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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第四章
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暁と結衣子

 その日、虎杖は学校に姿を現さなかった。

不安に駆られた暁と結衣子は何をすればいいのか、何をすべきなのか、見当もつかなかったが、取り敢えず明日まで様子を見ることにした。

しかし、その明日という日は、生涯忘れられない日となった。


 虎杖が逃げ出した次の日の朝、結衣子は校門で憔悴しきっている暁を見つけた。

「暁君、どうかした? 凄く具合が悪そうだけど」


 鬼族の特に男子は、一般的に横にも縦にも体格が良い。

暁はその中でも背丈があるほうだった。

だが今日の暁は顔色が悪く、身長も縮んだように見える。


「虎杖君、来た?」


 視線を合わせないでうつむいたままの暁に訪ねるが、無言のまま首を振る。

暁に訊きたいことがあるが、声をかけにくいほどの、体全体で拒絶している感が強く、時間がないので結衣子は小さくため息をついて、放課後になったら話をしようと約束をして、二人は各自の教室に別れた。


 先生が朝の連絡事項を伝えていると、突然教室の窓ガラスが爆発音で、ガタガタと音を立てて揺れた。

おもわず窓の外に目をやると、遠く離れた建物から黒煙がモクモクとあがっていた。

続いてサイレンがけたたましく鳴り響き、教室が騒めきだした。

先生が自習をしているように生徒に言い、何事が起きたのか確かめるために慌てて教室から出て行った。


 その間「何が起きた」「近くの工場が爆発したのかな」「黒煙があがっているあそこって宮殿じゃないか? 火事でも起きたかな」などと、生徒たちが窓際に集まってきて、指差しながらいろいろ言っていると、口頭伝達者が現れて、各教室に伝言を伝え始めた。


「生徒諸君に申し上げます。緊急事態が発生しました。今現在、宮殿が襲撃されているそうです。そのため、当校は急遽休みになりました。皆さんは急いで帰宅してください。いいですか、くれぐれも寄り道はしないように、真っ直ぐ家路につくこと。わかりましたね」


 宮殿が襲撃されたと聞いて教室はどよめいたが、理由は何であれ、休校になるのは生徒たちにとっては嬉しいことだ。

帰り支度をすると嬉々として教室から出て行った。

その中で暁だけは強張った表情で、結衣子が待つ校庭に重い足取りを向けた。

校庭の端にある月桂樹の生け垣に隠れるように、結衣子は身を潜めて待っていた。


「結衣ちゃん、どうしよう。僕の責任だ」

 そばに来ると、いきなり暁が悲痛な面持ちで言うものだから、結衣子は面食らってしまった。


「いったいどうしたの。ちゃんと話してくれないと分からないわ」

 言い難そうに口を歪める暁を覗き込むように、小首を傾げて結衣子が訊いた。


「虎杖君は昨日あの二人に捕まって、うちの地下室に閉じ込められているらしい。ああ、僕のせいだ。僕がここにあいつらを連れて来たから……」

 今にも涙がこぼれそうな泣きそうな表情で呟いた。


「どうして虎杖君を捕まえることになるの?」

 結衣子が怪訝そうに眉をひそめる。


「あの間部とかいう髭面が、虎杖君を捕まえろと叫びながら追いかけて行ったのを見ただろう。それが命令されたことだから、彼らは絶対に捕まえるまであきらめない……。彼らは訓練された歩兵隊員なんだ。虎杖君がどんなにすばしっこくても、逃げられるわけがない」


「何のために? 捕まえて虎杖君をどうするつもりなの?」

 結衣子の瞳が不安そうに揺れている。


「……、僕ら赤鬼の世界では、上からの命令は絶対に従わなければならない。昨日僕は、父の命令であの二人を学校に案内した。父は伯父に、王の息子を捕まえるように言われたんだ」


「暁君の伯父さん?」


「うん。父の長兄で侯爵なんだけど、凄く気位が高く権力が好きで、僕はあの人が苦手だ。青鬼でないと公爵になれないことに腹を立てていた。王の息子を、しかも王位継承順位の一番低い虎杖君でさえも捕まえさせたということは……、そう考えると、宮殿を襲撃しているのは伯父と近しい貴族たちだよ。王に代わって統治権を手に入れるつもりなんだ」


「何よ、それ。大変じゃない。虎杖君の命が危ないじゃない」

 青ざめた結衣子が、震える唇で言った。

「わたしが……、虎杖君をあの二人に教えちゃったんだわ。ああ、どうしよう。わたしのせいだわ」

 結衣子は苦渋の色をうかべ狼狽えた。


「それは違う。結衣ちゃんは関係ない」


 暁は困ったように口ごもるが、結衣子は無言のまま、立ち上る黒煙に目をやっていた。

静かに暁に向き直ると、何かを決心したような眼差しになっていた。


「虎杖君は暁君の家にいるのね?」

「……うん、使用人がそう言っていたのを耳にした」

「そう。じゃあ、これから暁君の家に行って助け出すわよ」

 結衣子は、言いづらそうに答えた暁を奮い立たせるように、力強く声をかけた。



 金剛丸伯爵家は、結衣子の想像をはるかに上をいく大きな屋敷で、彼女は目を丸くしながら屋敷の中に侵入した。

幸い誰の目にも触れることなく、二人は暁の部屋に入ることができた。


 結衣子は息を潜めながら、興味深そうにキョロキョロと見回した。

ふと部屋ドアの上枠の壁に目を止めると、暁がそれに気付いて頬を赤らめた。

あわてて花輪に話題がいかないように、暁は話しだした。


「父は公爵の命令に背くことはできないけれど、虎杖君の命をとることは絶対にないよ。父は権力よりも平穏を好む人だから」


 結衣子は暁に視線を移しながら、屋敷の様子を窺った。


「……うん。それは信じるし、そうあって欲しい。虎杖君はここにいると暁君は言うけれど、何の物音も聞こえないわよ」


「虎杖君は重要な人物だと認識されていないから、昨日の今日で、取り敢えず我が家で拘束している状態だよ。屋敷には、地下室があるけれど、むかしそこは地下牢だったんだ。だから、そこからの物音は何一つ聞こえない。今は、ワインの貯蔵室と食品庫として使用しているけど、きっとそこに虎杖君はいると思う。今屋敷にいる使用人は公爵家に駆り出されていて、メイドが数人残っているだけだから、助け出すチャンスはあるはずだよ」


 暁は花輪の下のドアに耳をあて、目を閉じて息を殺して様子を窺っている結衣子に言った。


 結衣子は何の物音がしないのを確認すると窓際に移動し、窓外のどこか一点を見つめた。

 自分の部屋に結衣子がいると思うと暁の心臓は早鐘を打ち、そわそわと落ち着きを失くした。

結衣子の横顔は、月の宮殿で民衆を見下ろしている信仰の証の女神の彫像と負けないくらい美しいと思った。と、そのとき暁は微かな違和感を覚えた。


『彼女は何をあんなに熱心に眺めているのだろう? 何を呟いているのだろう?』


 結衣子の唇がわずかに動いているのだ。

「結衣ちゃん、誰かいる? 何しているの?」

 暁は気になって窓の外を見やった。


「ううん、何でもない」

 そう答えた結衣子の眼差しはとても寂しそうで、暁は胸が締め付けられた。

「どうかした?」

「…………。あのときの花冠を、ちゃんと飾ってくれたのね」


 結衣子が急に花輪の話を持ち出したので、暁はうろたえた。


「ああ、うん。でも、もう枯れちゃったね」

「……大丈夫よ。わたしの思いを込めるわ。あれを見てわたしを思い出してね」

 妙なことを言う結衣子を小首を傾げて見つめていると、さらに付け加えた。


「誰の責任でもないの。誰も悪くないわ。わたしが決めたことなの。分かってね」

「……。結衣ちゃん? 何を言っているのか僕には理解できないよ……」


 暁は眉をひそめるが、

「さ! 地下室に案内して。虎杖君を助け出しましょう」

 結衣子はかまわず窓際からドアに移動し、暁に振り向くとニッコリと微笑みかけた。


 地下室は、以前は地下牢として使用していたとは思えないほど明るく清潔感があった。

廊下の左右の壁は棚になっていて、乾物や干物が所狭しと並べられている。

その奥にある螺旋階段をさらに下りると、ひんやりした空気が頬を撫で、かなり広い空間に出る。


 そこの照明は抑えられているため、薄暗く静寂に満たされていた。

ワインの樽が整然と並べられているのが目に入るが、人のいる気配は全くない。

結衣子が不安そうな声を出した。


「虎杖君はどこ? 別の場所に移動したのかしら?」

「今はそれどころじゃないから、それは無いと思うよ」


 不確かなことだが、ここ以外は考えられないと暁はさらに注意深く辺りを見回した。

すると一番奥の隅に、樽何個分かが欠けて見えた。

結衣子にそっと指で合図し、そこに足を向ける。


 近くまで行くと樽三個分の隙間があることがわかったが明かりから遠く、影が黒く濃いために何があるのか、誰がいるのか見えづらかった。

暁が非常灯を持ってくるよと言って急いでかけて行った。


「虎杖君、いる?」

 結衣子が暗闇に囁いたが、返事は得られなかった。


 そこに黒い塊があるようにも見えるが、結衣子には怖くて、確かめることができない。

ドクンドクンと自分の心臓の音が耳の奥で大きく鳴り響いた。

ぼんやりとした明かりを手に持って、暁が近づいてくるのを見たときは心底ほっとした。


 暁が手にした明かりが徐々に黒い影に近づくと、地べたに小さな物体があるのを映し出した。

「虎杖君!」

 小声で結衣子が悲鳴を上げ、駆け寄った。

暁がその物体に明かりを照らすと、死んだように目を閉じた顔面蒼白な虎杖が映し出された。


「ああ、どうしよう……。虎杖君、虎杖君……」

 うろたえる結衣子に、暁が明かりを持つように言った。

「結衣ちゃん、落ち着いて」

 暁は虎杖の首に指を置き脈を診てから、顔を近づけた。


「大丈夫。気を失っているだけだよ。虎杖君、おい! 目を覚ませ」

 軽く頬を撫でるように叩くと、少し身動ぎをした。


「おい、立てるか?」

 虎杖は薄く目を開けたが、頭を振って再び目を閉じた。

「駄目そうだな。僕が彼を背負うから手伝って。まず僕の部屋に連れて行き、それから考えよう」

「どうしてこんなことに。いったい何されたの?」

「とにかく誰かが来る前に、ここから早く出よう」


 結衣子は非難めいた口調になったが、慌てて虎杖の背に手を当てて、暁が背負うのを手伝った。

虎杖は暁よりも一つ年下で、しかも小柄な方なので、暁が背負うにはそれほど難儀ではなかった。


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