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第14話 新年祝賀会

「皇宮へ来たことは?」


 リアンに手を引かれ、赤いカーペットが敷かれた石畳を正面玄関へと向かって歩く。

 

「一般公開の時に一度だけ、こうしたパーティーでは初めてですわ殿下」


 もちろん嘘だ。来たことも何も、かつてはこの宮殿に部屋をもらい、そこで暮らしていたのだ。

 大庭園の中に別邸だって持っていた。とはいえリアンが今エスコートしている女性は、寵姫フィルヴィーユ伯爵夫人ではなく、グレアン伯家新当主アンナだ。帝室が年に数回行う宮殿の一般公開で訪れた、そのくらいの「設定」にしておくのが良いだろう。


「なら今度、大庭園も案内しよう。俺のエスコートなら皇族しか入れぬ東苑や、狩場となっている北苑にも入れるぞ」

「まぁ。楽しみにしておきますわ」

「マルフィア大公殿下! 新年あけましておめでとうございます」


 貴族の一人が、リアンに近づき新年の挨拶をしてきた。


「ああ子爵殿、おめでとう。今年も君にはカードで大勝ちさせてもらうよ」

「なんの、私も負けませんぞ! ところで、そちらのご婦人は?」

「ああ、今日の主役さ。この度、養父殿の門地を継ぎ、グレアン伯となられたアンナ嬢だ」


 紹介され、アンナは子爵に一礼する。


「アンナ・ディ・グレアンと申します。以後、お見知り置きを」

「ほう、あなたが! 噂は聞いておりますぞ。皆あなたに興味津々だ」

「それは光栄ですわ」


 興味津々、ね。

 嘘ではないだろう。確かに今夜で最も注目されているのは、アンナの宮廷デビューに違いない。けど、それはグレアン家の新当主とお近づきになりたい、などという殊勝なものではない。

 たった半年で当主の座を乗っ取った成り上がり女の顔を一目見てやろう、といったところか。あるいは、アラを探して笑ってやろう、どうにかして恥をかかせてやろう、そんな事を考えている輩もいるかもしれない。


「大広間へ早く行った方がいいですぞ。先ほど戦争大臣がお見えになられましたからな」

「まぁ、本当ですか。ありがとうございます」

「では行くとしようか」


 子爵に挨拶すると、アンナとリアンは祝賀会のメイン会場となる大広間へ足を向けた。

 周囲の視線が自分に集中しているのがわかる。誰もがアンナを見ながらヒソヒソと何かを話している。


「子爵の言う通り、注目の的だな」


 リアンが意地悪く言う。


「悪意でも、無関心よりかはいくらかまし。私はそう思ってます。関心があるのなら、それを好転させる事ができますから」

「同感だ。私も身に覚えがあるし、恩人も同じことを言っていた」


 恩人とはすなわちエリーナのことだろう。

 エリーナが初めて宮廷に上ったときも、今日と同じように悪意の視線を四方八方から浴びせかけられたものだ。平民の、それもさほど金もない職人の娘が寵姫になったのだから当然だ。

 けど皇帝の寵愛と自身の才覚を武器にじっくり、そして確実に味方を増やしていった。

 そして最終的にはフィルヴィーユ派と呼ばれる官僚集団の盟主となったのだ。アンナとしての人生でも同じことを、いやそれ以上のことをやってのける自信がある。


「いたぞ、あれが戦争大臣だ」


 大広間に入ると、すぐにリアンが言った。アンナもその人だかりに真っ先に目がいった。

 近衛隊長として皇帝を支え、2年前の政変で戦争大臣に就任した軍人は、他の貴族たちより頭ひとつ長身で、目立ちやすい。


「ウィダス卿」


 リアンが声をかける。ウィダスを取り囲んでいた人の輪が割れ、王弟と戦争大臣が相対する。


「これは大公殿下。我が帝国に栄えある新年が訪れた事、お喜び申し上げます」

「うむ、重畳である。これからも軍事のトップとして兄上を助けてほしい」

「ははっ」


 ウィダスはうやうやしく一礼した。


「ところで、貴公に用がある者を連れてきたのだが」


 そう言って一歩さがり、アンナにウィダスの正面にくるよう促す。それに従ったアンナは、一部の隙もなく礼儀にのとった仕草で戦争大臣へ一礼した。


「お初にお目にかかります、ウィダス閣下。この度グレアン伯となりました、アンナと申します」

「これはこれは」

「養父のした事、返す返すも謝罪申し上げます。帝国の武を司る大臣閣下にあのような振る舞い、到底許されるものでないと心得ております」

「いや、過ぎた事です。私も気にしてはいない、どうぞお顔をお上ください」

「はい」


 アンナは言われた通り顔をあげ、ウィダスの顔を見る。2年半ぶりの対面だ。

 もっともアンナはホムンクルスの肉体に魂を馴染ませるため、2年近く眠りについていた。体感としては、この顔を最後に見てから半年足らずの時しか経っていない。


 ウィダス! 私を殺した男!


 毒の苦しみの中、最後に見たこの男の顔を生涯忘れることはないだろう。

 思わずこの男に掴みかかり、首を絞めてやりたいという衝動に駆られたが、それを押さえつける。養父と全く同じ罪を犯し、復讐の機会を永遠に失うなど、笑い話にもならない。


「お父上のことは水に流すわけにはいきませんが、新たなご当主とは新たな親交を結びたいと思います」

「なんと……!この上なくありがたいお言葉です、大臣閣下……!」


 アンナは感激のあまり目に涙を浮かべる。……という演技をした。魑魅魍魎がひしめく貴族社会で10年近く寵姫をやってきたのだ、必要な時に必要な涙を流すことなど、なんでもない。


「お約束します。わがグレアン家は、ウィダス閣下のためならどのようなお力添えもいたします」

「名門グレアンからそのようなお言葉をいただけるとは嬉しい限りです」


 口ではそう言っているが、落ちぶれきったグレアンに何を期待できるものか、とその目は語っている。

 そうだ。今はそれでいい。せいぜい侮っていてくれ。その方が私も動きやすいのだから。


「ああ、ところで」


 ふと思い出したようにウィダスが尋ねる。


「私の古巣である近衛隊の隊士が、グレアン家でお世話になってると伺いました。息災ですか?」

「マルムゼですね? 彼にはよく尽くしてもらっています」


 アンナはにこやかに応じたが、内心で冷や汗をかく。お前の手の内は握っているぞ、とでも言いたげだ。

 確かにエリーナ殺害の時に、共として連れていたのだ。今でも近衛隊に大きな影響力を持つこの男が、マルムゼの再就職先を知っていたとしてもなんら不思議ではない。


「今日は連れてきていないのですかな? 昔の部下に会えるかもと思っていたのですが……」

「あいにく、本日は別の仕事を与えておりますので。そうだ、ぜひ今度我が家へ遊びにいらしてくださいまし。彼も喜ぶかと」


 アンナは考える。この男とマルムゼが繋がっている可能性はないか?

 いや、それなら私のグレアン家乗っ取りにマルムゼが協力するはずもないし、そもそも瀕死の私にエリクサーを飲ませたりなどしなかったはずだ。

 この男がマルムゼの話を持ち出したのは、暗に自分の影響力をひけらかしたいだけだろう。


「皇帝陛下、ご入来!」


 衛兵が高らかに、この国の主人の来訪を告げた。大広間の人々の歓談の声が一気に鎮まる。

 大広間の奥にある巨大な観音開きの扉が開け放たれた。皇帝一家専用の出入り口だ。


「皇帝陛下万歳!」

「我らが"百合の帝国"に栄光あれ!」


 貴族たちの喝采が、大広間のあらゆるところから上がり、寸前の静寂が嘘のように、拍手と叫び声が空間を満たしたこ。


「あれが我が兄、アルディス3世陛下だ」


 顔を近づけて、リアンが耳打ちする。


 純白の生地に金刺繍の軍服。胸にはいくつもの勲章をつけ、白熊の毛皮と緋色のベルベットで作られたマントを羽織る。獅子の立て髪を彷彿させる、やや暗めの赤毛。宮廷中の女性が恋焦がれたと言われる、端正な顔立ち。

 アルディス3世の姿を見て、アンナの胸の奥にあらゆる感情が湧き起こった。

 世界有数の大国の君主にして英雄リュディスの正統なる末裔。そしてアンナにとってはかつての恋人であり、自身を死へと追いやった張本人だ。


「隣の女性は?」


 アンナは、胸の奥にざわつきを覚えた。アルディスの横を歩くブロンドの女性。なぜあの女がそこにいる?


「ルコット・ディ・クロイス。クロイス公のご令嬢さ。今は兄上の最愛の人、寵姫となった」

「あの方が……陛下の寵姫……」


 クロイス公の娘とはパーティーや茶会などで何度か顔を合わせたことがある。

 エリーナに敵意をむき出しにし、事あるごとに対抗心を向けてきた少女だ。その態度に辟易し、父クロイス公と敵対していたこともあって、出来る限り顔を合わさないようにしていた。彼女やその取り巻きたちが発信源と思われる根も葉もないゴシップに頭を悩まされたことも、一度や二度ではない。

 まさか、彼女が私の後釜とはね。アンナは軽い目眩を覚える。


「つまらない女さ。取り巻きとのパーティーとゴシップだけが生きがい。芸術や哲学などは自信を飾り立てるアクセサリー程度にしか思っていない。それに、ほら見たまえ」


 皇帝の後ろには、初老の太った男がついていた。皇帝専用の入り口にも関わらず、その入り口を使っているのは現在の帝国宰相。かつてエリーナの政敵だったクロイス公爵その人だ。


「あの通りさ。学がないくせに政治に口出しするのが大好きで、お父君と一緒に帝国の支配者気取り。前寵姫のフィルヴィーユ侯爵夫人がまともな方だった分、余計に酷さが際立つ。そりゃ、べルーサ宮の革命分子だって騒ぎ立てるわけさ」


 リアンは苦々しい口調で、愚痴をこぼす。そういうことか。宰相と寵姫。親娘ふたりで帝国の政治を私物化している。

 アルディスは私を切り捨てて、こんな二人を選んだと言うことか。エリーナの心の奥に、どす黒い炎が立ち上った。


「グレアン伯爵は来ているか?」


 皇帝の第一声はそれだった。新年祝賀の挨拶よりも先に雑事を済ませてしまおうと言う事らしい。


「兄上、我が帝国に新たな年が訪れた事、お慶び申し上げます!」


 つい今しがたの苦い顔を消し去り、リアンは兄の前に歩み出た。皇帝は、小さく頷いて弟の挨拶に応える。


「こちらに控えましたるが、グレアン伯爵家の新当主、アンナ殿にございますれば」


 芝居がかったセリフでアンナを紹介する。アンナは膝を屈し、深々と頭を下げ自分自身の仇であるアルディスに拝謁した。


「お初にお目にかかります、皇帝陛下。アンナ・ディ・グレアンと申します」

「そなたが、か。顔を見たい。面をあげよ」

「はい」


 アンナはゆっくりと上体を起こして、皇帝の顔を仰ぎ見る。

 間近でこの顔を見るのはいつ以来か。2年前、獅子の国との国境地帯へ、皇帝自ら出征したのが最後だった。


 ああ、安心した。


 アンナは心の中で安堵の息を漏らした。密かに恐れていたのだ。当時何よりも愛しく感じていたその顔を見た時、己の復讐心が揺らぎはしないかと。


 けどそんなことはなかった。かつて誰よりも素敵なものに映ったその顔を見ても、冷たく凍てついたアンナの心は微塵も揺らぎはしなかった。

 この男は私の最愛の男性などではない、私を殺した殺人者だ。報復の対象なのだ。よかった、この思いは変わらない……!


「前当主の不祥事にも関わらず、我が家を潰さず相続をお許しいただけたこと。御礼申し上げます。そして改めて我が父が陛下のご信頼を裏切ったこと、お詫び申し上げます」

「ウィダスにはもう謝ったか?」

「はい」

「ならばよい。当事者同士で話が片付いたのだら、余から改めて申すことはない」


 おお……と、周囲から感嘆の声が湧き上がる。陛下のお心のなんと広いことか。そんな声が沸き起こる。

 茶番も甚だしい。だがアンナが復讐を成し遂げるためにも、必要な茶番だ。


「すべての貴族は、このヴィスタネージュに参内する義務がある。貴公も相続の手続きが終わったのであれば、今年より宮廷の祭事や儀式に参列するが良い」

「ありがたき幸せにございます」


 これでアンナは、皇帝アルディス3世の臣下として正式に認められたことになる。この大宮殿に通うことが許されたのだ。

 アンナは皇帝と、その後ろに控える二人の人物、宰相クロイス公と寵姫ルコットを見据えた。

 私を陥れ、民のための改革を潰したすべてのものに復讐を。そして、その最大の標的はこの3人ということになるだろう。


「さて、余の私用は済んだ。我が帝国の新たな年を盛大に祝おうではないか」


 皇帝が高らかに言い放つと、万雷の拍手が巻き起こる。


 こうして帝国に新たな年が訪れる。それは、ある復讐鬼による凄絶な策謀が、一段階進んだことも意味していた。

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