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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第三章
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浸潤(二)

 安アパートの前で、スーツ姿の男二人が、中の様子を窺っている。 


「ここの二〇二号室だ。いかにもって感じの建物だな。でもまあ、これから丸裸にされて追い出される身としちゃあ、ここも天国だったと思うことだろうよ」


 だいぶ下腹がでている、下卑た顔つきの中年男が、隣にいる頬がこけて不健康そうな男を、チラッと見て言う。


「久保は相変わらず顔色が悪いな。この仕事が終わるまでは、絶対に倒れるなよ。今度のカモは何て言う名だ?」


 久保と呼ばれた男は、内ポケットからメモ用紙を取り出し、パラパラとページをめくり、

「名前はハンター・小川、アメリカ人とのハーフで水の民だ」

 感情のない淡々とした声で答えた。


「仕事は?」

「平日は住み込みでアルバイト。隣県まで働きに行っているが、土日はアパートに戻るらしい」

「へえ、何で金が要るんだ?」

「先物で失敗した」


「あははは、馬鹿だなあ。典型的な身の破滅のパターンだな。他には?」

「日本に来てまだ日が浅いため、会話は出来るが、読み書きが苦手だそうだ」


「そりゃ好都合だ。すぐにでもサインさせて次にいけそうだ。ここもそろそろ潮時だと、伊青さんが言っていたからな」


 だらしなく開いていた背広のボタンをはめて、

「よし、行こうか」とネクタイを直して、外階段を登って行った。


 二〇二号室の前まで来ると、古びたドアを叩いた。

中から動く気配がして、そっと開いたドアの隙間から色素の薄い瞳が覗いた。


「ダレ?」

 ドアを細く開けたままの状態で、不審そうに訊いてきた。


「小川様ですね? わたくしどもは、こういうものです」

 そう言って、名刺を狭い隙間から渡す。

小川は眉根を寄せて小首を傾げた。


「うーん、チョットわからない……。カンジにがて」


「これは申し訳ない。わたくしは近藤、こちらは久保と申します。実は小川様にとって、とても良いお話を持ってまいりました。少しお時間頂けますか?」


 近藤はこれはチョロいなと、思わず顔をほころばせながらドアに手をかける。


「当店は、とても良い条件でお客様にお金をお貸しします」

「え! ホント?」

「はい。お部屋で詳しく説明させてください」


 近藤がニヤつきながら、揉み手をしている。


「でも、どこからボクのことを?」

 近藤がドアを開けようとするのを、そうさせまいと、小川はがっしりとドアを押さえつけた。


「八重樫のほうから連絡がありまして」


 八重樫の名を出した途端に、押さえていた力が消えてドアが開いた。

近藤と久保は、大した家具がないにもかかわらず手狭な部屋に上がり、肩が触れ合いそうになりながら、どうにか場所を確保して腰を落とした。


「ヤエガシさん、チカラ買ってくれる? ウレシイ」


 襟ぐりが伸びきった綿のシャツに、安っぽいジャージのパンツを身に着けた小川は、ボサボサの栗色の前髪で顔半分を覆うありさまである。

身だしなみに気を付ける余裕が、全くないのが見てとれた。


『長身でスタイルは良いのに、もったいないな。これで日本語が出来れば、ホストクラブに紹介して紹介料が取れるのに』

 近藤は、目の前の獲物を観察して残念がった。


「ああ、いえ、うちは能力を担保にしてお金をお貸しするのです。お金の工面ができたら、能力をお返しします。素晴らしい仕組だと思いませんか? いつでも取り戻せるのですよ」


「デモ、お金ふえないと、チカラもなくなるね」


 小川が不安そうな顔をするのを、近藤が畳みかける。


「大丈夫、大丈夫。給料を貰ったら払えるでしょ。だから大丈夫ね」


 近藤は今日にもサインをさせる勢いで言うが、隣で久保は聴覚障害者でもあるかのように、何の反応もせずに、押し黙っていた。


「お金は今すぐにでもお入り用でしょう? さっそく書類を作らせます。ところで、お客様は水の民でよろしいですね? 一応、能力を確かめさせてください。」


 小川はどうしようか迷っていたが、目の前のコーヒーカップを手に取ると傾けた。

飲みかけのコーヒーは、引力に逆らってふわふわと上昇し、小川の口の中に入った。


「これでいい?」


 一口ゴクンと飲むと、カップをテーブルに置いた。


「はい、はい。結構です。では明日また伺いますので、その時能力と交換で、お金をお渡しします。さっそく帰って書類を作成しますので、これにて失礼します」


 そう言って、近藤はビール腹を揺らし、上手くいったと上機嫌になりながら帰って行った。

一方、久保はと言うと、無表情のまま気怠そうに、その後をついていく。


 物陰から大地が現れ、そんな二人の後を見つからないように、慎重に尾行を開始した。


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