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第18話 皇帝の小麦

「わかりました。皇帝の小麦ファリーヌ・アンペルールのみが高騰しているようです」

「のみが?」


 グレアン伯爵邸の執務室で、アンナはマルムゼの報告を受けた。

 皇妃の相談があった翌日、マルムゼに帝都の市場に行かせた。菓子職人の言う小麦の高騰の実態を調査するためにだ。

 その結果は、ある程度予想していたものだが、同時にあきれた内容だった。


「商人の話によると、帝都だけでなく国内のあらゆる都市から皇帝の小麦ファリーヌ・アンペルールが姿を消したとのこと」


 皇帝の小麦ファリーヌ・アンペルールとは、帝国が定めた小麦等級の中でも最上級のものだ。特別に認可された農家で作られ、選びぬかれた製粉工場で精製されたもののみがこの称号を名乗ることが許される。

 当然、価格も高く平民の口には入らない。上流階級で食されるパンや菓子にのみ使われており、特に皇族が食するものは、皇帝の小麦ファリーヌ・アンペルールを使わなくてはならないというのが、暗黙のルールだ。

 もちろん皇妃主催のお茶会で供される菓子も、この最高級小麦を使わなくてはならない。


「帝国中の在庫を買い占めるとなると、それなりの財力と権力が必要よ。そんなことができるのは……」

「リアン大公とクロイス公爵くらいでしょうね」

「リアン殿下は、最近甘党の女性と交際していたりするかしら?」

「は? いや、確か今お付き合いされているのは酒豪で有名な某男爵未亡人だったはずです」

「なら彼は違う」

「……どう言う意味です?」

「もしお相手が甘いもの好きだったら、その方の気を引くためにケーキで作った宮殿を建てる可能性がありますから」

「な、なるほど……」


 もちろん冗談だが、あの皇弟殿下ならそういうアイデアを思いつき、小麦を買い占めるところまでならやりかねない。


「となればやっぱりクロイス公ね。皇妃を貶めて娘の発言力を高めるためなら、帝国中の小麦の買い占めくらい平気でやるでしょう」

「帝室御用達職人の所にも行きましたが、どの店も先週あたりから大口の注文が相次いで、店に備蓄している粉も無くなっているようでした」

「そういえば、侯爵の孫娘の婚約決定2年目の祝賀だの、伯爵の前妻の結婚記念日だの、珍しい祝い事が続いていたわね」


 いくらパーティー好きの大貴族たちとはいえ、そんな理由をつけてまでやることは普通ない。お茶会ひとつ潰すために、そんな無駄なパーティーまでやるのだとしたら、開いた口が塞がらない。


「連中はわかっているのかしら?」


 アンナはため息をつく。


皇帝の小麦ファリーヌ・アンペルールは庶民の口には入らないけど、決して無関係ではない。最上級小麦の値段が上がれば、必ず下に皺寄せがくる」


 ファリーヌ・アンペルールを使っていた料理店や職人は、下の等級を代用せざるを得ない。そうなれば今度はその等級の値が上がる。すると次はさらに下の等級の番だ。

 今はまだ表面化していないが、買い占めた最上級小麦の何倍もの量の小麦価格に影響していくだろう。


「そうでなくても、その日食べるパンに困る人々が帝都に溢れかえってる。そんな中、くだらない権力闘争のために食べもしない小麦を買い占めるなんて……本当に度し難い!」


 アンナはしばらく考えた後、マルムゼに命じた。


「買い占められた小麦の行方を追跡できる?」

「帝都と周辺都市の分だけなら、どうにかなるかと。ただ、来週のお茶会に間に合うかは……」

「構いません。お茶会については全て私の方でなんとかする。あなたは小麦を追ってちょうだい。可能なら現物が保管されている倉庫を。もし廃棄されていたなら、その場所を掴んで」

「承知しました」


 * * *

 

 かくして、皇妃主催のお茶会の当日となった。その日は、雲ひとつない快晴で、暖かな陽射しがヴィスタネージュの大庭園を明るく照らしていた。


「本当に良い天気になりました。皇妃様、天はあなたにお味方してますわ」

「グレアン伯、その……本当に大丈夫なのでしょうか?」

「ええ。私に任せてください」

「けど、当日に会場を変更するだなんて。それもこんなところで」

「先日、皇妃様もお気に入りになられた場所です。きっと皆様もお喜びになるでしょう」

「ですが……」


 もともとグリージュス夫人は、本殿内の談話室を会場にしていたが、アンナはそれを変更させた。

 しかも発表したのは今朝のことだ。妨害を避けるためにギリギリまで待った。ほとんどの招待客は宮殿に参内して、初めて会場が変わったことを知らされるだろう。

 新会場は東苑の花畑。先週、皇妃から相談を受けたまさにその場所だった。


 馬車の蹄の音が近づいてきた。早くも会場変更を知った一人目が訪れたようだ。西苑から運河を渡り、この花畑へ。


「皇妃陛下、一体どう言うことですか!」


 馬車の扉が開け放たれ、勢いよく黒髪の貴婦人が飛び出してきた。彼女こそが、グリージュス公爵夫人だ。


「あれほど私は申し上げたはずです。お菓子がない以上、お茶会は中止する他ないと! なのに決行するどころか、こんな所に場所を移すなんて……!」

「あの、それは……」


 その剣幕に皇妃は押され気味になったので、間に割って入るようにアンナが立つ。


「緊急のことゆえ、私の一存で決めさせていただきました」

「どなたかしら……?」

「初めまして。グレアン伯爵アンナと申します」

「グレアン? あなたが……! そう言えば伺ったことがあります。陛下に取り入ってお散歩相手に選ばれたとか?」

「はい、おかげさまでこのように素晴らしい会場を見つけることができました」

「よくもいけしゃあしゃあと……」


 グリージュス夫人はアンナを睨みつける。その刺すような視線に少しも怯まず、アンナは尋ねた。


「ところで夫人、その格好はなんです?」

「は?」

「本殿で聞きませんでしたか? 本日のドレスコードを」

「ドレスコードですって?」


 グリージュス夫人の格好は、ウエストをコルセットでしっかりとしぼったドレス。その色合いは淡いものを選び、胸元はフリルで飾って露出を抑えている。宮廷内での昼の装いとしては非の打ち所がないものだった。

 それに対してアンナとマリアン=ルーヌ皇妃は、ゆったりとしたシルエットの部屋着に近いドレスを着ている。


「今回はコルセットをお外しになるよう、全参加者に伝えています。もし持ち合わせがなければ、皇妃様の古着をお貸ししています。どうぞ、一度お戻りになってお召し替えください」

「冗談ではありません! 宮廷でそのような腑抜けた格好など。私はこれで結構です」

「そうですか」


 アンナは内心でほくそ笑む。グリージュス夫人はお茶会の決行そのものを問題にしていたのだが、アンナの誘導で、服装の話に議論がすり替わったのだ。

 なし崩し的に、お茶会は開かれることに反対する者はいなくなり、彼女も同席することとなった。

[7/8]誤字を修正しました。ご報告ありがとうございます!

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