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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第四章
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枯れる花冠

 木陰から現れた大男が、いきなりレンゲに掴みかかろうとしたのを防いだショウマは、大男の手に捕まり息苦しさに気を失った。

長椅子の上で混濁した意識が戻り、目に映るぼんやりとした景色が鮮明になると、見知らぬ部屋で二人の男がぼそぼそと話し合っているのが目に入った。


 ひとりは白髪が目立ち、背中が老人特有の丸みを帯びているが、眼光は鋭かった。

もうひとりはずっと若く、高身長で筋肉質の背筋をすっと伸ばし、自信家らしい面構えである。


 老人は金剛丸本家の主で、皆から金剛丸翁と呼ばれ、中年の男性は老人の女婿(じょせい)で、金剛丸明臣である。

 翁は血筋の良い名家から婿養子を取りたかったが、娘が妊娠したことで不本意ながら結婚を承諾したのである。

明臣という男は頭脳明晰で人望もあるが、翁には何を考えているのか理解しづらい面が多々あった。


 ショウマが降りかかった災難を思い起こしているあいだ、二人は無言のまま好奇の眼差しで彼を観察していたが、明臣が組んだ足を下ろして徐に近づいてきた。


「気が付いたようだな」

 ショウマの目の前に立ち、不躾にジロジロ見下ろす。


「ここはどこ? どうしてボクはここに?」

 ショウマはむっとして訊き返し、キョロキョロ辺りを見回した。


 この広い部屋の柱から天井まで、いたるところに繊細な彫刻が贅沢に施されているが、どこか寂れた感じが否めない。

がらんとした部屋の中央に、柔らかい光に包まれた像が浮かび上がっていて、それを指差して明臣が言った。


「あれが分かるかい? あれは我々の信仰の証である女神像だ。かつては、月の宮殿で群衆を見守っていたらしい」

 明臣は指差したまま、視線を女神像からショウマに移して、値踏みするように目を細めて見つめた。


「ボクが何故ここにいるか訊いている。答えろ!」

 恐怖でショウマの心臓は早鐘を打ち、眩暈がしそうだったけれど冷静な振りを装う。

明臣は片方の眉を上げ、目を細めて口の端をクイと持ち上げ、フンと冷笑した。


「報告書には、きみは森の妖精とある。それは本当かい? ならば枯れかかっている花を、生き返らせることが出来るだろう?」


 一方的に話す明臣をショウマは睨み返したが、この連中が何者なのか、なぜ自分が連れ去られたのか、知ることが出来た。


「報告書って? なぜボクが森の妖精だって知っているの?」

「へえ、やはり森の妖精なんだ」


 意外にも、明臣は対して興味なさそうに言ったが、対して金剛丸翁はパッと明るい表情になり、ひょこひょこと危なっかしく杖を頼りに近寄ってきた。


「おお、おお、お前が頼みの綱だ。あの花冠を生き返らせておくれ。お前の望みの物は、何でも与えよう。我らの運命がかかっておるのだ」

 翁は杖を持つ手を震えさせながら、興奮気味に言った。


「あの花冠?」

 ショウマが訊ねると、明臣が無言のまま女神像を指差した。

よく見ると女神像の頭には何か茶色っぽい汚らしいものが巻いてある。

明臣がため息交じりに言った。


「あれが枯れない限り、赤鬼の世界は安泰だと言われている」

「そうだ。だが見ての通り枯れかかっている。これは由々しき事態が起こっているのだ」

 翁は恐ろしそうに身震いしたが、そんな翁を明臣は小馬鹿にしたように見つめた。


「翁、そんなことはありませんよ。単なる言い伝えです。枯れたからといって災いが起こることはありません」

「馬鹿を言うんじゃない! 今まで悠久の時を、あれは枯れずに我々を見守ってくれたのだ。ああ! ああ! きっと大変なことが起こる」

 翁はくわばらくわばらと、両手を合わせて呪文のように唱えた。

その様子を無表情に眺めていた明臣が、ショウマと視線を合わせ物憂げに言った。


「そういうわけだ。きみは森の妖精だ。だから出来るはずだ。やってくれ」

「ボクひとりでは無理だ。レンゲがいないと」

「……、逃げられたもうひとりが必要だと? まったく! 奴らは何をやっているんだ」


 赤鬼部隊であるが、表に出ない裏の組織である『赤鬼秘密部隊』の手際の悪さに、イライラしながら吐き捨てる。


「だったら、早くレンゲという小僧を捕まえてくればいい」

 翁が言うのを、明臣が見下したように見つめる。


「報告書を読みませんでしたか? それによると、皇はとても能力が高いそうです。すでに事を荒立てた以上、対策は取るでしょう。だから秘密裏にこれからさらうのは、そう簡単ではない」

「だったらどうするんだ! あれが枯れたら、我々はお終いだ。明臣、どうにかしてくれ」

 翁は打つ手なしというように、女婿に懇願した。


「大丈夫ですよ。私に任せてください。翁は部屋に戻ってお休みください。疲れたでしょう。さあ」

 そう言って翁の背に手を添え、廊下に出るのを手伝った。



 エドガーは桜井からの連絡でショウマが誘拐されたと聞くや、取るものも取り敢えず駆けつけた。

赤鬼と青鬼の諍いに必要以上に関係を持つ桜井を、好き好んで巻き込まれているわけではないが、彼らしいと思った。


 レンゲはエドガーの姿を見ると、しくしくと涙を流して泣き出した。

エドガーはしゃがみ込んで、レンゲの銀色に輝く白い髪に手を添えて優しく声をかけた。


「遠くから皇を助けに来てくれてありがとう。ショウマが心配なんだね。でも、大地が追いかけて行ったのならば、すぐに見つかるよ。だから皇に任せて、ボクとここで待っていよう。健人君と駿君、それに藤原君と宗方君もキミに会いに来るよ」


 それを聞いて、レンゲの濡れた瞳が生き生きとしてきた。


「本当? 五十嵐と藤原が来るの? あのね、日下部も地の民なんだって」

「ああ、何だか複雑な話みたいだね」


 エドガーはそう言って桜井に視線を移すが、彼の意識はここではなく、どこか遠くに行っていた。

よく見ると、唇がわずかに動いている。

大地と連絡を取っているのだろうか。しかし、エドガーには知る由もない。


 そのとき背後で動く気配がして振り向くと、色白の痩せた男と筋骨隆々とした男が、手持ち無沙汰で困った様子をしていた。

どっちが日下部かは、一目瞭然だった。


「キミが地の民か。どうして……、いや、今はそんなことよりもショウマを助けに行かないと。大雅君、ここはボクが責任を持って守るから、さあ、キミらは早く行きなさい」


 桜井は頷いて鬼島に合図を送り、レンゲに手を振ると玄関から出て行った。



 早足で迷いもなく進む桜井の後について行きながら、鬼島は不思議でならなかった。

「おい、どこに行くんだよ。ショウマのいる場所がわかるのか?」

 桜井は歩く速度を変えずに後ろを振り向き、横に並ぶように手招きした。


「わかりますよ。金剛丸本家に連れて行かれました。鬼島さんなら場所を知っているでしょ?」

 それを聞いて、鬼島の腕が伸び桜井の肩を掴んだ。

急にグッと掴まれて、桜井はバランスを崩した。


「おっと、危ない。どうしたんですか」

「おい、俺が金剛丸の屋敷に行って、無事に済むはずがないだろう。いったい何を考えているんだよ。俺は行かないからな」

 眉間に皺を寄せた鬼島が睨むが、桜井は気にもせずに立ち止まって首を傾げた。


「行かないと駄目ですよ。結衣子さんが待っています」

「……、結衣子なんて知らないし、俺とは関係ない」

「本当にそう思いますか?」


「金剛丸隊長の俺に対する執着は、異常に感じるが……、まあ、その程度だぞ」

「それで十分です。鬼島さんを赤鬼に渡すことは、絶対にしないので安心してください。ただ、花冠を手に入れるためには、たぶん鬼島さんがいたほうが良いと感じます。僕の感は当たるんですよ。だから協力してください。お願いします」


 桜井は両手をそろえて、にっと笑った。

鬼島は嫌そうにため息をついたが、渋々桜井の後に続いた。


 黙々と歩いていると、走馬灯のように日下部と過ごした日々が流れた。

青鬼の一族と過ごすようになってからも、日下部の笑顔は戻らなかった。

鬼島には、日下部が頑なに幸せになることを拒んでいるように感じた。

だから日下部が、自分に似た境遇の者を救いたいと言い出した時に、反対もせず好きにさせた。

せめて日下部に、生きる目的を持たせてあげたかったからだ。

でもそれは、結局日下部の手を汚すことでもあり、それが良かったのか、悪かったのか、鬼島には分からなかった。


 桜井の後姿を見ていると、彼なら日下部を救えるかもしれないと、鬼島の脳裏に浮かんできた。

日下部が地の民ならば、俺から離れれば、皇が助けてくれるだろう。

ならば、あいつの兄貴も納得してくれるだろう。

ぼんやりと考えていると、先に行く桜井が振り向き、指で右手の茂みを示してから中に入って行った。



 桜井の後に続くが、鬼島の髪に嫌というほど木が絡みついてくる。

枝を振りほどき、イラつきながら桜井に声をかける。


「おい、待てよ。何処まで行くんだ。もう少しましな道はないのかよ」

 鬼島の髪は爆発したように広がり、小枝や木の葉が絡まっている。

振り向き鬼島の有り様を見て、桜井は思わずぷっと吹いてしまった。


「ふふ……。ああ、ごめんなさい。……ここで良いでしょう。大地がじきに来ます」

 辺りを見回して言うと、近くでガサガサと茂みをかき分ける音と同時に、ひょいと顔が現れた。


「遅かったじゃないか」

 自分のせいでショウマが誘拐されたと猛省している大地には、流れる時間がゆっくり過ぎて焦りばかりが増幅する。


「ごめん、ごめん。でも、レンゲを一人にはしておけないからね。エドガー先生に来てもらったんだ」

 桜井には、大地のそんな気持ちが手に取るように分かった。


「ああ、そっか。うん、エドガーがいれば安心だ。……、レンガだか、石だか分からないけど、あの大きな屋敷にショウマが連れ込まれた」

 忌々しそうに大地が顎で示す方角を見やると、大木の隙間に三角屋根がいくつも見える立派な屋敷があった。


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