幽体
何かが間違っている。
そう気づいたのは、五度目か六度目だった。
寝て、何か原因があって目覚めてしまう。けれど、まだ時間があると思って寝てしまう。
所謂、二度寝というやつだ。
その『二度寝』という奴を、五回か六回続けた時、俺はふと気づいた。
スマフォで見る時刻が戻っているのだ。
冷静に考えて、時間が戻るわけがない。
スマフォが壊れたなら話は分かる。
スマフォは壊れるかもしれないけど、時間が戻るような壊れ方ってそれはそれでどうなんだろうか。ありえるのか?
俺は必死に考えた。
考えながら、俺はもう一度、慎重にスマフォの画面を確認した。
そして気づいた。
時刻は戻っているように見えるが日付が進んでいたのだ。
二度寝の後、俺は日中も寝ていたに違いない。一日近く時間が進んだ結果、時刻が戻っているかのように見えたのだ。
一体、俺は何日の間、二度寝を続けたのか。心配になって調べる。
記憶がある日付が正しければ、一週間。
「一週間?」
俺は暗い部屋の天井に向かって、声を出していた。
人間、一週間も寝たままで生きていられるものなのだろうか。
水を飲んだり、食事をしたりする必要があるんじゃないのか。
宿の人も心配になって声をかけるに違いない。
とすると…… 俺は二度寝したのではなく、温泉に行った時のように、無意識に動き回っているのではないか。
それなら一週間、記憶がないとしても、仕方がないか、と思った。
だが納得はできない。
スマフォの明かりでうっすら見える部屋は、泊まっていた旅館の部屋のままだ。
連泊し続けているということは、貯金を食い潰しているわけだ。
順子からのLINKも記憶はないが『既読スルー』している。
病院に行って体を調べた記憶もない。車で事故をしたから、身体検査する予定だったのに。
記憶のない俺が、日中何しているのか。
それらの答えを探さなければならない。
掛け布団をはいで、体を起こそうとした時、聞き覚えのある『鈴の音』がした。
すると真横に見知らぬ老人の姿が現れた。
暗い部屋の中で、浮いているように光っている。
面長で、体格の良い老人だった。
老人は俺のはいだ掛け布団の端を掴むと言った。
『貸しとくれ』
「な、何を言って」
俺に『重なるように』布団に入ってきた。
漫画で見た『幽体離脱』の逆だ。
再び鈴の音が鳴る。
老人の後頭部が俺の目の前を通り過ぎると、俺は意識がなくなった。
俺は、夜中に目が覚めた。
素早くスマフォに手を伸ばし、日付を確認する。
また一日経ってしまった。
俺は幽霊を信じない。
しかし、昨日の晩、俺にかさなって来た老人は『幽霊』と呼ぶより他がない存在だった。
幽霊は体を合わせて、俺の体を、脳を乗っ取った。
そうとしか思えない。
いま、こうして俺の意識があるうちに、どうにかしないと、俺はずっとこの部屋の中に閉じ込められてしまう。
例の鈴の音が聞こえる。
『貸しとくれ』
その声は、声ではない声、つまり鈴の音と同じく鼓膜が感じる声ではないのだ。
俺の頭の横に、麦わら帽子を被って、白い肌着に、肌色の腹巻きをしたお爺さんが座っていた。
その姿に感じるものは恐怖しかなかった。
「助けてくれ」
『ええですんで』
声ではない声が、どこかで答えている。
音ではないから、右だか左だか、どこから返答したのか見当がつかない。
目だけを動かし、暗い部屋の中を必死に探す。
『じゃあ、お願いしますんで』
麦わら帽子を被ったお爺さんが、俺の体に重なってくる。
そして鈴の音。
俺は意識がなくなっていた。