庭園の方角に続いている。

 少し進むと鉄製の柵が見えた。この先かホテルの敷地だ。鉄棒ごしに見える庭園は、煌々と灯りが照らされていた。

 ガス灯だ。さすがクロイス公資本のホテルだ。庭園には帝都の街灯と同じ、可燃ガスによるランプが備えられている。

 この庭園では、バカンス中の貴族たちが一晩中乱痴気騒ぎをすることもあるそうで、そのために設置されたものらしい。そして今は、異国の皇帝に夜でも庭を楽しんでもらうために、同時にアンナたちのような侵入者を照らし出すために、光を放っている。


「ここからどうやって近づきますか?」

「よく見て」


 アンナは庭園を指差す。いかにガス灯とはいえ、広間の太陽のように隅々まで照らす、というわけにはいかない。

 むしろランプの光が届かない生垣や花壇裏には、濃い影が浮かび上がっている。


「体勢を低くして、影になっている部分を伝っていきましょう」


 幸い、近くに見張の兵士はいないようだ。この隙をついて走れば、一番近くの花壇に隠れることが出来る。


「では、失礼します!」


 マルムゼはアンナの身体をふわりと抱き抱えると、足を力強く踏み込み大きく跳躍した。そして大人の背丈よりも高い柵を乗り越える。

 通常の人間よりも強化された、ホムンクルスの肉体だからこそ出来る芸当だ。軽々と柵を乗り越えて、そのまま花壇の影へと走り込む。さらに、そこからガス灯の灯りを避けながら少し先へ進んだ所で、マルムゼは立ち止まった。


「ここまでは問題なし……なの?」


 マルムゼの行動には一切問題はなかった。しかし違和感。

 柵を飛び越えた瞬間、庭園全体が一望できた。そのとき見張りの兵士の姿が目に入ってこなかった。それが気になる。


「ねえ、マルムゼ?」

「はい。兵士の気配がまるでありません。この周辺だけではなく、庭園全体に」

「馬鹿な」


 そんなことがあるのか? 仮にも大国の皇帝が宿泊しているホテルだ。あれだけ多くの兵士を連れてきておいて、一人も見張りに立っていないなんておかしい。


「危ない!」

「きゃっ!?」


 突如、マルムゼが横からぶつかりアンナの身体を弾き飛ばした。

 直後、ガンッという金属音が炸裂する。見ると、ほんの一瞬前にアンナがいた場所に一本の槍が刺さっていた。


「見つかった!?」


 やはり見張りはいたのか。でも一体どこに? それに、こんなに早く侵入に気づかれるなんて!


「皇帝陛下のご寝所を侵す不届者よ。自分たちのしていることが万死に値するとわかっておろうな?」


 いつの間にか赤いフード付きのマントをかぶった人物が現れ、石畳に刺さる槍を引き抜いた。声と体格から考えると、女性のようだ。


「下がってください」


 マルムゼが剣を抜き、アンナの前に立った。


「おや? お前その顔、ホムンクルスか?」

「え?」


 赤マントがフードを脱ぐ。隠れていた黒髪と素顔が露わになった。


「なっ!」

「その顔は……?」


 その女はマルムゼと同じ顔をしていた。端正な細面。切れ長の目。そして何よりそこに輝く黒曜石のような黒い瞳。


「その反応。同族に会うのは初めてかな?」

「同族だと?」


 マルムゼがわずかに戸惑いを覚える、その一瞬を赤マントの女は見逃さなかった。


「隙あり!」


 瞬時に女の槍が伸びてくる。それをマルムゼはとっさにかわし反撃に出る。が、マルムゼの剣も槍によっていなされる。そこから2人の攻防が始まる。


「強い……」


 あのマルムゼが攻めあぐねている。両者の実力はほぼ同等のようにアンナには見えた。そして武器は、潜入のために短い剣を選んだマルムゼの方が不利だ。

 懐にさえ入り込めれば勝機が生まれるだろうが、赤マントの女は、巧みな槍さばきでそれを許さない。

 

(なんとかして彼女の隙を作れないかしら?)


 アンナはそう考え、二人の動きを注視した。マルムゼが押され気味とはいえ、相手にもマルムゼから意識を離せるほど余裕はないはずだ。

 ならば彼女がアンナに背中を向けた瞬間、物を投げるなどして注意をひけば、マルムゼが仕掛けるチャンスができるかもしれない。


(よし……)


 アンナは槍によって砕かれた、タイルの破片を手に取った。そして赤マントの動きに合わせ、その背後に回ろうとする。


「甘い!」

「きゃあっ!」

「アンナ様!」


 マルムゼに向けられていたはずの槍が、瞬間的にアンナの懐へ飛び込んできた。

 彼女の言う通り、甘かった。彼女は槍を一気に引き、穂先とは反対端をアンナに向かって伸ばしたのだ。

 先端の石突が、アンナの手にしていたタイル片を払い落とす。


「貴様!」


 マルムゼは跳躍し、アンナを庇うように赤マントとの間に立った。


「彼女に危害を加えてみろ。殺す!」


 鋭い怒気を含んだマルムゼの言葉が、赤マントの女に向けられた。が、彼と同じ黒曜石の色をした瞳は、動じることもなく彼を見つめている。


「その慌てぶり、どうやらお前の"もうひとりの主人"はそのご婦人のようだな」

「なに?」

「安心しろ。最初から殺すつもりはない」


 そう言うと、マルムゼに向けていた槍の穂先を持ち上げ、構えを解いた。


「同族が現れたら、主従ともにお連れするよう、私の"もうひとりの主人"から命じられている」


 マルムゼ同じ顔をしたホムンクルス。そして「もうひとりの主人」という言い回し。やはりこの女性は……。


「主人とは、どなたのことです?」


 アンナはあえて尋ねる。


「知れたこと。我が皇帝ゼファルセス陛下だ。歓迎しよう、サン・ジェルマンの使徒よ」

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