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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第三章
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壊れる(四)

「静子さんって酒井のお袋さん?」

「ああ、もう長くはないだろう」


 知宏の声に酒井が我に返り、酷く悲しそうに顔を歪ませ、毛布の中に潜り込んだ。

押し殺した嗚咽が、微かにベットから漏れたが、流石に知宏は、それ以上は声をかけなかった。

小さくため息をつくと、ボタンに手をかけ上着を脱ぎだした。

細いながらも、きれいな筋肉が付いた上半身が現れた。


「これを見ろよ」


 そう言って後ろ向きになり背中を鬼島に見せると、鬼島は眉根を寄せた。

背中には無数の傷跡が醜く残っていた。


「……、それは……」戸惑っていると、

「世に言う児童虐待だよ」

 卑屈な笑いを浮かべたまま、毛布のふくらみを凝視して再びため息をついた。


「ここ三年間は無傷だよ。これはそれ以前のものだ。だけど……」

 脱いだ服を着ながら、苦しそうに知宏がこれまでの経緯を話しだそうとする。


「柊の傷はこんなものじゃない。酷いものだ……」


 鬼島は驚きベットに目をやると、わずかに毛布が動いていて、くぐもった声で、やめて、やめて、と聞こえてきた。


 知宏が鬼島に部屋を出るように手で合図をし、

「柊、大丈夫だ。何も考えずにゆっくりお休み。僕も鬼島君も柊の味方だよ。落ち着いたら話そう」

 そう言って部屋を移動し、鬼島を自分の部屋に連れてきた。


「酒井も虐待にあってるのか! 誰に? あの親父さんか?」

 頭に血が上った鬼島が興奮して声を荒げると、知宏は興味津々にその顔を凝視した。

「報告書の通りだ。へえ、本当に君は鬼族なんだ。目が金色に変化しているよ」

「何でそれを?」

 自分の秘密を知られて驚いている鬼島に、にんまりとほくそ笑む。


「君のことは徹底的に調べ上げた。まあ、大金を払う羽目にはなったけどね」

「あんたの狙いは何だ?」

 どうにも、目の前の人物が何をしたいのか掴めない。


「狙い? ただ柊をクソおやじから解放してやりたいだけだよ。僕では無理だから……」

 知宏が、サイドテーブルに置かれている写真立てに目をやる。

そこには無表情の知宏と一緒に写っている、幼い笑顔の酒井がいた。


「酒井は、ここでどんな目に遭ってるんだ?」

「……、親父はチャイルド・マレスターなんだ」

「チャイルド・マレ……何だそれ」


「児童性虐待者。しかも最悪な加虐型。子供に苦痛を与えて喜んでいる悪魔だ。あいつは命令に従えば暴力を止めてくれるが、でも柊は従わない。だから、毎回酷い暴力を受けている。身も心もボロボロさ。……柊は、もう壊れかけてるよ」


「何で助けを呼ばない? 逃げだせないのか?」

 鬼島は拳をきつく握りしめる。

柊の涙を思いだして、胸が疼いた。


「逃げれば、それは静子さんの死を意味する。彼女は筋ジストロフィーという難病に侵されていて、人工呼吸器を付けている。あの悪魔は幅広く事業を手掛けていて、静子さんが入院している病院もその内の一つだ。だから、特別に手厚い看護を受けて、かろうじて生かされている状態なんだよ。柊がこの家を出たら、あいつは静子さんを見捨てるだろう。柊はそれを分かっているから、彼女が息をしている限り、この家から逃れることは出来ないんだよ」


 鬼島は知宏の口から発せられる言葉が、頭の上をグルグルと回るだけで、思考にまで至るのに時間がかかった。

さらに信じられない内容を、ナイフでえぐるように続ける。


「あいつと静子さんの出会いは、病院だよ……。僕が思うに……、あいつが欲しかったのは、柊のほうだと思う。あどけない天使のように笑う柊は、本当に可愛かった。柊を手に入れて、自分の思い通りに育てたかったんじゃないかな。だけど柊は、あいつの思い通りにはならなかった。大したものだよ、柊は。……でも、代償は一生、体に残る虐待の跡だ」


「あんたは、黙って見ていたのかよ」


 知宏の背中の傷跡を考えると、彼もまた被害者で、父親に逆らえるはずがないと思うが、自然に言葉が出ていた。


「僕は……、親父の興味が柊に移って、正直ホッとしていたんだ。ああ! 自分が情けなくて仕方がない」

 写真を見ながら苦しそうに言い、鬼島を睨む。


「だから、君に柊を救ってもらう。協力してくれるよね!」

 引き下がらない勢いで言って退けた。


「俺に出来ることは何でもするさ。だけど、気になる噂を聞いたんだが」

「噂? どんな?」

 知宏が眉をひそめた。


「腹の立つ噂だ。酒井が歓楽街で中年男といるのを見られてて、パパ活してると言うんだ。バカげてるだろう」


「……いや。それは事実だと思う。クソおやじの策略だよ。中年男は親父が雇った奴だろうな」

 何かに集中するように考え言うが、鬼島は「何でそんなことを」と訝しがる。


「学校でそんな噂がたっていれば、柊は学校に行き難くなるし、だから休んでいたんだろう? それに、孤立してくれた方が親父には都合がいい。パパ活してる奴の言うことなんて、本気にしないだろ」


「…………」


 激怒した鬼島の髪が逆立って、金色の目が異様に輝きだした。

それを見た知宏が「すげえ」と感心して「さすが鬼族だ」と、いたく満足そうに口元を上げた。


「僕が君に期待するのは、その鬼の力と鬼島と言う鬼族での立ち位置だよ。これから、君にしてもらいたいことを話すよ。二人で柊を自由にしてやろう」


 こいつにもこんなに豊かな感情があるんだな、と思わせるほどの笑顔で知宏が言った。


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