大雅の悲しみ
寝静まった静寂の闇を切り裂くように叫び声がした。
ビクッと体が震え、五十嵐は目を覚まし、何事かと息を凝らして様子を伺うと、そのうちに声を押し殺した、悲しげな嗚咽が聞こえてきた。
ベットから抜け出して廊下を伺うと、織部が廊下に出ていた。
「五十嵐君も目が覚めたのね」
囁くように言い、側に来るように手振りで示す。
「はい。もしかして桜井君ですか?」
「ええ、二階に行ってみましょう」
薄明りの中そっと階段を上がると、苦しそうな声が漏れている部屋に行きついた。
織部が息を整えてから、ドアを開けた。
部屋の中は明かりがついていて、桜井がベットに縋り付いて泣いていた。
ベットには女性が寝ていたが、酷く顔色が悪い。
桜井のお母さん? 死? 五十嵐の心臓はドキドキと踊りだした。
手が震える。
桜井に何か声をかけなければ、しかし唇も震える。
「桜井君……」
言葉のかけようがなく、おろおろしてしまう。
顔を上げた桜井の目はぞっとするほど暗く、憎悪に燃えていて、近づくことを拒んでいた。
「どうしたの? その人、お母さん? 具合が悪いの?」
五十嵐は入り口で佇んだままで、近づけない。
桜井はふらふらと立ち上がり、窓際に移動した。
「とうとう死んじゃった」
窓の外を眺めながら呟いた。
「母さん、とうとう死んじゃった」
振り向いて、独り言のように静かに呟く。
うつむいたままの桜井が怖い。
「許せない。あいつらを絶対に許せない」
「あいつらって誰?」
桜井がとても危うく思えて、五十嵐は駆け出した。
「駄目! 来ないで!」
拒絶されて、五十嵐の足が止まる。
「桜井君、落ち着いて」
この部屋の、ピリピリする空気を何とかしようと織部が声をかけるが、
「下がれ! 来るな!」
桜井が命令すると、織部も五十嵐も体が動かなくなった。
『まずいことになった』
織部が眉間に皺を寄せたのを五十嵐が認めて、状況がやばそうなのが感じられた。
「ごめん、五十嵐君。僕は一緒に帰れない。ダイチを残すから、彼に案内させるよ。きみは、もう元の世界に戻りなよ」
悲しそうに五十嵐を見つめ、
「綾乃さん、時の番人の仕事を増やしてしまうかも。ごめんなさい」
そう言って、そのまま外に向かって歩くと、桜井の体は半透明になり消えた。
桜井の姿が見えなくなると、二人の体が自由になった。
「五十嵐君、現世に戻るぞ。坂本とダイチとかいう器を起こしてくれ。ああ、大変なことになった……。さあ、行って! 早く!」
青ざめた織部が、五十嵐を駆り立てて部屋から追い出した。
それからベットにそっと近づいて、まじまじと静かに横たわっている琴乃を見つめた。
「大雅君を止めます。どうか、力を貸してください。あなたをひとりにしてしまいますが、必ず大雅君を連れてきます」
織部は琴乃の頬に触れ、
「あなたを御主人の元に返しますから、どうか安心して。長い間辛かったですね」
一呼吸おいて、急ぎ足で小池を起こしに階下に降りた。




