決戦(五)
先に三人が金庫に入り、最後に日下部が部屋にガソリンを撒き、金庫の扉を閉める直前にライターを部屋に放り投げた。
暗闇の中、ゴウゴウと炎が勢いよく燃えさかる音が、扉の向こうから聞こえた。
「立つ鳥跡を濁さずと言うだろう。私たちの痕跡は、何も残さないほうが良い」
伊青の『なぜ放火までするのか』という表情を読んで、日下部が答えた。
鬼島が手にしている懐中電灯が照らす先には、緑の光が地下深く永遠に続いているのが見えた。
初めて見る不思議な光景に、伊青が目を丸くする。
「ここは?」
「先人たちが脱出用に掘った隠し通路だ。ヤコウタケのおかげで、懐中電灯が無くても歩けるほど明るいな。幻想的な天鵞絨の世界に、己の置かれている立場を忘れてしまいそうだ」
鬼島がうっとりと眺めていると、
「将虎さん、少し歩調を速めてくれませんか」
日下部が、後ろを気にしながら声をかける。
「まったく、日下部は情緒がないな」
「情緒もへったくれもありませんよ。さ、急いで」
日下部に急かされながら急ぎ足で進むも、伊青は宇宙空間を彷徨っている感覚に陥った。
自分が今何処にいるのか、何処に向かっているのか分からなくなる。
平野はひたすら前を、と言うか伊青の背中の一点を見据えて、無言で歩いている。
どのくらい下ったり上ったりしたのか、一時間?
いや、まだ数十分しか経っていないのかもしれない。
時間の概念がおかしくなりだした。
同時に、妙な音が伊青の後ろから聞こえてきた。
「ひっ、ひっく、ぐず、ぐず……母ちゃん……ごめんよう……心配ばかりかけて、ごめんよ」
平野がめそめそ泣きながら、鼻をすする音だ。
この世の物とは思えない美しい光景が、平野の心に引っかかっていることを、知らず知らずに吐き出させる。
平野は父親の顔も知らず、母親に育てられた。
高校時代は悪さをして、卒業と同時に家出同然に上京し、それ以来、母親とは連絡をとっていないと言っていた。
伊青は平野の泣き顔を見て、
「平野、おまえはここを出たら地元に帰れ。いい機会だ。母ちゃんに謝って、親孝行してこい」
トロイけれど、素直で気に入っていたが、平野は田舎で暮らしたほうがいい。
伊青はそう思った。
「風来坊の俺を拾ってくれて、面倒を見てくれた伊青さんから離れることは出来ません」
顔をぐちゃぐちゃにしている平野を横目に、伊青は冷たく言い放つ。
「八重樫なら気にしないが、赤鬼部隊が俺たちを追っているとなれば、地下に潜ったほうが良い。俺は暫く身を潜めるが、おまえはその必要はない。地元に戻っていろ。落ち着いたら連絡を入れるから」
「ほんとですね。待ってますよ」
袖で涙と鼻水を拭きながら、伊青の背中に呟いた。
ここまでくると、地上の怒号は聞こえなくなり、静寂が、一層美しい天鵞絨の世界を際立たせる。
その世界を堪能していると、緑の光がぶつんと途切れる空間が現れた。
そこからは現実世界の入り口となる。
「ああ、出口だ。これで宇宙旅行はお終いだな。伊青、ここでお別れだ。赤鬼部隊に捕まるなよ」
広い暗闇に出ると、あたりの様子を窺いながら鬼島が言った。
月光が樹木を照らし、ここが海岸段丘であることが分かった。
「残念だよ。いい商売になると思っていたんだけどな」
伊青の落胆は本物で、心底残念がって答えた。
そのとき木の葉を踏みしめる音がして、鬼島も伊青もギョッとして振り向いた。
そこには、少年二人が立っていた。
「やっとご登場だ。随分と待たせるじゃないか」
大地が目をらんらんと輝かせて、獲物を狩る動物のように四人を見据えた。
「おまえ、青鬼か? 俺らの仲間か?」
大地の黄色に輝く瞳を不思議そうに見て、鬼島が訊いた。
「ばかいえ。俺が鬼族であるわけないだろ」
不愉快そうに鬼島を睨むと、伊青が鬼島の隣で身構えた。
「じゃあ何だ?」
伊青を制止して訊くと、
「皇だ!」
横から青い顔をして、日下部が答えた。
「は? 皇だと? こんな小僧が? 日下部、おまえこんなガキを恐れてるのか?」
呆れて鬼島が振り向いて言うと、日下部は苦痛に満ちた顔を向けた。
「俺たちは、あんたに用はない。用があるのはそこの青鬼、伊青だけだ」
言われて伊青は、ここ数日の気配の正体がこの少年だと確信した。
「俺をつけ回していたのはおまえか! ふざけるんじゃねえぞ! 子供だからって容赦しないからな!」
伊青の瞳は金色に変化し、縮毛をぶわっと広がせて怒りを爆発させた。
「ははは、望むところだ。来いよ。俺も手加減しないから……な……」
言い終わらないうちに、伊青の拳が大地の鳩尾めがけて飛んできた。
大地が拳を手で払いのけ、同時に足を払うと、もんどりうって倒れこんだ。
伊青はすぐさま立ち上がって、今度は大地の肩を掴もうと突進してきた。
しかし大地は軽やかにジャンプをすると、伊青の興奮してモジャモジャになっている頭の上に、片足で立った。
平野は、どうしたらいいのか分からず、おろおろしているが、鬼島はいいように踊らされている伊青の姿を、奇異の目で見ていた。
「日下部、あいつが皇なのか? 確かにあの伊青を手玉に取っているのだから大したものだが、それでも、おまえが言うほどのものか?」
自分の右腕として働いていた日下部が、いま怯えた目つきをしているのが、どうにも腑に落ちない鬼島である。
「違います。皇はもう一人の少年の方です。皇は私たちには用がないと言っています。だから将虎さん、早くこの場を離れましょう」
「はあ? あの小柄なガキの方だと? 日下部! 何寝ぼけたこと言ってるんだ?」
鬼島の眼前には、中坊にも見える細めの少年が、じっとこちらを見つめていた。
少年が一歩近づくと白く輝きだし、さらにもう一歩近づくと、チロチロと炎が現れた。
炎は少年を包み込み、やがて自身が燃えだして辺りを明るく照らした。
これには鬼島も目を丸くしてビックリ仰天し、後ずさりした。
「皇、許してください。私たちは天上人とは関わっていません。これからも関わることはないです」
日下部は、今にも倒れそうなほど顔面蒼白になって、震えだした。
「あなたはどうして青鬼といるのですか? ここにいる青鬼は、二人ともお尋ね者と訊きました」
冷ややかな声で言い放つ。
「……、私たちは必要悪の世界に生きています。健全な世界ではないけれど、将虎……鬼島のおかげで私は生きています。彼は命の恩人なのです。悪いこともしています。でも、それだけではありません」
息も絶え絶え、苦しそうに話す。
「苦しいですか? あなたは地の民ですね。僕はどうしたらいいのだろう。あなたを許すべきか、もしくは僕の怒りの炎で燃やしてしまうべきか……」
「皇……、許してください」
「おまえ! 日下部になにをする!」
すでに気絶寸前になっている日下部を、鬼島が支えるために叫びながら飛び出した。
「地の民が天上人の力を奪おうとしたのです。それは殺人に等しい。許されないことです」
辺りを昼間のように明るく照らしながら、皇の炎はさらに燃え上がる。
「おい! 日下部! どうしたんだ? 何が起こってるんだ?」
意識を失った日下部を腕の中に抱き、鬼島は途方にくれた。
「彼は皇の恩恵を受ける身でありながら、天上人を食い物にしようとしました。その罰で生命力が奪われているのです」
「それは違う! 日下部は止めたんだ。鬼と神来人は関わってはいけないと止めたんだよ。だが、俺が無視したんだ」
信用できるただ一人の部下を、鬼島は失いたくなかった。
いつも難題を解決してくれた、たった一人の友達。
死人のように冷たく、青白くなっている日下部を、ギュッと抱きしめ、桜井を睨め付ける。
「日下部が死んだら、ただじゃおかねえからな」
不敵な面構えで言い放つ鬼島を、桜井が蔑むような目つきで見つめた。
「は! おまえに何ができる」
桜井が右腕を鬼島に向けて、クイと手首を返すと、突風が鬼島の周りを回り出し、日下部と共にグルグルと回り出した。
「止めろ! 止めてくれ! 日下部が死んでしまう」
鬼島が悲痛な声を張り上げると、桜井はキュッと拳を握った。
風が止み、伊青をからかう大地の笑い声が聞こえた。




