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久しぶりの旅行

 何年振りだろうか。

 就職してからは、旅行らしいものをしていなかった。

 旅行と言えるかは別として、新入社の時、高原にある研修所に出かけたぐらいだろうか。

 そもそもその地方に旅行したことがなかったことや、風景に対しての期待感が低かったせいで、俺は実際に見た景色の素晴らしさに感動していた。

 柄にもなく旅館の仲居さんにも話しかけていた。

「今日行ったところも素晴らしい自然が残っていて、本当に来た甲斐がありました」

「それは良かったです。今日は、お天気さんも良かったですんで。ちなみに、明日はどちらに行かれる予定ですか?」

 俺はスマフォを取り出して、地図で示した。

「ああ、お温泉いかれるんですな。あそこは有名な露天風呂ありますんで。この旅館のエントランスに、割引チケットがあったですんで。忘れずに持っていくといいです」

「有名な露天風呂ってこれですよね?」

 俺はまたスマフォで露天風呂の写真を表示して仲居さんに見せる。

「そうそう、実際は『こーんな』広いですんで」

 仲居さんは手を広げて見せるが、流石にその手の広げ方だけで想像はつかなかった。

「レンタカーを借りていくんですが、場所がちょっとよく分からないんですよ」

「最近はレンタカーもナビついてますんで。最初に設定しとったらいいです」

「それもそうですね」

 俺はそんなことを話しながら、この県で有名な地産の牛の『すき焼き』を食した。


 次の朝、旅館近くでレンタカーを借り、ナビに露天風呂の場所をセットしてもらった。

「このタイレンって聞き慣れないんですけど、全国にあるんですか?」

 店の名前が『タイレンレンタカー』という名前だった。あまりレンタカー屋としては聞かない名前だ、と思って訊いたのだ。

「ああ、知ってますよ。社長がドイツ語の『シェア』という意味で『タイレン』という名前にしたかったらしいんですが、奥さんがそれが社名じゃ、車を借りれるのかわからないということで『タイレン・レンタカー』って名前になったそうです。意味的には『シェアレンタカー』って社名になるんですけど、なんか変ですよね」

「へぇ、そういう意味なんですか」

 俺は何の気無しにそんな会話をしていた。

 日帰りでまたこの旅館まで戻ってくる予定だが、目的の露天風呂は県境に近く、結構な道のりだった。

 久々の運転で最初はスピードも控えめにしていたが、車が少なく、地元の車に合うと、追い越されていくので、自然と俺もスピードを上げていた。

 だいぶ日も上がっているのに、あまり明るくなっていない。

 周りが山に囲まれていて、朝夕が暗いのは仕方ないことだったが、もう時間的には明るくなって良さげだった。

 久々の信号で止まったときに、空を見上げると、上空を分厚い雲が覆っていた。

 このまま雨でも降るのだろうか。露天風呂だし、雨が降り出す前に風呂に着きたい。

「急ごう」

 信号が変わって、進み始める。

 道は、深い森の中を通っていた。

 車のナビは『しばらく道なり』と言ったきり音声が出なくなった。

 確かに画面には一本道しか表示されておらず、本当にこのまま真っ直ぐ進めばいいのだと思った。

 昼が過ぎても、俺は深い森の中を通る道を走っていた。

 最初の予定より時間はかかるとは思っていた。見ると、ナビの到着予定時刻からするとまだ一時間ある。

 そんなはずはない。流石にもう着いて良さそうだ。

 俺は道を間違えていないか不安になり、道路脇に店が見えたら入ろうと考えた。

 しばらく走っていると、左側に食堂らしき店が見えた。

 ゆったりした駐車場もあり、腹ごしらえと共に道を尋ねるのには良いところだと思った。

 ウインカーを出して曲がったあたりから、急に日が差してきた。

 俺は車を止めて、食堂へ向かった。

 日が差しているのはこの食堂の周囲だけで、他はまだ同じように雲が掛かっていた。

 この食堂一帯がポッカリ浮かんでいるかのようだ。

 食堂の建物に近づいていくと、様子が見えた。

 引き戸が開いていて、中が見えるようになっている。

 食堂にはパイプの椅子と、テーブルがいくつかあった。テーブルには、透明なビニールが敷かれていた。

 奥にカウンターもあるが、段ボール箱や、よく分からない荷物が重なって置かれていて、使えなかった。

 俺は建物の中に足を踏み入れても、店員は出てこなかった。

 店のあちこちを見回してみても、人が出てくる様子がなかった。

「すみません」

 反応がない。

 少し大きな声を出すことにした。

「ごめんください」

 音がしたが、人が動き出したような音ではなかった。

 その音は、何かとても軽いものが風で床に落ちたような、そんな音だった。

「ごめんください。誰かいませんか?」

 さらに音圧を上げ、そう言ってみたが、やはり反応がない。

 俺は思った。この店は『ハズレ』だ。

 透明なテーブルのカバーに、埃が積もっている、という訳ではないので、営業はしているらしかった。だが、あまり客が来ないから昼を少し過ぎると、店主が昼寝でもするのだろう。

 俺は諦めて、車の方に向き直った。

 向き直る刹那、後ろに誰か居た気がして、もう一度食堂を見返す。

「いらっしゃい」

 料理用白衣(コックコート)を着たお爺さんが、カウンターのあたりに立っていた。

 顔は皺だらけで、後期高齢者に相当するのではないかと勝手に想像した。

 よく見ると、カウンターの椅子と椅子に板が通してあって、ベッド代わりにして寝ていたようだ。

「あの、食事できますか?」

「こちらのメニューにあるものならできますんで」

 そういうと指を上げ、カウンターの上に並んだ短冊(たんざく)に書かれたメニューを差した。

 俺が端から順番に見ていると、お爺さんは言った。

「お兄さん、遠くから気なさったかね?」

 俺は頷いた。

「そうけぇ、そうけぇ」

 お爺さんは、そう言って笑ったようなのだが、顔中の皺のせいか、とても笑ったようには見えなかった。

 俺は、その顔や表情が何に見えたのか、自分でもよく分からなかったが、寒気がした。

「ならなぁ。地元のB級グルメちゅうて、白焼きそばがありますがな。すぐできますし、大盛り無料にしときますんで」

 観光ガイドには特にそんな記載はなかった。

「えっ? その『白』焼きそばって何ですか?」

「いわゆる塩焼きそば、ですんで。何かのテレビで紹介されたちゅうて、有名になりましたな」

 へぇ、と思った。

 何となく、その紹介したのではないかというテレビ番組が、いくつか俺の頭をよぎった。

 ここに来た時は、焼きそばを食べる気分ではなかった。だが、今、お爺さんに言われると、早そうだし、テレビで取り上げたという単語(ワード)で一気に気持ちが『焼きそば』を食べる雰囲気になっていた。

「じゃあ、それ頼みます。大盛りで」

「へぇ、(うけたまわ)りました」

 お爺さんはカウンターの内側に入ると、調理を始めた。




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