浸潤(二)
安アパートの前で、スーツ姿の男二人が、中の様子を窺っている。
「ここの二〇二号室だ。いかにもって感じの建物だな。でもまあ、これから丸裸にされて追い出される身としちゃあ、ここも天国だったと思うことだろうよ」
だいぶ下腹がでている、下卑た顔つきの中年男が、隣にいる頬がこけて不健康そうな男を、チラッと見て言う。
「久保は相変わらず顔色が悪いな。この仕事が終わるまでは、絶対に倒れるなよ。今度のカモは何て言う名だ?」
久保と呼ばれた男は、内ポケットからメモ用紙を取り出し、パラパラとページをめくり、
「名前はハンター・小川、アメリカ人とのハーフで水の民だ」
感情のない淡々とした声で答えた。
「仕事は?」
「平日は住み込みでアルバイト。隣県まで働きに行っているが、土日はアパートに戻るらしい」
「へえ、何で金が要るんだ?」
「先物で失敗した」
「あははは、馬鹿だなあ。典型的な身の破滅のパターンだな。他には?」
「日本に来てまだ日が浅いため、会話は出来るが、読み書きが苦手だそうだ」
「そりゃ好都合だ。すぐにでもサインさせて次にいけそうだ。ここもそろそろ潮時だと、伊青さんが言っていたからな」
だらしなく開いていた背広のボタンをはめて、
「よし、行こうか」とネクタイを直して、外階段を登って行った。
二〇二号室の前まで来ると、古びたドアを叩いた。
中から動く気配がして、そっと開いたドアの隙間から色素の薄い瞳が覗いた。
「ダレ?」
ドアを細く開けたままの状態で、不審そうに訊いてきた。
「小川様ですね? わたくしどもは、こういうものです」
そう言って、名刺を狭い隙間から渡す。
小川は眉根を寄せて小首を傾げた。
「うーん、チョットわからない……。カンジにがて」
「これは申し訳ない。わたくしは近藤、こちらは久保と申します。実は小川様にとって、とても良いお話を持ってまいりました。少しお時間頂けますか?」
近藤はこれはチョロいなと、思わず顔をほころばせながらドアに手をかける。
「当店は、とても良い条件でお客様にお金をお貸しします」
「え! ホント?」
「はい。お部屋で詳しく説明させてください」
近藤がニヤつきながら、揉み手をしている。
「でも、どこからボクのことを?」
近藤がドアを開けようとするのを、そうさせまいと、小川はがっしりとドアを押さえつけた。
「八重樫のほうから連絡がありまして」
八重樫の名を出した途端に、押さえていた力が消えてドアが開いた。
近藤と久保は、大した家具がないにもかかわらず手狭な部屋に上がり、肩が触れ合いそうになりながら、どうにか場所を確保して腰を落とした。
「ヤエガシさん、チカラ買ってくれる? ウレシイ」
襟ぐりが伸びきった綿のシャツに、安っぽいジャージのパンツを身に着けた小川は、ボサボサの栗色の前髪で顔半分を覆うありさまである。
身だしなみに気を付ける余裕が、全くないのが見てとれた。
『長身でスタイルは良いのに、もったいないな。これで日本語が出来れば、ホストクラブに紹介して紹介料が取れるのに』
近藤は、目の前の獲物を観察して残念がった。
「ああ、いえ、うちは能力を担保にしてお金をお貸しするのです。お金の工面ができたら、能力をお返しします。素晴らしい仕組だと思いませんか? いつでも取り戻せるのですよ」
「デモ、お金ふえないと、チカラもなくなるね」
小川が不安そうな顔をするのを、近藤が畳みかける。
「大丈夫、大丈夫。給料を貰ったら払えるでしょ。だから大丈夫ね」
近藤は今日にもサインをさせる勢いで言うが、隣で久保は聴覚障害者でもあるかのように、何の反応もせずに、押し黙っていた。
「お金は今すぐにでもお入り用でしょう? さっそく書類を作らせます。ところで、お客様は水の民でよろしいですね? 一応、能力を確かめさせてください。」
小川はどうしようか迷っていたが、目の前のコーヒーカップを手に取ると傾けた。
飲みかけのコーヒーは、引力に逆らってふわふわと上昇し、小川の口の中に入った。
「これでいい?」
一口ゴクンと飲むと、カップをテーブルに置いた。
「はい、はい。結構です。では明日また伺いますので、その時能力と交換で、お金をお渡しします。さっそく帰って書類を作成しますので、これにて失礼します」
そう言って、近藤はビール腹を揺らし、上手くいったと上機嫌になりながら帰って行った。
一方、久保はと言うと、無表情のまま気怠そうに、その後をついていく。
物陰から大地が現れ、そんな二人の後を見つからないように、慎重に尾行を開始した。




