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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第三章
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日下部柊の誕生

 厳しい冬到来の前にみせる、暖かく穏やかな日に知宏から連絡がきて、鬼島は指定された場所に出向いた。

先に公園に来ていた知宏は以前よりも頬がこけていたが、何だか清々しい表情をしていた。

彼は鬼島に気が付くと、手を上げて微笑んだ。


「その様子だと、あの後順調に事がすすんだようだな」

 鬼島は、知宏がこんな表情をして魅力的に笑うんだ、と改めて見つめた。


「ああ、君の演技と家政婦の想像力で、すべてうまくいった。怖いくらいにね」

「あの親父は、日下部が死んだことを疑ってないのか?」


 母親の旧姓をとり、日下部柊と名のっているのだと説明しながら、鬼島は公園のベンチに腰掛けた。

小春日和の陽気に誘われて目を瞑る。


「君は怪物で、柊を喰らったことになっているよ。申し訳ない。親父はそんな奴がいるわけないと否定したが、彼女はこの目で見たのだと言い張るから、それ以上のことが言えない。ただ、あの残された血の量を考えれば、柊は生きてはいないだろうと、誰もが推測することだろう」


 知宏はフフッと意地悪く笑い、

「人の噂も七十五日とはよく言ったもので、今ではもう、柊の話題を耳にすることは滅多にない。だから安心していいと、柊に伝えてくれ」

 知宏は、少し寂し気に言った。


「あんたは、柊に会わなくていいのか?」


「……、柊は全てを忘れて、一から始めるんだ。酒井家に関わる者とは会わないほうがいい。柊は……、元気にしているのか?」

 柔らかい太陽の光を浴びて、目を細めて訊いた。


「日下部は、目覚めた当初は暴れたけれど、あんたが計画を立てたと知って泣いていた。自分だけが自由になって、幸せになっていいのか、今でも悩んでいるみたいだ。……、あんたも俺たちの所に来ないか? あんた一人くらい面倒みるぞ」


 そう言われて知宏は嬉しそうに笑ったが、首を横に振った。


「僕が何の計画もなしに、今でも我慢してあの家にいるとでも思った? はは、馬鹿を言っちゃいけない。親父の言いなりになったのは、高校までだ。今では体力は同等だし、これからは僕の方が強くなる。僕の生きがいは、親父の全てを奪うことだ。全てを奪い取ってから、あの鬼畜をあの家から、裸で追い出してやる」


 爽やかな笑みの中で邪悪な光を目に宿しながら知宏は言い、ベンチから立ち上がり伸びをした。


「……、それでいいのか?」

「何が?」

 知宏は鬼島の問いかけに、不思議そうに訊き返した。


「それであんたは幸せなのか? 幸せになれるのか?」

「……、そんなこと考えたことないよ。正気を保つためには、復讐にすがるしかなかった。復讐を成し遂げるまでは、冷静でいられるんだよ。それが僕にとって一番だ」


 遠い目をして知宏が言う。


「今日は何て良い天気なんだろう。柊の新生活の始まりにはもってこいの日だ。鬼島君、君に会えて本当に良かった。柊が生きていられるのは君のおかげだよ。柊をよろしくな。君になら預けられる。……、僕らは……、もう会うことはないだろう。ありがとう」


 鬼島は知宏が痛々しくて、かける言葉が見つからなかった。


『元気で』『頑張れよ』『またな』『幸せになれよ』、どれも違う。

戸惑っていると、知宏が手を差し出してきた。

鬼島はその手を強く握り言った。


「もし、困ったことが起きたら、いつでもいいから連絡をくれ。いつでも俺たちの所に来てくれ。歓迎するぞ」


「ありがとう。そうならないように頑張るさ。それじゃあな」


 知宏は、はははと作り笑いをしてから目を伏せ、踵を返して公園から出て行った。

その後姿がとても寂しそうだったのを、鬼島は後になって日下部に話した。



 鬼島の意識が戻りだすと、再び空間が歪みだした。

大地と桜井が居間に戻ってくるのと、鬼島の目が覚めるのが、ほぼ同時だった。

鬼島の持っていたティーカップが傾いて紅茶がこぼれた。


「あ、こぼしてしまった。すまない」

 慌てて、ティッシュで拭こうとするのを、桜井が止める。


「いえ、気にしないでください。そのままで大丈夫ですから」


 鬼島は手を止めて、じっと二人を見つめている。

大地は視線を逸らして窓際に移動した。


「俺に何かしたか?」

 眉間に皺を寄せて、鬼島は不機嫌になった。


「いいえ。どうかしましたか?」


 桜井が言うのを、大地は『しらばっくれるのが上手いなあ』と感心して窓の外を見やる。

下手に会話に参加すると、自分は墓穴を掘りそうなので傍観することにした。


「夢というか、幻影というか、妙に生々しい記憶が頭の中を、グルグル回っているような感じなんだ」

 不審そうに桜井を睨むが、

「疲れているからでしょう。日下部さんは暫く目覚めないと思いますから、鬼島さんもどうぞ休んでください。部屋に案内します」


 桜井が居間の扉に手をかけて案内しようとすると、鬼島は躊躇しながらも後に続いた。

一人になってから、大地は深いため息をついた。


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