時空のトンネルへ
客室の日下部は、泥のように眠っていた。
鬼島に部屋の説明をしてから、日下部と一緒にゆっくり休むように告げてから廊下に出る。
その時何か雑音を感じて耳を澄ますと、階下から話し声らしきざわめきが聞こえてきた。
『あれは綾乃さんか? 予定よりも早いじゃないか。ああ、不味いなあ』
予想外なことが起きて、どうしようか考えがまとまらないまま階段を下りた。
深呼吸をひとつして居間の扉を開けると、時の番人の助手をしている小池敦子が、大地と話しながらこちらに顔を向けた。
二人はよく喧嘩をするが仲も良い。
物事を素直にとらえるところとか、さっぱりとした性格のところが、似た者同士でお似合いだと桜井は思っている。
時の番人の織部綾乃は、窓外の暗い森の影を見つめていたが、ゆっくりと振り返り視線を桜井に止めた。
桜井は動揺を悟られないように二人を迎えた。
「お帰りなさい、綾乃さん。小池さんも一緒だったんだ。それにしても、予定より早くないですか。もう少しかかると言ってませんでした?」
後二、三日は帰れないと聞いていたから、のんびりとしていたけれど、この状況を綾乃さんにどう説明しようかと、心の中であれこれ考えながら言った。
「誰のせいだと思ってるのよ」
小池が立ち上がって口を尖らせ鋭く睨むが、綾乃が手で制したので、ふくれっ面のまま再び椅子に腰かけた。
大地は口を一文字にして、とばっちりを受けないように、だんまりを決め込んだ。
「行く先々で、皆から聞かされるのよ」
綾乃は、桜井を見つめながら静かに話しだした。
「何を?」
桜井は、完全にばれていると悟った。
「最近まで小康状態だった赤鬼と青鬼のいざこざが、再び勃発したということ。そしてある村では、皇が鬼島のアジトに赤鬼部隊を導いたと噂しているし、また別の村では、赤鬼部隊にアジトを襲撃された鬼島を、皇が逃がしたと騒いでいた。今はどこの村を訪れても、それ一色よ。皇と暮らしているわたしが、真相を知らないでどうするのよ。だから帰ってきたの」
ほう、と小さく息を吐き、続ける。
「それで? きみは鬼島をここに連れてきてどうするつもり?」
そう言う綾乃の様子が、いつもと違うと桜井は違和感を覚えた。
いつもならば、目をきつくして説教をするはずだ。
皇は他の種族に関わってはならない、神来人のみに力を使うべきだと、口を酸っぱくして言うはずだ。
戸惑いながら大地を横目で見ると、彼も同じように感じているらしく、目を丸くして綾乃を見つめていた。
「あの……、日下部さんは地の民だと分かったので、だから赤鬼部隊に渡すわけにはいかなかった。鬼島さんは……、日下部さんを離してくれそうになかったから……。勝手なことをしてごめんなさい」
取り敢えず謝るが、綾乃は考え事をしているようで聞いているのかいなのか、目の焦点が合っていなかった。
「綾乃さん? どうかした?」
桜井の呼びかけで我に返り、綾乃は再び漆黒に染まる森へと視線を移した。
「鬼島と金剛丸は、未だ因縁深く結びついているようね……。それにきみ、皇が関わりだした。……、これも宿命なのかな……」
桜井に振り向き、綾乃は何ともやりきれない表情で、独り言のように呟いた。
「綾乃さん?」
訳も分からず戸惑っている桜井に、綾乃が訊いた。
「鬼島と金剛丸の因縁を見に行くかい?」
「……、はい」
綾乃が進んで鬼族の争いごとに首を突っ込むとは、夢にも思わなかった。
桜井は大きなうねりを感じて、興味を示した。
大地もそれは同じで、目を輝かせて話に割り込む。
「綾乃さん、俺も行く」
「え、じゃあわたしも」
小池も透かさず言った。
「きみたち二人はここで待っていなさい。小一時間程で戻るようにするから。わたしたちが戻るまで、赤鬼が来ないか見張っていて頂戴。お願いね」
それを聞いて、小池の機嫌がすこぶる悪くなった。
「あっちゃんもここのところ忙しくしていて、大地君と会うのは久しぶりでしょう? 二人きりにしてあげると言っているのよ」
フフッとにこやかに笑うと、小池の頬が、ポッとピンクに染まった。
綾乃と時空を超えるのは、すこぶる快適である。
彼女が作り出す道しるべは、天鵞絨色の地面から上に向かって明るくグラデーションがかかり、天井はカワセミの羽色のような鮮やかな緑色の翠色へと変化しているトンネルである。
「綺麗な世界ですね」
天鵞絨の感触があまりにも心地良く、思わずため息を漏らした。
綾乃は柔らかい眼差しで桜井を見つめ、満足そうに言った。
「それは、皇が正しい仕事をしているからよ」
首を傾げる桜井の背中に手を回し、
「だから、自信を持ちなさい。きみは正しい……。さ、着いたわ。行きましょう」
そっと、遠く過ぎ去った過去に二人は降り立った。




