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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第三章
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壊れる(三)

「さて、僕はこれからどこに君を連れて行けばいいのかな?」


 ルームミラーの中の鬼島と視線を合わせて知宏が訊くが、鬼島はムスッとして無言のまま、窓外の景色に目をやった。


「君の家まで送ろう。どこだい?」


 知宏は抑揚のない話し方をするので、機嫌が良いのか悪いのか、判断が付かない。

感情が乏しいのだろうかと疑ってしまう。


「わざわざ車で迎えに来て、あんたたちはこれからどこに行くつもりなんだ?」

「柊の具合が悪そうだから、迎えに来ただけだよ。我が家に帰るだけさ」

「ふん、酒井が学校を休んでいるのも知らなかったくせに」


 バン、と乱暴にハンドルに両手を乗せ、ルームミラーの中の知宏の目が鋭くなると、鬼島は背筋がゾクゾクした。


「柊、こんな奴連れてきてどうするつもりだ。家に連れて行くか?」

 酒井の横顔に目をやり、「僕はどちらでもいい。柊が決めろ」と言い、「大丈夫か?」と、ここで初めて気づかう素振りを見せた。


「一緒に帰れるわけがない」

 酒井は硬い表情のまま、真正面を向いたままである。


「……昼飯食べたの?」

 知宏が後ろを振り返って、あまりにも鬼島を凝視するので奇異に感じながら、頭を縦に振る。


「そっか、でも君ほどの体格ならばまだ食べられるだろう。柊はどうせろくに食べてないだろうし、付き合えよ」


 酒井は眉をひそめて知宏を見るが、それに構わず車を発進させた。

車を駐めたのは、見るからに高級そうな料亭の駐車場で、お得意様らしく顔パスで個室に案内された。


「親父の付けが利くから、好きなもの頼んでいいよ。柊は無理してでも食べて、体力をつけろ」

 知宏は世間慣れしているらしく、テキパキと注文して鬼島と向き直った。


「ところで君、名前は? そう鬼島君か。柊と一年以上会ってなかったのに、何でそんなに気にするのかな?」

「……たった一年で酒井はどうしてこんな……、こんなに病人のようになったんだよ。何があったんだ」

「ほら、鬼島君が訊いてるよ。柊、答えなよ」


 鬼島が真正面から酒井を見つめると、酒井は視線を逸らし知宏を上目遣いで睨んだ。


「僕のことはほっといてくれ。頼むよ」

 終始俯いている酒井は、声を震わせた。

暫く様子を窺っていた知宏は、迷いながらも何かを決断したように鬼島を見た。


「柊は君と話したくないようだけど、僕は君とお近づきになりたい。僕と友達になろう。今度、僕に会いに家に来なよ……。うん、それが良い。その方が都合が良い」


「……義兄さん。何をするつもり?」

 知宏を見つめる眼差しは、不安そうに揺れていたが、知宏は意に介せず食事を摂りながら、鬼島に話しかける。


「さ、鬼島君も遠慮せずにたくさん食べて。食事が済んだら、今日は取り敢えず君の家に送って行くよ。今度は柊抜きで、二人で会おう」


 ギュッと噛みしめていた唇を開き、何か言おうとした酒井は、再び唇を閉じてプルプルと震わせた。


 鬼島は二人のやり取りを見ていたが、妙なことになって戸惑っていた。

『酒井抜きで義兄と会って、何を話すんだ? この胡散臭い義兄は信用できるのか? でも、酒井の家に行く理由ができるのは、正直ありがたい。この話に乗らない手はない』そう考え、知宏に同調した。


「都合のいい日を言ってくれれば、俺はそれに合わせます」

 青ざめている酒井をチラッと見てから、鬼島は答えた。



 翌日、酒井は登校しなかった。

谷口が鬼島の鞄を持って教室を尋ねてきて、その後の報告を聞きたがった。


「はい、鞄。体調不良で早退したことにしたから、そのつもりで。なんでクラスが違うのにって、先生に怪訝そうに見られたんだからな。あとで何か奢ってもらうよ。……それで、昨日はあれからどうしたの?」


「料亭でお昼を奢ってもらった。そして義兄と友達になって、家に招待された」

「えー、いいな。僕も行きたかった」

「はは、高級な料亭だった。惜しかったな。鞄をありがとう。じゃあ、ビックマック奢るよ」

「やった、セットでね」


 谷口は呑気で良いな。

太陽を思いきり浴びて生きてきた人生なのだろう。

酒井と大違いだ。


 谷口の無邪気で嬉しそうな顔と、酒井の青白い顔が重なり合って、鬼島の胸がチクリと痛んだ。


 酒井はもう学校には来ない気がした。

早急にあの義兄と会わなければ。

鬼島はあの義兄弟の闇が、途轍もなく深い気がして眩暈がしそうだった。



 数日後、知宏から連絡を貰い、鬼島は酒井の家に出かけた。

やはり、あれから酒井は学校を休んでいる。

そして、知宏からは信じられない言葉が発せられた。


「鬼島君は、柊のために人殺しになれる?」


「は?」


「柊を殺して欲しいんだ」


 目の前のこいつは、いったい何を言ってるんだと、鬼島は呆れ顔になる。


「ははは、本当に殺すんじゃなくてさ、そう思わせて欲しいんだ」

 笑いながら言うが、目は笑っていなかった。


「訳が分からない」

「……うん、だよね。柊の部屋に行こうか」

「え、酒井は部屋にいるのか?」


 玄関チャイムを鳴らしたとき、顔を出したのは知宏で、酒井がいる気配はなかった。

だから、てっきり出かけているのだと思っていた。

この状況で酒井に会って、どうしろと言うのか、鬼島は慌ててしまったが、知宏はさっさと酒井の部屋のドアを開けて鬼島を招き入れた。


 部屋は昼間なのにカーテンが閉められていて、暗く酒井がどこにいるのか分からない。

知宏が電気をつけると、ベットで頭から毛布をかぶった酒井が現れた。


「おい、起きているのは分かってる。顔を出せよ。柊、鬼島君が来てるぞ」

 暫く動く気配はなかったが、そのうちにモソモソと動き出して声がした。

「義兄さんに会いに来たんだろう。僕には関係ない」

「柊、起きろ。はぎ取るぞ」


 静かに言うが、威圧感があった。

酒井は大儀そうに起き上がったが、視線は合わせようとしなかった。


「柊、服を脱げよ」

 この言葉に酒井は目を見開き、体を硬直させた。


「義兄さんは何を言ってるの」

 酒井は両手で胸元をギュッと握りしめたが、知宏がその手を強引に開かせようとする。


「止めて! 何するんだ! 出て行けよ!」


 悲痛な声で叫ぶが、知宏の手は止まらない。

みるみる酒井の瞳に涙が溜まるのを鬼島が見て、知宏を止めに間に割り込んだ。


「止めろよ。嫌がっているじゃないか」

 鬼島に止められて知宏は手を離したが、暫く酒井を見下ろしていた。


「柊、おまえ死ぬつもりだろう」


「え?」

 鬼島は驚きのあまり、二人の間に入ったまま中腰で知宏を振り返った。


「静子さんが亡くなったら、後を追うつもりだろう」


 鬼島が酒井に視線を移すと、酒井も鬼島を見た。

酒井の瞳は奇妙なまでに生き生きしていた。


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