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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第三章
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決戦(四)

 伊青が埠頭にある倉庫に着いたのは、夜八時を十分過ぎていた。

約束の時間まであと二十分ほどある。


 何故こんな海に囲まれる場所で会うのか、伊青は不満であった。

陸地から攻められたら、背後は海だ。

逃げるにも難しいじゃないか。


 鬼島は、死に損ないの八重樫の連中なんて気にする必要はないと、高を括っているが、どうにも妙な胸騒ぎがする。


 近藤ばかりでなく、竹内とも連絡が付かないと平野は言うが、しかし、今回水揚げされたブツは上物で、初取引の記念に格安で分けてくれると言われては、行くしかない。

金を渡したらブツを頂いて、さっさと帰ろうと倉庫に足を向ける。


「伊青さん、これから会う鬼島って人は、この界隈で有名な例の人ですよね。凄いな。どうやって話をつけたんですか?」

 呑気な平野が、伊青を尊敬の眼差しで見る。


「ほんと、お前は悩み何てなさそうだな」

 伊青があきれ気味に言うと、

「酷いですよ。俺だって人並みに悩みぐらいあります」

 平野が口を尖らせて、反論するが、伊青は聞いちゃいない。


「とにかく平野、取引が終わったらさっさと帰るからな。何か嫌な予感がするんだ」

「そりゃ大変だ。伊青さんは動物並みの感を持っていますからね。何事もなければいいけれど」


 平野が眉根を寄せて、夕闇に包まれた目前の巨大な建物を不安そうに眺めた。

風は無風状態で波は静穏である。

微かに波止にぶつかる音が遠くで聞こえた。


 そのとき、暗闇の物陰から突然二人の男が現れた。

筋骨隆々とした男は、見るからに用心棒らしい風貌である。


「おい、そこの二人、止まれ。名前と要件を言え」

 眼光鋭く、低い声で言う。


「伊青だ。鬼島と八時半に会う約束をしている」

「そっちの小僧は?」

 ギロリと睨みつけると、平野は震え上がった。


「俺の荷物持ちだ」

 伊青が答えるが、頼りない平野だけで来たことを後悔した。

しかし、今さら後には引けない。


「早く鬼島に連絡を入れろよ」

 用心棒の態度にむかついていると、鬼島の右腕である日下部(くさかべ)が建物から出てきた。


「ああ、きみたち。この方たちは大丈夫。お客だから入れてあげて」


 日下部と言う男は、物腰が柔らかくほっそりとしていて、いつもスーツ姿をきちんと着こなしている。

年齢は三十代後半と推測され、たぶん鬼族ではない。

しかし伊青はこの男を、どうにも胡散臭く感じて好きになれない。


「伊青さん、失礼しました。お待ちしていました。どうぞ、こちらです」

 言葉は丁寧だが、笑顔のなかの目は笑っていないと伊青は感じた。


「優しい感じの人で、良かったですね。外のお兄さんたちは、ゴリラみたいで怖かったです」

 建物の中を案内されながら小声で話す平野を、伊青はため息をついて見やった。


 建物の内部は、外見では想像もつかないほど豪華な作りになっている。

大金が行き交う商談を、ここでするのであろう。


 迷路のような廊下を突き進むと、ようやくぶ厚いスチールでできた重厚な扉が現れた。

この中に鬼島がいるらしい。


 伊青は、自分もようやく闇世界の中心部に入り込めるかもしれないと考えると、武者震いが止まらなかった。



 部屋に案内されると、鬼島はデスクに座っていて何やら書類に目を通していた。

それはまるで、会社でデスクワークでもしているようだった。

伊青が部屋にやって来たのに気が付くと、腕時計を見た。


「ああ、ちょうど約束の時間だな」


 鬼島は引き出しを開けて、半透明の袋を二個取り出しデスクに置いた。

袋の中はカラフルな色をした錠剤である。


「初めは錠剤の方が簡単に取り扱えて良いだろう。これがMDMAでこれがヤーバーだ。どちらもパーティードラッグだけど、最近じゃあMDMAに代わってヤーバーがクラブドラッグとして使われる傾向にあるようだ。ああ、伊青はエクスタシーを扱っていたんだっけ? だけど、街角で売られているエクスタシーは不純物が多くて、MDMAがほとんど含まれていない品がほとんどだ。その点、これは混ざりもののない、純度が高い品だからな、とても貴重だぞ」


 渡されたビニール袋の中身は、一つはラムネのような爽やかな色をした錠剤と、もう一つは、それよりも毒々しい色をした錠剤が入っていた。


「ああ、確かに。平野、アタッシュケースの中身を鬼島に渡してくれ」


 伊青は大量の合成麻薬を手に入れて、機嫌よく平野に言った。

鬼島はアタッシュケースの中身を確かめながら「例の名簿は?」と訊ねた。


「……、今日は持ってこなかった。この次は忘れずに持ってくる」

『まさか名簿を渡した途端に、市場を奪われやしないだろうな』

 伊青に一抹の不安が生じると、顔色の変化を見て、鬼島が答える。


「安心しろよ。おまえらのしていることに、口出しをするつもりはない。ただ俺は商売をするからには、ちゃんと把握していないと気が済まないんだ」


 そのとき、遠くで騒いでいる物音が響いてきた。

と同時に、ピーピーと警戒音が鳴りだすと、モニターを見ていた鬼島の眉がピクリと動いて、表情が険しくなった。


「てめえ! 赤鬼部隊を連れてきやがったな!」

 突如怒りだし、立ち上がった鬼島の瞳は、金色に変化していた。


 何が起こったのか理解できない伊青は、あまりの急なことに戸惑い、目を見開いて口も開けたまま立ち尽くしていた。


「…………、何のことか分からない。赤鬼部隊がここに?」

 鬼島に襲われないように用心しながら、やっとのこと声に出して言う事が出来た。


「あ~あ、だから言ったでしょう。畑違いのことはしないほうが良いと」

 やれやれといったふうに、日下部が割って入ってきた。


「鬼族が、神来人と関りを持つなんて、馬鹿げたことです。皇の怒りを買うことがどんなに恐ろしいことか、あなた方は理解していない」


「日下部、それと赤鬼と何の関係があるんだ?」

 鬼島が怪訝そうに訊くと、日下部は呆れたように見返した。


「赤鬼がここを突き止めるなんて、そんなことは出来やしません。八重樫を通して、天上人を苦しめる伊青さんの存在を知った皇が、動いてるんですよ。間違いありません」


 不愉快そうに伊青を睨みながら、強い口調で鬼島に言う。


「将虎さん、今回は手を引きなさい。神来人と関わってはいけません」


 普段、滅多に意見しない日下部が、命令口調で言うので鬼島は驚いて、ただ黙って聞いていた。


「それから伊青さん、この落とし前は、そちらでキチンとつけてください。我々は、八重樫との市場争いから撤退します」

 日下部は、取り付く島もない口調で言う。


「待てよ。俺のせいとは限らないじゃないか」


「黙りなさい。あなたのせいで、ここのアジトを捨てるはめになったのです。本来ならば、責任を取ってもらうところですが、そんな猶予もないから追及しません。ありがたく思いなさい」


 事の成り行きを、恐々様子を窺っていた平野が、黒い扉の外から聞こえてくる悲鳴らしき呻き声にびくついて声を上げる。


「ここからどうやって逃げるんですかあ……」

 腰を抜かすほど怯えきっていて、声が上ずっていた。


「ハハハ、そう焦るな。赤鬼がここまで来るのに、ある程度時間がかかる。それにその扉は簡単には開かない。切断用バーナーを用意しない限り無理だろうな」


 鬼島はモニターを見つめながら、口元をニヤリと上げた。


「やっぱり赤鬼部隊長、金剛丸の登場だ。今回も奴の得意満々な鼻っ柱をへし折れるとは、嬉しいなあ」


 この状況下で平然としている鬼島を、伊青と平野は呆然と見つめた。


「早く逃げましょうよ。囲まれたら最後でしょう」

 平野は泣きそうになって訴える。


「ああ、日下部、準備はいいか? よし、行こうか」


 鬼島は鞄に書類を詰めると、金庫の前に行って、暗証番号を入力して開錠した。

伊青がこの部屋に入って、一番最初に目に入ったのがこの金庫である。

壁の中に取りつけられていて、部屋の大きさに対してアンバランスなほど大きい。


 カチャッと音がして鬼島が扉を開けると、中は漆黒の暗闇が占めていた。


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