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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第四章
84/93

前夜(二)

 息を切らせた間部が久遠に追い付いた場所は、石切り場の跡地だった。

露天掘りで採掘された岩肌は垂直に切り裂かれ、天に伸びる独特な岩璧は、見るものを圧倒する。


 久遠は垂直にそびえる大きな岩壁を凝視していた。

釣られて間部も目をやると、岩肌に違和感を感じ目を凝らした。

わずかな窪みに足をかけ、こちらを見下ろしている虎杖を見ることができた。


「あいつ……、一体どうやってあそこまで登ったんだ?」

 緋色の瞳に変化して鬼の力に頼っても、あそこまで登るのは難儀しそうだ。


「あんな子供が行けるわけがない。でも現実にあそこにいる……。青鬼の能力でしょうか?」

「馬鹿な! 子供だぞ。きっと、何かトリックがあるのさ」


 すぐさま間部が否定したが、久遠は虎杖から視線を離さず、そうでしょうかと呟いた。

 間部は当たり前だろう、と言って虎杖に向かって怒鳴った。


「おい、小僧! 今すぐ下りてこい!」


 次の瞬間、笑い声とともに、頭上から虎杖が音もなく降ってきた。

それは、あまりにも信じられない光景で、間部と久遠は度肝を抜かして目を点にした。


「何を驚いているのさ。ご希望通りに下りてきたよ」

 ふわりと着地し、クスクス笑いながら二人を見つめる瞳は、不気味な銀色に輝いていた。


「おまえは鬼島の末子ではないのか? その目はなんだ?」

 間部が身構えながら距離を取る。


「あんたたちは随分失礼だよね。名のりもせずに僕を追いかけ回してさ。僕に何の用?」


 首を傾げて言う仕草は子供っぽいが、冷気を纏っているような虎杖に間部は背筋がヒヤリとして、思わず身震いしながら言った。

「俺たちと来てもらう……」

「笑わせないでよ。あんたたちに僕を捕まえられるわけがない」

 あはははは、と心底可笑しそうに笑った。


「何だと。いい気になるなよ。子供だからと手加減しないからな」

 間部が飛び掛かろうとするのを、久遠が止めた。


「間部さん、ちょっと待って。彼は『奇跡の子』だと思う。ここは慎重に行動したほうがいい」

「は? なんだって」


「聞いたことはあるでしょう。まれに生まれる銀色の瞳を持つ赤ん坊のことです。しかし彼らは短命で、二、三年、長くても四年ほどで死亡してしまうと言われています。こんなに成長した少年が現れるなんて、信じられない」


 久遠は珍しいものを見るように虎杖を見つめていたが、虎杖はため息をついた。

「なんだ。遊べると思ったのに。つまんない」


「君は王家の跡継ぎなのか?」

 久遠が訊くが、

「興味ないよ」

 虎杖は相手にしなかった。


「僕を縛るものは何もない。僕は自由でいたい。王族とか、跡継ぎとか興味ない。わかった?」

「悪いね。僕たちは君を幽閉しなくてはならないんだ。間部さん。変身してください。彼を捕まえるのは鬼でないと無理です」


 言うなり久遠は瞳を緋色に変化させた。

同時に全身の筋肉を隆起させ、犬歯を伸ばして鋭い爪も伸ばした。

間部も同様に変身した。


「へえ、あんたたちも自分の意志で鬼になれるんだ。僕と同じだね」

 虎杖は、楽しそうに二人を見つめた。


「あの子は軽いから、敏捷性は我々よりも優れていると思います。しかし、我々大人は体力がある。ここは間部さん、持久戦で行きましょう。彼が疲れて動きが鈍ってきたら、毒矢を使って動きを封じこめてください」


「毒矢を? 相手は子供だぞ」

 間部が躊躇すると、久遠が構わず言い放つ。


「あそこから音もなく、軽々と下りて来る子です。子供だと思ってなめたら、大変なことになる。相手は子供ではなく、怪物だと思ったほうがいい」


 理路整然と言ってのける久遠を、いつも冷静沈着なあいつらしいと思うが、間部はやはり、子供相手に鬼として戦うことに、二の足を踏んでしまう。


「何をやってるの。僕を捕まえるんでしょ。鬼はあんたたちだから、僕は逃げるよ。さあ、捕まえてみな。あははは」

 笑いながらぴょんぴょん撥ねている虎杖は、見るからに楽しそうで、間部はさらにためらいを感じた。

そんな間部の素振りを見ていて、久遠がはっぱをかけた。


「間部さん行きますよ。見かけに騙されないように、いいですね。小悪魔を捕まえましょう」

 久遠が虎杖の跡を追い、間部はその後について行った。



 垂直に切り立った険しい岩肌のわずかな窪みに足をかけて、虎杖は容易にジャンプして駆け上がり、久遠と間部は両手両足を使って慎重に上って行く。

久遠たちとの距離が縮まると、虎杖は横へ、上へと、自由自在に動き回った。


「遅いなあ。逃げちゃっていいの?」

 虎杖はクククと笑いながら、二人を見下ろす。


「意外ときついな」

 間部が息を切らせていると、一向に追い付けないことに久遠が苛立ち始めた。


「間部さんは、ここで吹き矢を用意して待っていてください。僕が彼の前に回り込んで、こちらに来るように動きますから」


 そう言って、上ではなく横に素早く移動して行った。

虎杖は自分の真下に来た久遠が、どう動くのか興味深そうにしていた。

久遠はかまわず、さらに横へと進んで行く。


「おーい、僕はここだぞ。どこ行くつもりだよ」

 あきれ気味に声をかける。


 虎杖は久遠に集中したため、間部のことは眼中に置かなかった。

間部は、吹き矢の届く距離を目算して準備をする。

虎杖が今いるところから下りてきた場合の射程内に、気づかれないように移動した。


 準備万端、整ったことを久遠に合図すると、それを受けて久遠が真上に上がり、虎杖目掛けて下りてきた。

虎杖は一瞬迷ったが、下りることを選択した。

数メートル下まで一気に下りると、久遠のいる位置を確認しようと顔をあげた時に、首にチクリと痛みが走った。

首に手をやると針が刺さっていた。


「あ! ちくしょう!」


 痛みの正体が分かると、虎杖は自分の不注意を呪った。

吹き矢が飛んできた方向には、吹き筒を手にした間部が、してやったりと満面の笑みをしている。


 毒がまわり体の自由がきかなくなると、ゆっくりと岩肌から体が離れていった。

空中に舞った虎杖の体が地面に叩きつけられる前に、久遠が受け止めて無事に着地した。


「大人をなめるからだよ。反省しなさい」

 意識が薄れる中で、久遠の冷ややかな声が頭の中で囁いた。


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