壊れる(二)
翌日登校すると谷口が待っていて、酒井が来ていると報告した。
さっそく一組を覗きに行くと、窓際の一番後ろの席に酒井は座っていたが、その周りに男子生徒三人がたむろしていた。
その中の乱杭歯が目立つ少年が、何か酒井に一言二言言ってヘラヘラ薄ら笑いをしている。
酒井は特に気に留めることなく、校庭を眺めて相手にしないと、こっちを向けよと言って、酒井の肩に手を置いた。
彼は傍から見ても分かるほどビクッと震えて、その手をはたき落とした。
「痛! 何するんだよ。ふん、触られるのなんて慣れてるだろうに、大げさだな」
口を曲げて含み笑いをすると、余計に乱れた歯が強調された。
「おい! それはどういう意味だよ」
背後から急に声をかけられ振り向くと、そこに不愉快そうに鋭い目つきで自分を睨んでいる、厳つい体つきの生徒がいて、乱杭歯の少年は目を見開いて驚いた。
「誰だよ、おまえ。勝手に割り込むんじゃねえよ。人のクラスに勝手に入ってくるな!」
少年が仲間の二人を見ながら唇を突き出して言うと、そのうちの一人が小声でそっと教えた。
「三組の鬼島だよ。奴とは関わらないほうが良い。行こう」
仲間の二人は乱杭歯の少年を、まあまあと宥めながら廊下に連れ出そうとしたが、その際、彼は一言多かった。
「さかい~、ホテルでおっさんが待ってるんじゃないのか。行かなくていいのかよ…………、ぐえ!」
言い終わるのと同時に、鬼島の拳が容赦なく乱杭歯の少年に飛ぶと、彼は鳩尾辺りを抑えて前のめりのまま膝をついた。
苦悶の表情で声も出せないでいると、鬼島は襟元を鷲づかみにして立たせた。
「あ? 何だって? もう一度言ってみな!」
少年は体を持ち上げられ、つま先立ちで喘ぎながら助けを求めるが、一緒にいた二人は既に廊下に逃げて、恐る恐る覗いている。
「は、離して……、苦しい……」
ヒーヒー言いながらジタバタするが、鬼島は締め上げる腕を緩めない。
他の生徒は遠巻きにチラチラ見ているが、誰ひとり動こうとするものはいなかった。
そのとき谷口が遅れて教室に現れるや否や、この現状に驚くと同時に鬼島に飛び掛かった。
「何をやってるの。鬼島君、暴力は駄目だよ。ほら! 早く離して!」
鬼島と乱杭歯の少年の間に入って、襟元を締め上げている彼の両手を握り、二人を引き離した。
「……まったく! きみは口よりも先に手が出るんだから」
徐に乱杭歯の少年に視線を移して、耳元で囁く。
「あのさ、この人、危ない奴だからこれ以上関わらないほうが良いよ」
少年は小声で『ああ』と返事をしてから、脱兎のごとく仲間の待つ廊下に逃げて行った。
静まりかえった教室で、クラス中の視線を浴びながら、谷口が穏やかに言い放つ。
「騒がせてごめんね。でも、もう大丈夫だからさ、気にしないでよ。僕らも出て行くし、さ、行こうか」
鬼島と酒井に向かって、早くと急き立てた。
校庭の片隅まで、酒井は大人しくついてきた。
ただし、鞄を持って教室を出てきたのが気になったが。
鬼島はそんな酒井を、信じられない思いで見つめている。
『屈託のない、あの無邪気な笑顔でクラスの人気者だった藤井が、今、目の前にいる人物と同じだと言うのか? たった一年半でこんなにも変われるものなのか?』
鬼島は我が目を疑った。
目の前の酒井は、血の気が失せた病人のような顔色で、頬に影ができるほどこけている。
ぼんやりと前方を見つめる目は、生気のない死んだ目をしていた。
『藤井から酒井になり、いったい彼の身に何が降りかかったのだろうか?』
鬼島は、今日まで彼を放っておいたことを悔やんだ。
「酒井……。なんで同じ中学に通っていることを教えないんだよ。俺は谷口に聞くまで、まったく気が付かなかった。……それに学校を休んで、どこで何をしているんだ? 学校には行ってることになってるんだろう? 義理の兄さんが言ってたぞ」
酒井の顔色を伺いながら、鬼島が恐る恐る訊くが、聞こえているのかいなのか、酒井は濁った眼で一点を見つめたまま、だんまりを決め込んでいる。
「おい……、何とか言えよ」
イラつく鬼島に、谷口が手で制する。
「久しぶりに会ったんだから、慌てるなよ。今度、三人でどこか出かけようよ」
「……、クラスも違うし、僕に構うな」
やっと発した声は、苦しそうに震えていた。
「おまえ、本当にどうしたんだよ」
尋常でないことを感じ取った鬼島は、酒井の腕を掴んだがあまりに細い腕に驚き、不安で胸が締め付けられた。
「おまえ、ちゃんと食べてるのか?」
「うるさいな、離せよ」
酒井は腕を振りほどいて鬼島を睨みつけ、校門に歩き出した。
谷口と目を合わせて後を追うと、校門の空きスペースに一台の車が止まっていた。
酒井がその車に近づき、助手席側のドアノブに手を置くと、運転席側の窓が開き知宏の顔が現れた。
「誰かと思ったら昨日の子じゃないか。君たちも早退かい? ずる休みは駄目だぞ」
血の繋がりがないのに、雰囲気が似ていると鬼島は感じた。
知宏の表面的な言葉に、酒井の人を寄せ付けない態度に、鬼島は胸騒ぎを覚え思わず後部ドアを開けて車に乗り込んだ。
「おい、何やってるんだ? 降りろよ」
知宏が困って言うが、鬼島は無視して窓を開けた。
「谷口、俺は早退するから、鞄を頼むな」
「え? 鞄?」
「ああ、明日まで預かってくれよ。じゃあな」
そう言って、唖然としている谷口を残して窓を閉めた。
知宏はルームミラーで鬼島を見つめていたが、酒井は血色の悪い顔色を、いっそう青白くさせて体を強張らせた。




