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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第四章
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明臣の念い

 明臣の生い立ちは複雑であった。

青鬼と赤鬼を両親にもつ子供は、通常は父型の鬼に変化する。

まれに母型のほうの鬼になることも報告されているが、いずれにしても必ずどちらかに属する。

しかし明臣の場合は、緋色の右目と金色の左目に変化したのだ。

両親は大変驚き、考えた末に右目を眼帯で隠し、父型の青鬼として過ごすことにした。


 愛情ある家庭生活は長くは続かず、いつしか父に青鬼の愛人ができ、険悪の仲になった両親は離婚することになった。

そのとき愛人のお腹にはすでに赤ん坊がいて、父は明臣を切り捨てた。

そのため明臣は、今度は左目を隠し赤鬼として母と生きることになった。


 しかし、母の実家に身を寄せた明臣には居場所がなかった。

父には青鬼として過ごした自分を否定され、母の実家も明臣にはよそよそしかった。

次第に明臣の精神は病んでいき、遂に感情が爆発したとき銀目が出現した。

体も信じられないほど大きくなり、冷たく光る銀目に睨まれた家族の者は、恐れおののいてひれ伏した。

その様子を見て明臣は、ここは自分のいる場所ではないと自覚して姿を消した。


 青鬼も赤鬼もクソ食らえ、明臣の胸中にはいつもこの言葉が存在し、自分の性格が素直でないのも自覚していた。



 桜井が空間を歪ませて漆黒の口を開けると、否応なく明臣の体がそこに吸い込まれた。

グニャグニャした地面と回転する景色に眩暈がして、思わずギュッと固く目を瞑った。

胃に込みあげるものを飲み込み、固い地面に手が触れて、ようやく自分が元の姿で四つん這いになっていることに気づいた。

平地に足がついてホッと一息つくと、頭上から心地よいバリトンの声が降ってきた。


「おい明臣とやら、この景色を見ろよ。きみは大雅をだいぶ怒らせたみたいだぞ」


 そこは辺り一面、ぐるりと茶色い岩肌が連なっていて、盆地のような地形になっていた。

ゆで卵の腐ったような硫黄の匂いが漂ってきて、ところどころ裂けた岩石の隙間から水蒸気が噴出している殺伐とした風景だった。


 銀狼に戻ったダイチが、鼻をヒクヒクさせながら大きなため息をついた。

銀色に光り輝く毛皮を持つ巨大な狼に睨まれて、明臣はビックリ仰天した。


「え! 何だ、お前は!」


 人間の言葉を話す狼に、またその狼の体が二メートルは軽く超えている巨大なため、明臣の思考は驚きのあまり止まった。


「ん? ああ、僕はダイチだよ。大雅と一緒に来た少年だよ。この姿が本当の僕だけどね」

 悪戯っぽくウィンクし、金色の瞳で明臣をじっと見つめた。


「この姿なら、きみに負けやしない」

 鼻の上に皺を寄せ牙を見せつけるように剥きだすと、ダイチの本気度が示された。


「……ふん。私には皇の魔術は通用しないぞ」

 明臣は立ち上がり、負けるものかと体を膨らませてオッドアイに変化させた。


「あははは。そんな力を使う必要はないよ。僕のこの腕力と顎の力で、きみをかみ砕いてやる」

 低く不気味に唸りながら狩りの姿勢をとると、明臣も更に銀目に変化させ身構えた。


「いくぞ明臣。皇を怒らせたことを後悔させてやる」


 ダイチが身震いする程の咆哮をあげると、明臣に襲い掛かり鋭い牙を首にたててぶら下がった。

ダイチの重みで明臣の足が崩れ、そのまま二人して崩れ落ちた。

ガチガチと噛んでも、いっこうに牙が皮膚に突き刺さらないのでダイチが戸惑っていると、明臣の両手がダイチの顎にかかり首から外そうと力を入れた。


 力と力のぶつかり合いが始まり、わずかにダイチの口が開くと明臣はそこから首を外して、そのままダイチの口をこじ開けようとした。

たまらずダイチは明臣の腹部に拳骨を食らわせるが、ビクともしなかった。

そこで明臣の両手を掴んで力で口から外し、右足で思いきり腹を蹴とばすと、ようやく二人は離れた。


「……きみの皮膚は何だ?」


「ははは、銀目になった私の全身は、ダイヤモンドと同じ固さの皮膚で覆われるのだ。だから、誰も私を攻撃出来ない」


 訝し気に見るダイチを、明臣は銀目を光らせながら冷笑する。

ダイチが困ったように桜井を見やると、桜井が何やら囁きダイチが頷いた。


「……そうか。ならば持久戦といこう。僕も久しぶりに本気が出せると思うとワクワクするよ」

 ダイチは瞳をぎらつかせて、心底楽しそうな表情をした。



 二人の力のぶつかり合いが始まってから、いったいどれほどの時間が過ぎたのか、この時間の観念がない世界で、先に体に疲労が溜まってきたのは明臣だった。

狼の狩りは持久戦で行う。

何時間でも、獲物の体力が弱るまで追いかけるのは朝飯前だ。

生き生きと絡み合うダイチに対し、怪我をすることはないが体力を消耗した明臣は、ゼーゼーと息が上がっている。


「どうした明臣。動きが鈍くなったぞ。もう降参か?」


 ダイチが嬉しそうにほくそ笑むと、唇を噛んで悔しがった明臣の瞳は、疲れのためかオッドアイに戻っていた。

それを確認して桜井がダイチに声をかけた。


「選手交代だ、ダイチ。お疲れ様。……奇跡の衣をはぎ取られたおまえにもう勝ち目はない。さあ、決着を付けようか」


 桜井が両手を明臣にかざすと、明臣は右手を喉元に当て苦しそうに口をパクパクしだした。

オッドアイの瞳はすでに黒目に戻り、その瞳には恐怖の色が浮かんでいた。

明臣の目前まで桜井が近づくと、明臣の震える左手が桜井の上着を掴んだ。

桜井が屈んで明臣の耳元に囁く。


「苦しいですか? でもね、僕はこれでもかなり力を抑えているんですよ。……あなたは一方的に僕の大切な友達を怖がらせ誘拐した。しかも、僕たちに暴力をふるってきた」


 桜井は上着から明臣の手を外し、ゆっくりと立ち上がると冷淡に見下ろした。


「あなたと同じ銀色の瞳を持つ鬼島虎杖という少年を知っています。彼はね、鬼のために、赤鬼や青鬼なんて関係なく、虐げられている鬼のために力を使いました。それが出来たのは、皇の娘だった千桜結衣子さんが虎杖君の命を自分の命と引き換えにしたからです。あの花冠は、結衣子さんが編んだものです。あれには結衣子さんの願いが籠っているんですよ」


 ギロリと睨むと、明臣の顔が更に歪んだ。

そのとき遠くで火山が爆発した音が轟いた。


「おい、落ち着けよ。大雅らしくないぞ」

 いつもとは逆に、ダイチが興奮している桜井をなだめた。


「あなたが虎杖君と同じ銀目を持つ鬼だなんて……、まったく信じられない!」


 桜井は不愉快そうに明臣をじっと見つめて考えていたが、ふうとため息をつくと右手をクイと握りしめた。

とたんに明臣の体はバタンと地面に崩れ、ヒューヒューと苦しそうに息を吸った。


「……わたしには……、私には赤鬼だろうと青鬼だろうと関係ないし興味もない。鬼なんていなくなればいいと思っている」

 よろよろと立ち上がり、生気のない暗い瞳を桜井に向けた。


「あなたは初めから花冠に関心がなかった。ではなぜショウマを誘拐してわざわざ問題を起こした?」

 桜井は腑に落ちない表情をしている。


「皇の客人を誘拐すれば、必ず皇が追いかけて来るのは分かっていた。そこで皇を襲えば神来人が黙っちゃいない。鬼と戦争になるかもしれない。いや、なればいい。そう思っていたよ……。だが、きみらがこんなに強いとは思わなかった。完璧に私の負けだ。ははは、もうどうにでもしてくれ」


 明臣はドスンと座り込んで俯いた。


「……あなたの目的は鬼と神来人との争いなのか? は! バカらしい。それよりも僕たちがこの時代に集まった理由だ。鬼島、金剛丸、皇、銀目の鬼、そして枯れ始めた花冠……、これの意味するものは何だ?」


 冷ややかに見つめられて、明臣は戸惑いながら頭を振る。


「鬼島さんが第一級のお尋ね者というのは、それ相応の理由が本当にあるのだろうか」

 桜井がおもむろに訊ねた。


「それは……、翁たち年寄り連中の仕業だ。彼らは赤鬼には存在しない王族の血を妬み、憎んでいるからな」

「年寄り連中……か。では、あなたは? あなたも王族の血を憎んでいる?」


 澄んだ瞳で桜井が訊く。

火山灰が混じる噴煙で薄暗かった空に、心なしか明かりがさしてきた。


「言っただろ。私はそんなものには興味なんてない。鬼の世界に私の居場所なんてないからね」

 無表情に答える明臣を桜井は暫く見つめていたが、次第に笑みが浮かんできた。


「赤鬼の統治者は金剛丸翁でも、実質的支配者はあなただ。そして青鬼の統治者は鬼島さんだ。なんだ、あなたには大切な役目があるじゃないか」


 明臣には何のことを言っているのか分からなかったが、この荒れた土地に湧き水が流れ出して小川となるのを、ただ不思議そうに眺めていた。


「さてダイチ。帰るとしよう。忙しくなるぞ」


 晴れ晴れとした表情の桜井が両手を大きく広げると、目前の荒涼とした土地に日の光がさしこみ、できたばかりの小川に水鳥がやってきて、気持ちよさそうに水浴びをしだした。





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