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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第三章
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記憶から消された一族

 桜井が玄関チャイムの押しボタンに手をかけたのと、玄関ドアからエドガーが顔を覗かせたのがほぼ同時だった。


「あ、先生、こんにちは」

 思わずのけぞりながら、桜井が笑った。


「待ってたよ。さ、入って、入って。ちょうど練り切りがあるんだ。今日のも芸術的な品だよ」

 テーブルにはすでに和菓子とお茶が用意されていて、桜井の訪問を待っていた。


「先生は相変わらず、和菓子店の開発に励んでいるようですね。ところで、僕が来るの、気が付きました?」

 先生が傾ける練り切りのウンチクを、また聞くはめになりそうなので、体よく遮る。


「うん? ああ、そりゃあ大雅君、キミは本当に凄いよ。十分以上前から香りがしてきたよ。こう、何というか、爽やかな香りだね」

 エドガーは目を瞑り、香りをかぐときの上品な手つきをして見せる。


「香りだけで十分な生気を得られますか?」

 初めての試みで、桜井もまだその効果を知らない。

「そうだねえ。やはりオーロラの光を直接浴びたほうが、強い生命力は得られるよ」

「そうですか」

「がっかりすることは無いぞ。集会に参加できない者にとっては、それでも、とても嬉しいことだ」


桜井はひょんなことから、集会に来られない人たちがいることを知った。


障害があるために一人では外出が困難な人や、体調が悪く外出できない人々は、皇のオーロラの光を浴びることが出来ない。

どうして今までそれに気が付かなかったのか、桜井は彼らが気の毒で仕方なかった。

どうにかして彼らの力になりたいと考えた。

そして、遠く離れていても皇の恩恵を受けられるように、桜井はオーロラを香りに置き換えることを思いついたのである。


「はい、少しは役に立てそうなので、もっと頑張ります」

 効果があるのは分かったので、これからも試みようと、やる気が出た。


「ところで先生、今日は怪しい人物を特定できたから、伝えに来ました」

「お、そうか。誰だ?」

「三年の大西和夫と菅原清という生徒です。知っていますか?」

「いや、ボクは一年しか教えていないからね。全く知らないな」


「そうですか……。先生も気を付けてくださいね。とくに、後ろに人を立たせないようにしてくださいよ」

 心配そうに桜井はエドガーを見やる。

「ああ、ありがとう。気を付けるよ。花音はどうしてる?」


 エドガーも情報収集のために忙しく動き回っているために、花音のことは小池に任せきりにしてしまい、気にはなっていた。


「はい、元気そうに振舞ってはいます。でもショックでしょうね」

「うん。…………少し気になることを耳にした」

 練り切りの『落ち鮎』の、最後のひとかけらを口に頬張ると、エドガーは難しい顔をした。


「昔々、何千年も前の遥か遠い昔、我々のように、今の神来人の記憶から消え去った一族がいたそうだ」

 玉露を飲んで、ほうっと一息ついた。


「彼らは天上人なのに、突然変異で皇の光が見えなくなり、しかも地の民のように、皇を感じることも出来なかったそうだ。だから皇の恩恵を受けることも出来ず、しだいに神来人とも距離を置き、いつの間にか姿を消してしまった。ついに一族は、我々の記憶から抹消され、今では口の端に上ることもなくなった」


 暗い瞳で桜井を見つめる。

「キミはどう思う?」

「……北村院長の一族の話が、湾曲して伝わった可能性は?」


「いいや、別物だよ。皇の力を得られないことは共通しているが、時代が全く違う。その一族に比べたら、北村たちはつい最近のことと言える。でも、何か耳にしているかもしれないから、これから病院に行ってみようか」


「そうですね。一族の持つ能力って分かりますか?」

「それがはっきりしない。とにかく『悪魔の力』と恐れられていた一族だったらしい」

「悪魔の力……ですか」

 重苦しい沈黙が部屋を満たした。


「僕のせい?」

 桜井は苦しそうに呟いた。


「え? 何を言っているんだ?」

 エドガーは心底驚いた。


「僕の放つ皇の力が、大西か菅原の眠っている能力を、目覚めさせてしまったのかもしれません」

「それはありえるけれど、そうだとしても、決してキミのせいではない。馬鹿げたことを言うんじゃない」


 そう言われても桜井は落ち込んでしまい、虚ろな眼差しになる。

 エドガーは、一緒に暮らしたことがあるから、桜井の生真面目すぎる性格を知っている。

彼の苦悩が手に取るように分かるが、解決するにはまず犯人を見つけなくてはならない。


「北村に、力を抜き取る能力者がいる一族を知っているか、聞いたことがあるか、話を聞きにさっそく病院に行こう」

 一抹の望みをかけて、二人は病院に向かった。


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