不思議な力を有する二人
坂本と保健室に行ってきてから、五十嵐は何が起こっているのか、頭の整理が追い付かないでいる。
「さっきから難しい顔をしているようだけど、どうしたんだよ」
放課後『嘆きの泉』に呼ばれた坂本が、首を傾げて尋ねるが、五十嵐は感情が読めない表情で、水の出ていない噴水を見つめている。
「ああ、桜井君ももうじき来るから、ちょっと待ってて。…………坂本の所からだと保健室がよく見えるだろ? 青木先生はいる? 今何しているかわかるか?」
噴水を背にした坂本は、五十嵐と対面して立っているが、彼の肩越しに保健室を覗ける位置にいる。
「え? 何だ。五十嵐も青木先生に興味があるのか? 彼女、凄く美人だもんな。気のない振りして、ふふ」
坂本がニヤリとするが、とたんに五十嵐は不機嫌になる。
「ばか。そんなんじゃない。いる? こっちを見てないか?」
「………‥。あ! 見てる。すっごい見てるよ。ふうん、何してるんだろう」
「きっと僕が桜井君をかまうから、僕たちの関係を探っているんだよ」
「ええ! 何を言っているのさ。……あ、桜井が来たよ」
あきれ顔の坂本が、桜井の姿を目にすると『呪われたベンチ』に腰かけた。
「待たせてごめん。何の用?」
呼ばれる理由が思い当たらない桜井は、相変わらず何かと話しかけてくる五十嵐に戸惑っている。
桜井を坂本の隣に座らせ、五十嵐は保健室を背に立ったまま、二人を見下ろした。
「前に桜井君は、電車の中で女性の肩にもたれて爆睡したことがあったよね。覚えてるかな? きみはその女性を知らないと言ったけれど、彼女はきみのことを一か月ほど後をつけていたよ。さらに、あの日は男性も一緒にいたんだよ」
「……僕には、きみが何を言いたいのか、さっぱりわからない」
落ち着きなく視線を動かす桜井に、坂本も「同じく俺もわからない」と、眉間に皺を寄せる。
「青木先生なんだよ、その女性は。しかも一緒にいた男性は、エドガー先生だった。今まで似ているなと思っていたけれど、確信はなかった。でも、今日、青木先生を見て確信した。あの時二人は一緒にいて、桜井君、きみを特別な目で見ていたよ」
二人を凝視すると、桜井は口をあんぐりと開け、坂本は面白そうにしている。
「ええ! 何それ。ふふふ、五十嵐ぃ、青木先生がものすごくこっちを見ているよ。おまえの言うこと当たりかもね。俺は信じるよ。だって、ほら、青木先生の隣でエドガー先生もこっちを見ている……え! ああ!」
坂本が言い終わらないうちに、ゴボゴボと異常な水音がして、噴水から信じられないほどの水が噴き上げられた。
噴き上げられた水は弾丸となって三人を襲ってきたため、逃げる間もなくシャワーを浴びたように、ビショビショになってしまった。
「うわ! 何だよ、これ!」
「うそ! ああ、冷たい!」
「ええ! 信じられない!」
濡れネズミのようになった哀れな三人は、まるで噴水と対に置かれているオブジェのように、呆然として身動き一つ取れなかった。
「ちょっとエドガー、あなたやりすぎよ。可哀そうに、びしょ濡れじゃないの」
外の光景を見ていた花音が、慌てて保健室の窓を開けた。
「ねえ、きみ達、タオルがあるからここにいらっしゃい。体操着は持ってる?」
突然の出来事で微動だにしない三人に、同情のこもった声をかける。
「うーん、加減が狂ってしまったな。でも、彼らとお近づきになるチャンスになったろう」
エドガーが切れ長の目をさらに細くして、クスクス笑った。
声をかけられた三人はようやく我に返り、鞄が置いてあるところに戻って「ああ、これは濡れてなくてよかった」「今日は体育があってよかったよ」と、不機嫌そうにブツブツ言いながら保健室に向かうと、青木先生がタオルをもって待っていてくれた。
さっそくタオルを借りて、授業で使用した汚れている体操着に着替える。
「青木先生、ビニール袋ありますか? 濡れた服を入れたいのですが」
着替え終わった坂本が、さっきから青木とエドガーをニヤニヤしながら見て、
「先生たちは、付き合っているの?」
と、ビニール袋を受け取り軽口を叩く。
「そんなわけないでしょう。エドガー先生とは、今日会ったばかりよ」
つんとすました顔で花音が答えるので、五十嵐は心の中で『嘘つき』と毒づき、むすっとして口を尖らせる。
「だけど、何で急に水が出たんだろう。モーターを動かしている人を見た?」
濡れた髪をタオルで拭きながら、五十嵐が首を傾げて坂本と桜井に訊く。
「中庭には誰もいなかったぞ。故障じゃないか?」
坂本が、律義に脱いだ服を入れたビニール袋を鞄の横に置きに行くが、
「でも、おかしいだろ? まるで僕ら目掛けて生き物のように水が襲ってきたぞ! 桜井君はどう思う?」
五十嵐は、さっきから何も言わない桜井が気になって仕方ない。
エドガーと青木の二人をちらちら見ながら、桜井は片方の眉を上げて顔を強張らせていたが、ふいに蛇口に近づくと、下に置いてあったバケツに水を汲みだした。
呆気に取られている四人に向かって桜井が言った。
「……モーターで水を出したんじゃないよ。そうでしょう? エドガー先生」
それまで無言でいた桜井が突然エドガーに食って掛かったので、五十嵐と坂本が頭を拭いている手をとめ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をタオルの間から覗かせた。
「え? それはどういうことかな? 大雅君」
「だから、先生の仕業だと言っているのです。そら!」
そう言うや否や、バケツの水をエドガー目掛けて撒いた。
撒かれた水はエドガーの脇を通り、緩やかに円を描いてシンクに戻っていった。
「いきなり酷いなあ」
エドガーはビックリしながらも、にこやかに桜井を眺めている。
しかし五十嵐と坂本は、目が落っこちそうなほど大きく目を見開き、口も半開きのままで、体を硬直させていた。
桜井は驚いて固まっている五十嵐と坂本をチラッと見てから、言い難そうに続ける。
「不思議な力をもつ者が現れるから用心しなさいと言われていました。でも、まさか本当に現れるとは……。学校案内をした時から、先生は妙に僕のことに関心を持っているようなので、変だと思っていましたけど」
「……そう、知っていたのか、驚いたな。誰に聞いたの?」
質問に答えない桜井を見やり、エドガーは何やら考えていたが、花音に耳打ちすると花音はこくんと頷いた。
「神来人についても聞いているのかな?」
「…………いいえ、知りません」
「オッケイ。ざっと説明しよう。古代から神来人は、ホモサピエンスとは異なる進化をとげてきた民族なんだよ。皇を頂点に少数の天上人がいて、彼らは特別な力を持っている。きみが考えたように、ボクらは魔力を持っている。天上人以外には地の民がいて、彼らは魔力を持っていない。それ故に現生人類とほとんど変わらないため、人と紛れて暮らしている者が多い。きみは……」
と五十嵐を見る。
「もしかしたら、地の民の血を引く者かもしれない」
「え! な、何で?」
思いがけないことを言われて、五十嵐は目を丸くする。
「大雅君のことが気になって仕方ないのだろう? ボクらは皇の証を、色として識別出来るけれど、地の民はそれが出来ない。その代わりに、感じることが出来るらしい」
これを聞いて、桜井がギョッとした。
「そう、大雅君、きみは次期皇になる人だ。ボクたちは、きみを捜していたんだよ」
「うそだ! そんなわけない! ありえない!」
桜井は首を振って否定する。
「ぼくにかまわないで、放っておいて!」
泣きそうな顔で言うと、保健室を飛び出していった。
「桜井君! 待って!」
慌てて五十嵐が追いかけると、
「おい! 待てよ! 鞄はどうするんだよ! 荷物は?」
坂本が、五十嵐の背中に声をかける。
「坂本が預かっておいて。あとで君の家に寄るから。悪いな」
五十嵐は振り向いて大声で言うと、踵を返して桜井を追った。