彼の名はダイチ
野生の国の王様のように悠々と歩いているダイチと名のる狼の後を、こそこそと五十嵐と小池が、小声でひそひそ話しながら後に続く。
「彼、何者? 私には狼にしか見えないけれど。ああ、怖かった。襲われるかと思った」
小池がブルっと身震いする。
「見た目は狼だよね。でも、紳士的だし、襲われることはなさそうだよ。桜井君とどんな関係なのだろう? 桜井君はあの家にいるのかな?」
五十嵐が、ダイチが進む前方に見える家に顔を向ける。
「ああ、彼が何者なのか織部様なら分かるかもしれないけれど、わたしには経験不足で分からない。人間の言葉を話す獣に会うのは初めてだよ」
小池がしょんぼりとした口調で言い、織部を捜すように周りを見まわす。
ダイチがゆっくりと振り向き、面倒くさそうな面持ちで二人を眺めた。
五十嵐と小池も歩を止め、恐々ダイチと向き合う。
「こそこそうるさいなあ。内緒話をしているつもりかもしれないけどさ、僕は耳が良いからね、丸聞こえだぞ」
はあ、とため息をつく。
「もっと側に来いよ。聞きたいことがあるのだろう」
目を細めてフンフンと鼻を鳴らすと、五十嵐が意を決してダイチの隣に行った。
「ダイチさんは桜井君とどういう関係なのですか? この世界は何? 桜井君は、あそこに見える家に居るのですか? 元気ですか? 彼は何で姿を消したのですか?」
矢継ぎ早に質問攻めにする五十嵐に、ダイチがニッコリした。
「ハハハ。まあ、落ち着け健人」
ダイチは小池が近くまで来るのを待ってから、再びゆっくりと歩き出した。
「僕は、そうだねえ、言うなれば大雅の一部だよ」
それを聞いて五十嵐が眉根を寄せるのを、面白そうに眺めながら話を続ける。
「大雅はすぐに偉大な少年になるよ。だけど今は能力が大きすぎて、まだ器が追い付いていない状態なんだ。内部から発生する力が大きすぎて、大雅自身が壊れそうになってしまった。だから仕方なく自分の世界を創造して、一時避難することにしたんだよ。そこで、漏れ続ける力を別の器に収納することにしたのさ。それが僕。分かる?」
頭を傾げて二人を見つめる金色の瞳に光が映り、キラキラ輝いている。
「桜井君は無事なの?」
その魅力的な瞳にひかれながら、五十嵐が心細そうに訊くと、
「……実際、まだ分からない」
ダイチもやや声を落として、目を伏せた。
「え! どうして? あそこにいるのでしょう?」
五十嵐が前に進み出て、心配そうにダイチの顔を見てから小さく見える家を指差した。
「うーん、何というか、どんなに歩いてもあの家にたどり着けないのだよ」
「え! どうして?」
「歩いても歩いても、距離が縮まらないのさ……。大雅は現実の世界に戻りたくないのかもね」
「駄目だよ! そんなの駄目だ。元の世界に帰らないと! 僕たちと一緒に!」
五十嵐が真剣に訴えるさまを満足そうに眺めながら、ダイチがなかなか寄り付かない小池に顔を向けると、それに気付いた小池がピタッと歩を止め睨んだ。
「敦子、きみは僕が怖いのかい?」
後退りしそうな小池に一歩近づくと、小池の体がビクッと跳ねた。
ダイチはなおも一歩近づいた。
「お願いだから来ないで!」
数歩後退り、泣きそうな顔で叫んだ。
「怖いわよ! 小さいころ大型犬に追いかけられて橋の上から落ちたことがあった。その時、溺れて死にそうになってから犬は苦手、大っ嫌い!」
震えながら必死な様子の小池をダイチは好奇な眼差しで見て、それからいきなり咆哮しジャンプした。
目の前に大きな狼の顔が現れたものだから、小池は「ひっ」と息をのんで直立不動のまま硬直してしまった。
「僕は人間のペットになり果てた犬ではないよ。まったく不愉快だなあ。……きみは手足が細く長いから、まるで小鹿みたいだね。ふふ、何だか、とっても美味しそうだなあ」
そう言って、長い舌でべろりと小池の顔を舐めた。
小池は今にも気絶しそうなほど顔面蒼白になっている。
「ちょっと! ダイチさん! やりすぎです!」
五十嵐が可哀そうな小池に助け舟をだすと、
「ハハハ、悪い悪い。冗談だよ」
悪気のなさそうな顔で平然と言ってから、くるりと向きを変えて歩き出した。




