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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第四章
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さよなら結衣子

 暁の寝床の中で虎杖は、まるで石を彫り込んだ彫刻のように、顔も体も冷たく強張っていた。

彼は、ほとんど死人に見える。

 結衣子は地下室を出てからずっと黙ったままだし、暁はどうしたらよいのか困り果てていた。


「虎杖君、目を覚ませよ。おい、大丈夫か?」

 軽く肩に手を当てるが、その手に感じる冷たさが不気味だった。

「医者に診せないとまずいな。でも、どうやって?」


 額に手を当てて悩む暁と、横たわる虎杖の間に結衣子は体を滑らせた。


「…………彼は死んではいけない。彼がいないと鬼族の均衡が崩れて、ひいては神来人にも存続の危機が訪れてしまう。いま彼の死を止めることができるのは、わたし」


 結衣子は暁に顔を向けると、聞こえるか聞こえないくらいの声で、そっと告げた。

暁が戸惑いつつ口を開くのと同時に、結衣子は両手をゆっくりと虎杖にかざした。


 結衣子の体がほのかに輝きだすと、両手から透き通ったふわふわした綿状の物が出てきて、それは連なって虎杖の体を包み込んだ。

完全に包み込むと、キラキラと輝きながら、次第にそれは吸収されていき、あとには血の通った虎杖が現れた。


 暁は目の前の出来事をただ茫然と見ていたが、なにかとても悪いことが結衣子の身に起こっているように思えて、手を伸ばして結衣子に触ろうとした。

そのとき後ろでドアの開く音がして、久遠が駆け込んできて怒鳴った。


「触るんじゃない! おまえ達は何をしている!」

 伸ばした手を引っ込めて振り返ると、久遠は険しい表情をして立っていた。

「その()は何者だ? 虎杖に何をしている!」


 久遠は緋色の瞳に変化させて、虎杖から引き離すために結衣子の体に手をやる。

体に触れた瞬間、火花が激しく散って久遠の体は吹き飛ばされ、床にたたきつけられた。

結衣子もそのままずるずると崩れ落ちた。


「結衣ちゃん!」

 暁が慌てて抱き起すが何の抵抗もなく、ぐにゃりとしている。


「ああ、嫌だ。結衣ちゃん! 結衣ちゃん! 目を開けてよ」


 暁の悲痛な叫び声に、結衣子の手がわずかに動いた。

その手の先から小さな光が一粒現れて、ふわふわと漂いだした。

その光は部屋ドアの上枠の壁に掛けてある、枯れて茶色くなっているシロツメクサの花冠に止まった。


 そのまま光は吸収されると、枯れていた花が一斉に咲き出し、中心が薄紫の白い小花がみずみずしく咲きほこった花輪に生まれ変わった。

暁はそれを見ると、涙がみるみる溢れ出て頬を濡らし、彼は嗚咽した。


「結衣ちゃん、何で、どうして……」


 暁の問いに、結衣子が答えることはなかった。

さめざめと泣いていると、久遠がようやく体を起こしたらしく、衣擦れが聞こえた。


「くそ、酷い目に遭った……。暁君、何があった? どうして虎杖がここにいる。その娘は虎杖に何をした……」


 急に黙った久遠に濡れた目を向けると、久遠の目の先には虎杖が立っていた。


「解毒剤なしで目を覚ますとは……。さすが奇跡の子だ。というか、彼女の力なのか?」


 久遠が結衣子に目をやると、虎杖はピクンと体を震わせて閉じていた目を開けた。

その目は白に近い銀色で、不気味に輝いていた。


「虎杖君、きみその目はどうした? 結衣ちゃんに何をしたんだ?」

 暁は結衣子を失った悲しみと怒りで、憤怒の表情になっている。


「……、僕は……、結衣を喰った」

 虎杖は無表情に答えた。


「何だって! きみは何を言っているんだ?」

 驚きのあまり頭が働かない。


「結衣は、僕に自分の生命(いのち)のエネルギーをくれたんだ」

「……、死ぬほどのエネルギーを奪い取らなくてもいいだろ! おまえのせいだ! 結衣ちゃんが死んだのは、おまえのせいだ!」

 暁は結衣子の体を強く抱きしめて、さらに泣いた。


「ごめん…………。僕は行くよ」

 銀色の瞳を悲しく輝かせて、虎杖が言う。


「待て! どこにも行かせない。貴重な奇跡の子を手放すわけにはいかない。悪いが、また毒矢を使わせてもらう」


 久遠が吹き矢を取り出し、狙いを定めてプッと吹いた。

毒矢は虎杖の首に当たり、そのまま床に転がった。

久遠が怪訝そうな表情をしたが、すぐさま立て続けに毒矢を吹き放った。

しかし、どの矢も虎杖に突き刺さることなく、床に転がるだけだった。


「二度も同じ手に引っかかるわけないだろう」


 そう言って虎杖は足元に転がっている毒矢を何本か拾い、久遠めがけてジャンプし、毒矢を突き立てた。

あっという間の出来事で、久遠はまともに毒矢を喰らい、慌てふためいて解毒剤を飲んだが、それでも体に痺れがきたようで、へなへなと座り込んでしまった。


「誰も僕を縛ることは出来ない。縛るものもない。前にそう言ったよね」

 うんざりしながら、虚ろな眼差しの久遠を睨んだ。


「あまり僕を怒らせないでよ……。結衣ちゃんがそこにいるんだ。今は誰も傷つけたくない」

 憂いの帯びた目で結衣子を見て、窓に手を置いた。


「暁君……。僕だってきみに怒っている。何で結衣ちゃんを巻き込んだ。何で連れて来たんだよ。結衣ちゃんの生命を奪うつもりなんてなかった。これは僕の本意ではない」


 虎杖と暁の視線がバチバチと衝突した。


「さようなら、暁君。もう、会うこともない。結衣ちゃん、ごめんね。バイバイ」

 暁がギリギリと歯ぎしりしながら睨む中、虎杖は窓から出て行った。



 鬼島家の王族統治が揺らぐと、鬼族の世界は内戦状態が続くようになる。

赤鬼、青鬼それぞれに独裁者が現れては消えるが、その中には人々を苦しめる酷い暴君もいた。

しかし彼らは体の変調をきたして、いつの間にか表舞台から消えるのであった。

そしてそのようなときは、必ず銀色の目をした鬼の姿が見られていた。

暴虐な君主にしいたげられた人々は、その目撃談に花を咲かせた。


 いつしか、悪さをする子供たちに戒めの意味を込めて、大人たちはこう言いだした。

『いい子にしていないと銀色の目をした鬼が来るよ。悪い子は喰われるよ』と。


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