地の民
今の藤原の頭の中は、クエスチョンマークで一杯になっている。
『何が起こった? 重苦しい胸が、ざわつく胸が、あの一年坊主の手に触れた瞬間に飛んで消えてしまった。具合が悪くなったら来いと言った。あの子が直すとでもいうように。何だ、それ、馬鹿らしい……。でも……、ああ、分からない。とにかく、宗方に一年の教室に行かないように言わなくては』
藤原は宗方を捜しに生徒会室を出た。
あの日『楽園』に行く途中で、桜井と名乗った一年に会ってから、藤原の体は異変を生じていた。
不意に動悸がしたり、息苦しくなったり、睡眠がうまく取れなくなった。
疲れが慢性的に体に残っていた。
ところがどうだ。
あの子の手に触れてから、すべてが消滅してしまった。
生まれたてのように清々しい気持ちだ。
いったい自分の体に何が起こっているのか?
これは近いうちに、桜井に会わなくてはならないだろうと思った。
『楽園』に行ってみると、宗方と石川が煙草を吸っている。
「まったく、学校で吸うのは止めろと何度も言ってるだろう。先生に見つかったらどうするんだよ」
過去に何度か見つかり、そのたびに藤原が間に入って取り成してきた。
「うわ、見つかったあ。何か用か?」
宗方は悪びれる様子もなく、煙草の煙で輪っかを作っている。
「おまえら、一年の教室に行ってるんだって? 石川がからむ女子が怒っていて困ると、桜井って子が苦情を言ってきたよ。あと、大地は番をすることはないから諦めろ、だって」
藤原が石川の煙草を奪い取ると、バツが悪そうにぽりぽりと頭を掻いた。
そのまま煙草を焼却炉に放り込んだ。
「桜井だと」
寝ころんでいた宗方がむくっと起き上がり、煙草の火を地面に押し付けて消した。
「ああ、さっき生徒会室に来た」
「……。大地がおかしなことを言っていたな。自分よりも大雅、ああ桜井のことね、大雅の方が強い。自分は足元にも及ばないって言っていた」
地面を見つめて、宗方が考え込む。
「とにかく、もう一年の教室には行くなよ」
「ああ、退屈だから行っただけだよ。もとより、あいつらが番をやるなんて思っちゃいないさ……。ねえ、桜井って子と話がしたいな」
興味津々な眼で訴えかける。
「……うん。考えとく。桜井君と話が付いたら連絡するから、宗方はちゃんと学校に来いよ」
「ああ」
マラソン対決の日から、宗方は毎日学校に来ている。
うまくいけば、このまま来させることが出来るかもしれないと思うと、藤原は心が踊った。
二・三日、様子をみていたが、桜井たちが生徒会にくる気配はない。
そうなると自分が動かなくてはならない。
桜井に会うのは少し不安を感じるが、校内放送で放課後、生徒会室に来るように放送した。
放送を聞いた桜井が、五十嵐に「ほらね」と得意げな顔をした。
「でも、会いに来るのではなく、僕を呼び出すとは……、さすが特進コースのエリート」
フフッと悪戯っぽく笑った。
五十嵐にも付いて来てもらい、生徒会室に行くと、藤原が一人で待っていた。
誰も来ないように、今日は貸し切りにしたようだ。
桜井が部屋に入る前から、藤原には廊下に彼がいるのを感じとれた。
理屈ではなく、感覚で分かった。
「ああ、モヤモヤする」
呟きながら扉を開けると、五十嵐が今まさに、右手でコツコツと叩こうとするところだった。
「あ、びっくりした。先日はどうも……」
急に扉が開いたことに驚いて、五十嵐の挨拶が、もごもごとしたものになった。
「呼び出して、悪かったね。どうぞ入って」
「あれから、大地も小池さんも問題なくすごしています。ありがとうございました。……ところで、今日の気分はいかがですか?」
桜井がソファーに腰かけ、小首を傾げる。
「とくに、大丈夫だよ」
「そうかな、僕の手を取ってもらえれば、今より気分は晴れますよ」
桜井が手を差し出すが、藤原は椅子から動くことはせず、
「面白いことを言うね。わけがわからないよ」
不快そうに眉をひそめた。
「地の民は……」
徐に桜井が話し始める。
「皇の色光を見ることが出来ないけれど、ここで感じることができます」
桜井は、自分の胸に手を当てる。
「信じて、受け入れることができれば、生命力を得られます。それが出来ないと、徐々に生命力が減っていきます」
真面目な顔で直視するが、藤原は呆然として無反応である。
「僕は」と五十嵐が続ける。
「信じられないかもしれないけれど、僕は地の民です。桜井君は皇です。そしてあなたも地の民です」
「はは、馬鹿らしい」
藤原は背もたれに深く腰掛け、腕を組んだ。
「あなたのために、言っているのですけどね」
桜井が、ふうと息を吐く。
「仕方ない。特別な力を見せれば信じてくれますか?」
ニヤリとして立ち上がり、藤原が飲んでいたペットボトルを机から持ってきて、蓋を開けた。
「とても面白いですよ」
フフッと笑い、傾けた。
ペットボトルの飲み口から水が縄状にゆらゆらと揺れて出てきた。
ペットボトルを大きく動かすと、カウボーイの投げ縄のような輪が作られた。
そのペットボトルを元の場所に置くと、再び水はゆっくりと入っていった。
最後に蓋をしめて藤原にそれを渡した。
藤原は目を皿にして桜井とペットボトルを交互に見つめた。
「どうですか? まだ信じられませんか? 信じてもらえば、僕に触れなくても力を与えられるのですが」
「あ、いや……ごめん」
ギュッと目を瞑って、押し黙っている。
そのとき、誰かが扉を叩いた。
「おーい、藤原~、いるんだろう」
校内放送を聞きつけて、宗方がやって来た。
「丁度良かった。宗方さんにも会いたかったんだ」
五十嵐と目配せして、桜井が扉を開けた。
藤原は宗方の声など耳に入らないらしく、ぐったりと椅子に腰かけていた。
大地との会話から思うところがある宗方は、意外とすんなり桜井の話を受け入れた。
藤原は依然として上の空のまま、話を聞いている。
「藤原さんは大丈夫でしょうか?」
五十嵐はかつての自分を見るようで、気が気でない。
「ああ、大丈夫。藤原は頭が良すぎて考えすぎなんだよ。なあに、明日になれば自己処理してるさ」
比べて宗方は、非常に機嫌が良い。
桜井の『森林公園で大地の相手をして欲しい』という提案に大喜びしている。
「早速やろうぜ。連絡待ってるからな」
喜色満面して、二人を見送った。




