悩む菅原
ここ数日、何かと山本が話しかけて来るのに、菅原は辟易している。
山本とは三年で同じクラスになったが、今までこれと言って話をしたこともないし、共通の友人がいるわけでもない。
自分と違って、生存本能が強そうな山本が側に来るだけで、己の生命力を奪われそうで気持ちが萎えるほどだ。
それなのに山本は、こちらの気持ちなどお構いなしに、今日も近寄ってくる。
「菅原、数学のプリントしてきただろ。分からない問題があるんだ。教えてくれよ」
そう言って、プリントを指差す。
「…………」
菅原は鞄からプリントを取り出して無言のまま山本に渡し、取りつく島もなく席に着いた。
小さくため息をついて、山本も自分の席に戻って行ったが、この不釣り合いの二人のやり取りに、関心を寄せるクラスメイトは少なからずいた。
昼休みになると菅原は急いで弁当を食べ、山本に声をかけられる前に図書室に逃げ込んだ。
美術図鑑のコーナーは人が滅多に来ないので、一人になりたい時はよくここに来る。
最近のお気に入りは、レオナルド・ダ・ヴィンチの岩窟の聖母である。
これを眺めていると心が落ち着く。
ずっとここにいたいのに、昼休みはあっという間に過ぎてしまう。
パラパラとページをめくっていると足元に影ができた。
嫌な予感がして顔を上げると、案の定、目の前に山本が立っていた。
「何? 何か用?」
菅原は、けんもほろろの対応をする。
「話がしたいだけだろ。何で避けるんだよ」
山本はかったるそうに言った。
「特に話すこともないだろ。何だよ」
最近の山本の行動には理解できずに、菅原は戸惑うばかりである。
「あのさ、お前……」
山本が話しかけたときに、藤原が割って入ってきた。
「揉め事ですか? ここは図書室だからお静かに願います」
藤原は不審そうに二人を見ている。
「ああ、うるさかったか? 悪かった……。はあ、じゃあまた後でな」
ため息交じりに菅原に言うと、山本は図書室を出て行った。
「大丈夫ですか? 何か問題でも?」
藤原は、山本が見た目とは違い、悪いことは出来ない真っ直ぐな人間だと知っている。
しかし、ここで二人が言い合っていたのが気になった。
「いや、何でもない。騒がしくしてごめん」
憂鬱そうに言って、菅原は昼休み終了のチャイムがなるまで、図書室に留まっていた。
帰りのホームルームが終了するのと同時に、菅原は後ろを振り返ることなく、一目散に逃げ帰った。
その後ろ姿を、山本は悔しそうに見送った。
翌日から、山本は二人きりになろうとするが、菅原はそれを阻止するべく動くという、二人の探り合いが始まった。
数日間逃げ回られた山本は、桜井たちに啖呵を切った手前、焦りとイライラがつのり、ついに不本意ながらガタイに物を言わせることにした。
「おい! 今日こそは付き合ってもらうぞ。放課後残れ。いいな!」
菅原の机をドンと叩いて、ギロリと睨んだ。
クラスメイトがそれに気が付いて、キレた山本を、おっかなびっくり遠巻きに見ていた。
その後の菅原は、可哀想なほどびくついていて、青白い顔が更に青白く際立っていた。
放課後になり流石に観念したのか、例の『楽園』までおとなしく山本の後をついて行った。
『楽園』には、すでに長谷川と酒井や石井たちが屯していたが、場所を交代してもらった。
事情を知っている長谷川が山本に目配せをして、二人だけにするために他の連中を、『ファミレスに行こうぜ』と誘った。
『ああ、またここに来るはめになった。前回も恐ろしい目に遭ったのに。あの時は桜井君の行動を止めてくれる男子がいたけれど、今日は機嫌の悪い山本だけだ。僕は殴られるのだろうか』
訳も分からず山本に追いかけ回されて、キレられて、自分の不運を呪い項垂れていると、山本が意外なことを言い出した。
「まあ、座れよ」
ここに来る途中、自販で購入した缶コーヒーを渡しながら、自分もコンクリートの犬走りに腰を落とした。
ステイオンタブに指をかけて開けると、コーヒーをゴクゴクと旨そうに飲んだ。
「今日は強引に出て悪かったけどさ、こうしないと俺の話を聞いてくれないだろ」
飲めよと手振りで示してから、
「菅原さ、最近のおまえを見ていて感じたんだけど、何か問題抱えてるだろ」
探る眼差しで見つめる。
「い、いや、べ、別に…… そんなことないよ」
思いもしないことを言われて、菅原の鼓動が速くなる。
『何々、何言ってんの。ああ、早くこの場から離れたい』と、キョロキョロ辺りを探って、逃げるチャンスを窺う。
「ぜーたい可笑しいって。最近の菅原は独り言を言わないし、いつも考え込んで落ち込んでいるじゃないか」
山本は徐に立ち上がり、菅原の目の前に立ちはだかって、逃げ道を塞ぐ。
「ほっといてくれ! 山本には関係ないだろ!」
殴られるのを覚悟で、菅原は撥ねつける。
「……、菅原が天上人なのは知っている」
「え? な、何で?」
「やっと、聞く気になったな」
これ以上ないというくらい、目を大きく開けた菅原の顔を見下ろしながら、山本がニヤリとした。
そのとき藤原が『楽園』に顔を出した。
山本に嫌々ついて行く菅原を見かけて、図書室の件もあり気になったからだ。
「山本さん、そこで何をしてるんですか?」
邪魔が入って、一瞬不機嫌になった山本だったが、その相手が藤原だと分かると、かえって都合が良いと考えた。
「ああ、藤原か。丁度よかった。菅原の悩みを聞いてやってくれよ。桜井が気にしているんだ」
藤原が、ここで山本の口から桜井の名前が出たことに驚いていると、菅原も同様に驚いていた。
「桜井君が?」藤原が訊く。
「ああ、おまえら神来人なんだろ? 同じ民族なんだから相談にのってやれよ。俺よりも言いやすいだろ」
藤原と菅原が驚きのあまり呆然としていると、さらにそこに長谷川が現れた。
「あれえ、藤原じゃん。ここで何してんの?」
酒井たちと別れてから、気になるから戻ってきたという。
「山本さん、話は聞けた?」
面白そうに訊く長谷川を、菅原は眉根を寄せて睨む。
「どういうことですか? なんで私のことを知ってるんですか?」
宗方とクラスが違う藤原は、青木の事件を聞かされていないので、事の次第が全く分からなかった。
「ああ、めんどくせえなあ。後で宗方に訊けよ。それよりも、菅原は天上人で藤原は地の民なんだろ。俺も長谷川も知ってるからさ。気にするな」
山本がポケットから煙草を取り出して、口に咥えようとしたときに、藤原の冷たい視線を感じて、慌ててポケットにしまった。
「とにかく、桜井がおまえを心配してんだよ」
そう言って、菅原を指差す。
「まあ、なんだ、色々あってさ。同クラスの俺が名乗りを上げたわけだ。おっけい? さ、菅原の悩みを聞こうじゃないか」
山本が一歩下がり、菅原に場を譲る。
勉学のために番長を辞退した変わり種の山本、現番長の長谷川、それに地の民だという生徒会副会長の藤原、この三人が菅原に注目している。
菅原の心臓は、まだバクバク踊っていて眩暈がしそうだ。
「大地ってすげえ奴のことは知ってるだろ。その大地が一目置いている桜井が、菅原のことが気がかりで心配だって言ってるんだ。この際、助けてもらえよ」
山本の言う事に長谷川が頷く。
「そうですよ。桜井君ならば力になってくれます」
「…………、桜井君が力になってくれるのは分かります。でも、僕だけの問題じゃないんだ。八重樫一族のプライドがかかっているから……」
菅原は苦しそうに話す。
事の重大さを理解できたのは長谷川だった。
長谷川は、八重樫の仕事内容を知っている。
なので、これは早急に桜井に話すべきだと判断した。
「これから連絡して、みんなで桜井君の家に行きましょう。菅原さんはすぐにでも、桜井君に相談するべきだ」
菅原は「分かってる」と言って立ち上がり、もう一度「そうすべきなのは、分かってる」と言った。




