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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第一章
28/93

大雅の悲しみ

 寝静まった静寂の闇を切り裂くように叫び声がした。


 ビクッと体が震え、五十嵐は目を覚まし、何事かと息を凝らして様子を伺うと、そのうちに声を押し殺した、悲しげな嗚咽が聞こえてきた。

 ベットから抜け出して廊下を伺うと、織部が廊下に出ていた。


「五十嵐君も目が覚めたのね」

 囁くように言い、側に来るように手振りで示す。


「はい。もしかして桜井君ですか?」

「ええ、二階に行ってみましょう」


 薄明りの中そっと階段を上がると、苦しそうな声が漏れている部屋に行きついた。

織部が息を整えてから、ドアを開けた。


 部屋の中は明かりがついていて、桜井がベットに縋り付いて泣いていた。

ベットには女性が寝ていたが、酷く顔色が悪い。

桜井のお母さん? 死? 五十嵐の心臓はドキドキと踊りだした。

手が震える。

桜井に何か声をかけなければ、しかし唇も震える。


「桜井君……」

 言葉のかけようがなく、おろおろしてしまう。


 顔を上げた桜井の目はぞっとするほど暗く、憎悪に燃えていて、近づくことを拒んでいた。


「どうしたの? その人、お母さん? 具合が悪いの?」

 五十嵐は入り口で佇んだままで、近づけない。

桜井はふらふらと立ち上がり、窓際に移動した。


「とうとう死んじゃった」

 窓の外を眺めながら呟いた。

「母さん、とうとう死んじゃった」


 振り向いて、独り言のように静かに呟く。

うつむいたままの桜井が怖い。


「許せない。あいつらを絶対に許せない」

「あいつらって誰?」

 桜井がとても危うく思えて、五十嵐は駆け出した。


「駄目! 来ないで!」

 拒絶されて、五十嵐の足が止まる。


「桜井君、落ち着いて」

 この部屋の、ピリピリする空気を何とかしようと織部が声をかけるが、

「下がれ! 来るな!」 

 桜井が命令すると、織部も五十嵐も体が動かなくなった。


『まずいことになった』

 織部が眉間に皺を寄せたのを五十嵐が認めて、状況がやばそうなのが感じられた。


「ごめん、五十嵐君。僕は一緒に帰れない。ダイチを残すから、彼に案内させるよ。きみは、もう元の世界に戻りなよ」


 悲しそうに五十嵐を見つめ、

「綾乃さん、時の番人の仕事を増やしてしまうかも。ごめんなさい」

 そう言って、そのまま外に向かって歩くと、桜井の体は半透明になり消えた。


 桜井の姿が見えなくなると、二人の体が自由になった。


「五十嵐君、現世に戻るぞ。坂本とダイチとかいう器を起こしてくれ。ああ、大変なことになった……。さあ、行って! 早く!」


 青ざめた織部が、五十嵐を駆り立てて部屋から追い出した。

 それからベットにそっと近づいて、まじまじと静かに横たわっている琴乃を見つめた。


「大雅君を止めます。どうか、力を貸してください。あなたをひとりにしてしまいますが、必ず大雅君を連れてきます」


 織部は琴乃の頬に触れ、

「あなたを御主人の元に返しますから、どうか安心して。長い間辛かったですね」

 一呼吸おいて、急ぎ足で小池を起こしに階下に降りた。



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