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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第一章
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院長との面談 

 今日は病院に行く予定ではないけれど、桜井は居ても立っても居られず出かけた。


 母が『今』に戻っていれば、聞きたいことがある。


 北村病院までは、青苔森林公園前のバス停から三十分ほど揺られると到着する。


 郊外に建てられたこの総合病院は、桜井の父が交通事故で救急搬送された病院でもある。


 その後、精神を病んだ母がここの心療内科にかかり、今は精神科に入院している。


 通いなれたナースステーションに着くと、看護師長が桜井に気が付き声をかけた。


「あら、大雅君じゃないの。今日は例の日だったかしら?」


 入院患者の昼食の介助で看護師は多数出払っていて、ナースステーションに残っている者は、忙しそうに動き回っている。


「いいえ、北村院長との約束はしていません。今日は母の顔を見たくなったので……。母の体調はどうですか? 面会できますか?」


「院長に連絡を入れるから、ちょっと待っていて」


 看護師長はいつもの台詞を言い、院内電話を手に取って桜井を横目で見ながら話していると、何やらうなずき受話器を置いた。


「大雅君、お母さんの都合が悪いので今日は会えないわ。でも院長は会いたいそうよ。院長室に行ってくれる?」


 朝の申し送りをするように、事務的にそれだけ言って、カルテに目を落とす。


「今日は面談の日ではないので、母に会えないのならば帰ります」


 院長に会うには頭の中がゴチャゴチャし過ぎていて、今日は会いたくないと思った。


「……大雅君、院長が会いたいとおっしゃっているのよ」


 カルテから目を離さずに、有無を言わさない強い口調で言う。


「わかりました。今から行きます」


 夜勤明けなのか、疲れた横顔の看護師長を見て『……やっぱり僕は、この人が苦手だ』と強く思った。


 桜井はこの不愛想な看護師長と別れて、エレベーターホールに足を向ける。


 エレベーターホールで待っていると、5の数字が光りドアが開いた。


 ここは五階だが、院長室は地下一階にある。


 院長室からはさらに地下道に出る扉があり、そこを通ると裏の敷地に建てられている院長宅の地下室に直行できる。


 院長宅は地下一階、地上二階建ての豪勢な邸宅だ。


 一階はキッチンと居間、それにゲストルームがあり、二階はもっぱらプライベートルームになっている。


 変わっているのは、地下に広い研究室と休憩室が設備されていることだ。


 桜井はこの研究室で毎月二回、二週に一回のペースで、院長と面談をしなければならない。それが今の生活を維持するための条件であり、二週間の出来事を事細かく院長に報告するのである。今までは特に変わったこともなかったので、何も感じなかったけれど、今回は面談するのが憂鬱だ。


 エドガー先生たちのことを、どう説明したらいいのか迷っている。




 エレベーターを降り院長室をノックすると、秘書は待っていたらしくすぐに彼を案内した。


 キャビネットや書棚など、すべて英国製アンティーク家具でまとめられた上品な部屋の中で、マホガニーの茶褐色の机に左肘をついて顎を乗せた院長が、いつものように歓迎してくれた。


「大雅君、今日はどうしたの? 約束の日以外に来るのは初めてじゃないか?」


 首を傾げて入ってきたばかりの桜井を見つめ、ソファーに座るように促す。


「はい。母と話がしたくて来ました。……今日は無理そうですか?」


 桜井は、シルバーグレイの髪が似合っている彫の深い院長の顔を見ると、どこか外国の血が入っているのではないかといつも思う。


「今日のお母さんは、お腹の中にいるきみに幸せそうに語りかけているよ。そこに、大きなきみが現れたら、お母さんは混乱してしまう」


「……そうですか」


「体調が悪いとかではないから、心配はいらないよ」


 探りを入れている北村院長の視線が突き刺さる。


「……今日のは、月二回の面談に数えていいですか?」


 桜井はこのまま帰り、できれば院長との面談をなるべく後にしたかった。


「わたしは、どちらでもかまわないよ。ただし……」


 院長は椅子から立ち上がり、ソファーに座る桜井の前にやって来て、彼の顎に長い指を当て上を向かせる。


「もし、これを約束の面談とするならば、これから訊くことによく考えて答えるように。嘘をつけば、今の生活はなくなると思いなさい。予約通りの日に面談をするのであれば、今日は雑談で済ませよう」


 両手で桜井の頬を包み、目を見つめて「どうする?」と訊く。


「今日は……帰ります。約束の日にまた来ます」


 ゴクリと唾をのむ音が聞こえそうだった。


「そう、わかった。……ちょうどお昼だから、ランチにしようか。きみと食事をするのは久しぶりだな」


 秘書に二人前のランチを頼んでから、にこやかに、冷たく微笑む院長が恐ろしくなり、桜井は背筋を震わせた。




 昼食を済ませ病院前の停留所からバスに乗ったときは、すでに三時をまわっていた。


 緊張な時間を過ごしたせいか、体が鉛のように重く感じられる。


 父が死んでから母の精神状態がおかしくなり、入院が決まった時に院長が生活面の支援を申し出てくれた。


 ちょうど中学に進学する時期で、空き家になっている院長の実家に住まわせてくれて、生活費から学費、入院費まで面倒を見てくれるという。


 ただし、桜井の成長の記録を取らせることが条件である。


 母が心療内科にかかっていた時に相談した内容から、桜井に興味を持ったらしい。


 なぜおかしくなった母の戯言だと思わなかったのか不思議だ。


 神来人のことを少しは信じたのだろうか? 


 母はどの程度話したのだろう? 


 桜井には北村院長の本心が今でも見えない。


 だけど、ここにきて天上人が現れたと知ったら、院長はどうするのだろうか? 


 彼らが皇を捜していて、桜井を見つけたと知ったらどうするのだろうか? 


 大きな流れが渦巻き、飲み込まれそうで恐ろしくなる。


 どうして、僕には頼れる大人がいないのだろう。


 どうして、僕は…………こんなに孤独なのだろう。


 桜井は胸が締め付けられて、息苦しさであえいだ。





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