第百三十三話 大漁
山中幸盛は「北斗」の先月号で、エイが『やっと釣れた』と書いた。振り返れば、一昨年の春頃から新型コロナウィルス騒動が本格的に始まり、マスクしろとか三密を避けろなどと、行動の自由が奪われる中で、幸盛は久しぶりに魚釣りに通うようになった。
そして釣り動画を見ているうちに、アジングなる釣法があることを知り、面白そうなので挑戦することに決めて、サオやリールや小道具をどんどん購入した。結構な出費だったが、その割にアジングでは予想以上にアジは釣れなかった。そんな中、たまたま釣れたエイの強い引きが忘れられなくなり、アジングよりもエイ狙いの方に興味が移っていった。
そして、そのあげくが、先月号で長々とボーズ記録を羅列することになったのだが、幸盛はもともと投げ釣りが性分に合っていたのだ。四、五本のサオを投げ、鈴をつけて放置し、魚が食いつくのをジッと待つ釣りが好きだったのだ。
幸盛は本年最後の釣行と決めて、十二月二日に知多半島のT漁港まで一人で出かけた。十月十五日に十五キロのエイを釣り上げて以降、十一月六日、十日、十七日、二十四日と四度釣行したが、去年の十一月十五日に奇跡的に四十七センチのクロダイが釣れたものだから、二匹目のドジョウを狙いたくなったのだ。
今回は夜釣りがメインなため、家を午後二時過ぎに出発、途中のコンビニで骨なしチキン二個とジャンボフランク一個を買って、T漁港の駐車場に着く前の車中でこれら全部を早めの晩メシとしてペロリと平らげた。
エイの肉はまだ冷蔵庫に残っているし、唐揚げや煮付けが冷凍室に数回分保存してあるので、この日はエイ狙いではなく、またクロダイも易々と釣れるものではないので、あわよくばカレイやアナゴやカサゴなどが釣れないものかと、途中のエサ屋で赤イソメ(ゴールド)を二杯買い込んだ。
二杯は多過ぎるかもしれないが、サオを四本出してそれぞれ二本針にしたので、一匹の赤イソメを気前よく長いまま一本かけにすれば、一度に八匹使うことになるから、一杯では足りなくなると踏んだのだ。
そしてさらに欲張って、自家製の二本針に小イワシを刺して大きなクロダイ等の大物を狙うが(つまり、一本のサオに針が四本だ)、万が一エイが釣れてしまったら、持ち帰るかリリースするかは、その際のエイの傷の状態次第だ。
T漁港の駐車場に到着したのが十五時半くらいで、防寒の衣服をブクブクに着込み、その上使い捨てカイロをジーパンの両ポケットに一個ずつと、膀胱の辺りの下着に一枚貼り付け、重めのオモリをセットしてサオを四本出し終えたのは十六時二十分だった。
そのたった十分後に、サオ先につけた鈴がチリチリと鳴り、リールを巻き上げて見ると、十八センチのハゼが赤イソメに食いついていた。ハゼといえども針にかかった際の瞬発力は相当なもので、重いオモリを引っぱりなおかつサオ先の鈴を鳴らす。ただ、それで力尽きてしまうが。
十七時五分に釣れたのは、なんと三十六センチの巨大なカサゴだった。二匹目のドジョウと納得しても良いくらいで、エサの小イワシを丸呑みしていた。
十七時四十五分に釣れたのは赤イソメに十四センチのカサゴ。
十七時五十分に赤イソメで小さなアナゴ。
十八時ちょうどに赤イソメで十九センチのカサゴと順調に釣れるので、さすがに虫エサは最強と納得する。
その後の十八時五十分に、小イワシのエサで五十センチのアナゴが釣れた際は最高の気分だった。
十九時十五分にも十四センチのカサゴが釣れたが、その間にも、四本の置きザオ以外にアジングのサオと仕掛けで、ワームの代わりに赤イソメを針に刺して足元で誘うと、メバルやカサゴの赤ちゃんサイズがポツポツと釣れるので、退屈することはなかった。
そして、二十時五十分に十七センチのカサゴが釣れたのを最後に、充分満足したのでサオを一本ずつぼちぼちと片付け始め、駐車場を出発したのがそれから約一時間後で、途中のコンビニで買ったサンドイッチをかじりながら走行し、帰宅したのは二十二時四十八分だった。
今回の釣行では小さな魚は釣ってすぐにリリースし、持ち帰った魚はハゼ五匹、カサゴ四匹、アナゴ二匹だったので大漁の部類と言えるだろう。
翌日、三十六センチのカサゴは夕食に刺身で食べて、他は全部、生まれて初めて天ぷらに挑戦した。もちろん、カサゴの刺身を取った後の頭部は素揚げにし、中骨に付いた身は骨ごと天ぷらにして無駄なく食べたが、刺身も頭部の素揚げも(エイ肉と違い)とても美味かった。
天ぷらはかなりの量だったから、食が細くなった老人としては、その翌朝には食べきれず、その夕食にやっと食べ尽くすことができたのだった。
次の釣行は春先になるだろうが、今度魚が釣れたなら、生まれて初めての、パン粉を使う『フライ』に挑戦してみたい。幸盛はスーパーで売っているアジフライを買い込み冷凍して常備するほどに、アジフライが大好きだからだ。