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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第一章
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暗い森に潜む者

 帰宅途中に暗い瞳でバスの窓から外を眺めると、大勢の人が青信号で横断歩道を渡っていた。

みんな忙しそうに、早足で歩いている。


 桜井はその中に見知った顔を見つけたが、なぜ彼らがそこにいるのか理解できなかった。


 道路を渡り終えたその一団は、それぞれの目的地に向かって、バラバラに散らばった。青苔森林公園前でバスを降り、今来た道を振り返ると、彼らも気が付いて「桜井くーん」と大きな声で呼びながら駆けてくる。


「出かけてたの? ああ、会えてよかった」

 五十嵐が息せき切って駆け寄り、その後から坂本も追いかけてきた。


「えっと、きみたちはここで何をしているの?」

 予期せぬ二人が現れたので、桜井は目を丸くして驚いている。


「というか、桜井君は学校休んで、どこ行ってたの?」

 はあはあと、息を上げながら五十嵐が訊くと


「昨日からの出来事を話し合おうぜ」

 坂本も追い付いて、興味深そうに言った。


「今日も商店街で食料を買ってきたよ。僕たち、お腹が空いているんだ。桜井君のも適当に買ってきた」

 五十嵐がにこやかに、パンパンに膨らんでいるレジ袋を掲げて、家にあがるのが当然のように後を付いてくる。


 桜井は困惑して家の前で立ち止まると、坂本が

「ここが桜井の家? すっげえ大きいな! 俺んちの二倍、いや三倍は広いよ」

 と感嘆の声を上げる。


「ただ大きいだけで何もないよ」


 ここに人をあげるのは昨日の五十嵐が初めてで、今日が二回目だ。

 この家に客が来ることはないため、客人用の物は何もない。

 ただ桜井一人が住むのに事足りれば、それで十分なのだ。


「お茶ぐらいは用意できるよ。ここで待ってて」

 居間らしき部屋に案内して、桜井は姿を消した。


 二十畳ほどの広い部屋には大きなダイニングテーブルがデンと中央に鎮座して、隅には小さなテレビとその前にクッションが置かれている。

 色々な物が雑多にあり、たぶん桜井はここでほとんどの時間を過ごすのであろう。


 桜井が、ポットとドリップパックコーヒー、それにお茶のペットボトルを持ってきてテーブルに置くと、二人が商店街で買ってきたという品物が目に入り、思わずクスッと苦笑する。

 そこには唐揚げが置いてあったのだ。


「坂本君は家や学校で、嫌というほど唐揚げを食べているだろうに、なのに、外でも食べるの?」

 ふふっと白い歯を見せて、面白そうに笑った。


「だよね。だよね。僕もビックリした。坂本んちの方が見た目だっていいし、絶対美味しいって!」

 五十嵐もハハハと可笑しがる。


「あー、それはあれだな。現状に甘んじてはいけないわけよ。だから俺は外でも唐揚げを食べて、もし我が家のよりも美味しければおふくろに知らせるし、まあ、だから市場調査みたいなもんだな」

 そう言って、すこし恥ずかしそうに目を逸らす。


 みんなでまず先に唐揚げをつまみ「やっぱり坂本んちの方が美味しいよ」「うん、ライバル店にはならないね」と言い合い、それからそれぞれ好きな弁当を選んで食べた。


「デザートにコーヒーゼリーとプリンも買ってきたよ」

 五十嵐が言い、それからきちんと椅子に座り直して、桜井と真正面に向き合ってから口を開いた。


「今日は学校を休んでどこに行っていたの? 桜井君の……その、皇と関係があるんだろう? 皇って何? 知っていることを教えて」


「…………違う。僕は皇じゃない」


 戸惑いが隠し切れずに目が泳いでいるが、五十嵐も坂本も、静かに桜井が話しだすのを待っている。

 暫くそわそわしていたが、覚悟を決めたように大きなため息をすると、顔を上げた。


「今日は、母が入院している北村病院に行ってきた。もしかしたら神来人について、何か新しいことが聞けるかもしれないと思って。でも会えなかった」


「具合悪いの?」


「いや……体調はいつもと同じ。まともな話ができる状態ではないらしい」


「面会できなかったのに、随分遅かったじゃないか」

 何となく隠し事をしている感じがして、坂本が追求する。


「……北村院長と食事をしてきたから」


「あのさ、もうこうなったら桜井にとことん付き合うから。きみ一人じゃ、この先大変だろう。エドガーも一癖ありそうな人物だしさ。だから、俺たちに言いたいこと話せよ。力になるから」


「うん、僕たちで出来ることは何でもするよ」

 坂本の一本気で誠実なところが、五十嵐は好きである。


 桜井は目を見張って坂本を見つめ、次に五十嵐に視線を移した。

 それから不意にクシャっと表情が崩れて泣きそうなるのを、グッと歯を食いしばって気持ちを落ち着かせた。


「この家は誰が借りているの? お母さん?」

 五十嵐がこの家を昨日訪れてから感じている違和感を、確かめようと口にする。


「……この家は北村院長の実家なんだ。院長本人は、病院の裏に建てた家に住んでいる。父が死んで母が入院することになった時に、院長が手を差し伸べてくれた」


「知り合いなの? 親戚?」

「……ううん、赤の他人だよ」

「……その見返りは? 何かあるだろ?」


 家が商売をしている坂本には、あまい話には必ず見返りが必要なことをよく知っている。


「……僕の日常を定期的に話すことが条件だよ」

 桜井は何だかすごく後ろめたく感じて、目を逸らしてしまう。


 五十嵐と坂本はモヤモヤしている頭の中を、一枚ずつ絹布を剥がしていくように質問をしていく。


「どういうことそれ、何で?」

「うん……、母がうつ病になって北村院長に診察してもらった時に、父の生い立ちや神来人のことを話したらしい。そのせいだと思うのだけど、僕に興味を持ったみたい」

「院長は神来人のことを信じたわけ? きみに不思議な力があると思ったのかな?」


 五十嵐が「どう思う?」と坂本に訊く。


「ああ、たぶん何か思うところがあるのだろうな。院長も、もしかしたら五十嵐のように地の民なのかもしれない」


「僕は地の民と決まったわけではないよ」

 五十嵐が戸惑い気味に言うが、

「五十嵐は地の民だと思うよ。だって桜井に会ってから、五十嵐の目はいつも彼を追っていたじゃないか。地の民って皇を感じるんだろう? あ! ということは、やっぱりエドガーが言う様に桜井は皇なんだよ!」


 坂本と五十嵐が同時に桜井を見つめると、桜井は眉間に皺を寄せて目を瞑った。


「そもそも皇って何なの? 一族の長みたいなもの? 桜井君はわかる?」


 坂本が皇という言葉をだしたときはギクッとしたけれど、今日の桜井は落ち着いているので、五十嵐はホッとして一番訊きたいことを口にした。


「……僕が知っているのは、父の日記から得た知識だけだから曖昧だよ。それでも、一族の全てを担う力をもっていること、一族の存続にかかわる人物だということは知っている。だから僕ではない。僕がそんな力をもっているわけがない。それに……」


 桜井の表情は、悲しんでいるような、怒っているような、それに恐れが加わったようで、読み取るには複雑すぎてわからない。

 一見、困惑しているように見受けられるが、合間に凄く冷血な眼差しが現れる。


「……僕と母は父の日記に目を通すと神来人を、皇を憎むようになった。ひき逃げ犯が捕まらないから、よけいに皇を憎むことで僕たちは生きられた。それなのに、僕が皇なんて、ありえない! 皇は憎むべき相手なんだ! だから本当に、ありえない!」


 興奮して目は血走り、握った両手の拳がプルプルと震えている。


 五十嵐と坂本は、声のかけようがなく押し黙っていたが、それでも坂本が困惑気味に口を開いた。


「桜井がお母さんと二人きりで、その……憎むべき相手を見つけて、悲しみを乗り越えようとしたのはわかるけれど……、エドガーの話も聞いてみないか? 桜井が考えていることとは違う真実があるかもしれないだろ?」


 黙ったまま坂本を見つめる桜井の視線が、ふいに窓際に移動した。

 やはり彼の感情は読み取れない。


「あの二人は、今さら何で学校に現れたんだ? ああ、本当に僕にかまわないでほしい」


 桜井は答えながら窓際にいくと、そっとレースのカーテンの隙間から外に目をやった。


「どうしたの? 外に何かあるの?」


 外を気にする桜井を不思議に思いながら五十嵐も覗くと、公園には夕闇が迫っていて、濃紺の森がざわざわと風に揺れ、まるで生き物のように動き回る闇が不気味に映った。


「さっきから頭の中で嫌な音がするから、耳鳴りだと思ったけれど違うらしい。風が出てきたみたいだね」


 桜井が厚地のカーテンを引いた直後に、ガラスが割れるほどの衝撃音が鳴り響いた。


「うわ!」

 と三人が同時に叫び、首をすくめる。


「なに! なに! 何が起こったんだ?」


 桜井が先ほど引いたカーテンを、今度は坂本が勢いよく開けて、外を確かめる。

 風のせいなのか、ボキッと折れた四、五十センチの枝が何本かガラス戸のすぐ外側に落ちている。

 どうやら強風で折れた枝が飛ばされて、勢いよくガラス戸にあたったようだ。


「よくガラスが割れなかったな。強化ガラスなのかな?」


 ヒューヒューと唸る風の音を聞きながら、外を確かめようと坂本がガラス戸の鍵を開けようとした手を、桜井の手が制止した。


「開けちゃ駄目だ!」

「え? どうかした?」


 坂本の手に乗せた桜井の手は小刻みに震えていて、いったい彼はどうしたのだろうと、坂本は不思議がる。

 桜井は震える手をゆっくりと自分の胸の所にもってきて、もう片方の手で包み込んだ。


「誰かいる……」

 暗い目で、闇に沈んだ公園を見ている。


「え? どこに?」

 眉間に皺を寄せて五十嵐が訊きながら『そう言えば、人の気配を感じ取るのが得意とか言っていたな』と思い出していた。


「公園の奥に……たぶん二人」

「誰?」

「それはわからない。でも僕たちを見ている」

「男? 女?」

「……二人とも男だと思う」


 再びカーテンを引いて、その前でかたまっている桜井を、五十嵐と坂本は顔を見合わせて困惑していた。


「男二人ならば、じゃあ、エドガーと青木先生ではないな?」

 坂本が確認すると「うん、たぶん違うと思う」と暗い顔を向けた。


「一体全体、何が起こっているんだ? エドガー先生と青木先生が桜井君の前に現れてから、おかしなことが起こりだしてる」


 五十嵐が同情する眼差しで桜井を伺うと、今まで学友との関係を極力避けてきた桜井はいたたまれなくなった。


「もう暗くなったから帰ったほうがいいよ。玄関だと公園から丸見えだから、裏口から帰ったほうがいい。そのまま真っ直ぐ行って突き当りを左折すれば、少し遠回りするけれど駅に着くから」


 自分にも父同様に、呪われた血が流れているのかもしれないと考え、二人を巻き込みたくない桜井は、彼らを帰そうとする。それを聞いて、


「何を言っているのさ! この状況できみを一人にするわけないだろう!」

 五十嵐が憤慨して、珍しく声を張り上げた。


「うん、ちょっとショックだよなあ。俺たちがそんなに頼りないか? とことん付き合うと言っただろう」

『五十嵐は桜井のことになると熱くなるなあ』と、坂本は五十嵐の反応を見て、苦笑しながら言う。


『え? だって……』目前の二人の出方がわからない桜井は、これからどうしたら良いか、二人はどうするつもりなのか、想像がつかないので戸惑った。


「取り敢えず今日は、ここで雑魚寝だな! そのつもりで桜井。いいな!」

 坂本が言い「おまえ、外泊して大丈夫か?」と五十嵐に訊く。


「ああ、大丈夫。だけど明日は始発で家に帰って、教科書を取りに行かないとだな」

 五十嵐は坂本とうなずき合った。


 外では風が台風並みに轟音をたてて荒れ狂っていた。

 たしか、天気予報では快晴のはずだったのに。


 ざわめく公園の暗闇の中に人影が二つ、かろうじて雲からわずかに覗く月の光に映し出される。


「おい、家を壊すなよ。我々の存在を示し、少し突っつくだけでいいのだから」

「わかっていますよ。でも、こんな回りくどいことしないで、さっさと拉致しちゃえばいいのに」


 若い男が、手を広げながら年配の男性に面倒くさそうに答える。


「それでは駄目なんだよ。大雅はまだ目覚めていない。皇を拒否しているから、力を抑えてしまっている。でも天上人が現れたから、大雅を目覚めさせるはずだ。それから彼を手に入れる。ああ、やっと皇を我々の手中に収めることが出来る。長年の夢がかなう時が来た」


「でも、天上人が黙ってはいないだろ?」


「ふん、だから大事な人質が役に立つのさ。さあ、もういいだろう」


 満足そうに若い男の肩を叩いて、暗闇の中に消えて行った。

 彼らが立ち去ると公園の中は風が止み、静かになるとやがて虫の音があちこちから聞こえ始めた。


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