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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第一章
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きみが気になって仕方ない

「……五十嵐さあ、おまえ桜井に嫌われてないか? メチャクチャ避けられてるじゃん」


 坂本は、桜井につきまとう五十嵐を理解できないでいる。


「彼の何に興味をもったの? 成績も運動もパッとしない子でしょう。まあ、小柄で可愛いと言えば、可愛い部類だとおもうけどさ。でも女子の方が断然可愛いよ……。ねえ、五十嵐はモテるからさ、今度は女子を連れて来いよ……。ああ、この場所『嘆きの泉』以外でね」


 隣の女子生徒に聞こえないように、声を潜めて耳打ちする。


「……僕は、なんかわからないけど、最近になって桜井君の姿を頻繁に目にするようになった。彼は僕が利用する駅の隣の駅から乗ってくるけど、なぜか毎日電車の中で観察してしまうんだ」


 お茶でご飯を流し込むと、五十嵐は眉間に皺を寄せて坂本を見つめた。


「坂本、ちょっと聞いてくれるか?」


「うん? なんだあ」


 最後の唐揚げを口に放り込んで、弁当箱を片付けながら坂本は呑気な声をだした。


「するとね、同じ電車に乗っていて、気づいたことがあるんだよ。一か月ほど前から、毎朝彼の後から、同じ女性が一緒に乗ってくるんだ。そして座席が空いていても、その人は座ることはしないで、座っている桜井君の斜め隣辺りで立っていて、座っている彼をじっと見ているんだよ。でも、今日は違っていたな」


「え、どんな女性? 何があった?」


 五十嵐が話しだすと、坂本が興味を持ちだした。


「そうだな、二十代後半だと思うけど、女性の年はよくわからない。綺麗な人だよ。今日は桜井君と一緒に乗り込んでくると、二人は並んで腰かけた。そうしたらさ、ものの数分もしないうちに、彼は彼女に体を預けて寝入ったんだよ。あっという間だった」


「夜更かしして、眠かったんじゃないか?」


 坂本が怪訝そうな顔をすると、五十嵐は頭を振った。


「いや、なんか不自然だった。だって彼はこれまで寝たことなんて一度もなかったよ」


「ふーん。でも俺からしたら、何がそんなに気になるのかわからないよ。だって、たまたま同じ駅から乗り込んだ二人が隣同士で座って、それから桜井が寝てしまったってことでしょう。何が変?」


 頭を傾げて五十嵐を見ると、納得できない顔をして左手の親指の爪をかじっている。


 かなりイラついているようだ。


「じゃあ、五十嵐はどう考えているの? 桜井が催眠術でもかけられて寝たと思ったわけ? それって考えすぎじゃない?」


 言われて五十嵐は坂本を見つめ、視線を水の出ていない噴水に移した。


「…………ああ、それに今日は若い男も一緒に乗ってきたよ。寝ている桜井君を側でじっと見つめていた。うん、やっぱりあの男女二人はおかしい。二人とも僕らの後から一緒に下車して、物陰から桜井君をじっと見ていたもの」


「桜井はその女の人のことを何と? 同じ駅を利用しているんだろう?」


「……彼は知らないって。顔もわからないって」


 やや気弱そうに言うが、でも絶対変だよと譲らない。


「五十嵐の言う通り変だとしても、その二人は桜井に声をかけてないよね? これですめば何ということもないし、まあ、様子見ってことでいいんじゃないの。さあ、教室に戻ろうか」


 すでに女子生徒二人はいなくなり、昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴っていた。




 それから数日が過ぎたが、なぜか桜井と同じ駅から乗り込んでいた女性は、その後一度も姿を見せなかった。


 男性も乗ってきたのはあの時一度きりだ。


「ほうら、やっぱり五十嵐の考えすぎじゃないか。桜井だって、普通に過ごしているみたいだしさ」


 五十嵐の報告を聞いて、坂本はぼんやり外を眺めている桜井を小さく指差した。


「それよりさ、チャボが凄いイケメンを連れて来たって、女子どもが騒いでいるの、知ってるかい?」


 教室の隅で何やらざわついている女子たちを、五十嵐に目線で示す。


「そんなの知らない。あーあ、桜井君は相変わらず僕を無視するんだよ」


「おまえ嫌われているみたいだから、いい加減にして、かまうのを止めろよ」


 気のない声で坂本が言うと、五十嵐はムッとした表情になった。


 ホームルームになり、チャボが教室に入ってくると、教室がざわめきだし、誰? カッコイイ、凄いイケメン、モデルみたい、等々あちこちから主に女子が囁いている。


 チャボの後から教室に入ってきた青年は、女子生徒から熱い視線を浴びて一瞬ひるんだようだったが、すぐに姿勢を正して、にこやかに微笑んだ。


「皆さん、静かにしてください。紹介したい人がいます」


 チャボの声はいつものように、早口でやや甲高く特徴がある。


「彼はエドガー・東雲(しののめ)さんです。期間ははっきりしませんが、暫くネイティブスピーカーとして、皆さんのリスニングの授業を受け持ってくれます。それから、このクラスの副担任として補佐もしてもらいますのでよろしく。ミスター・エドガー、どうぞ」


 チャボがエドガーに、教壇に上がるよう促すと進み出た。


 エドガーは身長もあり、モデル並みの均整の整ったスタイルをしている。


 背広がとてもよく似合い、女子生徒の目を釘付けにするが、男子生徒は面白くない様子である。


「皆さん、初めまして。エドガー・東雲といいます。ボクは、アメリカ合衆国の北東部に位置するバーモンド州出身です。面積は日本でいうと、岩手県と宮城県を合わせたよりも少し大きい程度で、自然が豊かで人口は少ない方です。リンゴとメープルシロップの収穫が盛んで、メープルシロップの生産量は全米で最大です。観光業が最大の産業ですので、もし大きくなって渡米する機会があったら、是非行ってみてください。景色が美しく、ボクは故郷が大好きです。さて、ボクは皆さんと、主に、生きている日常英会話を中心に勉強していこうと考えています。どうかよろしくお願いしますね」


 魅惑的な切れ長の目で生徒一同を一瞥する。


「えー、誰か昼休みに校内を案内してもらえるかな?」


 このエドガーの申し入れに、女子数人がすぐに反応した。


「はい! はい! 私やりまーす」


 男勝りの小池敦子が我先に手を上げるが、


「ああ、キミ、ありがとう。でもボクは、日本の男子高校生と話がしたいな」


 エドガーが手元の座席表を確認して、


「キミ、えっと大雅君? わるいけど昼休みに校内を案内してくれる?」


 急に任命されて桜井は戸惑いつつ「はい、わかりました」と答えるが、あちらこちらで女子の「えー、私がしたいのに」「私が変わってあげるわ」と黄色い声があがる。


「僕も参加します」


 五十嵐が言うと、エドガーが彼を見つめニヤリと口の端を上げた。


「はい、静かにして。では桜井君と五十嵐君で、昼休みにミスター・エドガーの校内案内をお願いします」


 チャボが、ざわめきだした女子生徒の声を遮ってホームルームを終わらせ、エドガーを引き連れて、そそくさと教室を後にした。




 昼休みになり、エドガーを引き連れて一年と二年の教室がある南棟の案内をしていると、そこかしこから女子の熱い視線と、男子の嫉妬が含む羨望の眼差しが注がれる。


 エドガーは注目されるのに慣れているらしく平然としているが、桜井と五十嵐は体中がむずむずして落ち着かず、早くこのお役目を終わらせることばかり考えていた。


 渡り廊下を渡って北棟に移動する際、五十嵐はいやにエドガーが自分を見つめるのに気が付いた。


「何ですか? 先生」


「いや、貴重な休み時間に悪いなと思ってさ。何でわざわざ手を上げてくれたのかなあ、と思って」


「……何でって。先生が案内するように、頼んだのじゃないですか」


 左手の親指の爪をかじりながら「先生は桜井君を知っているのですか?」と訊く。


「いいや、なぜ?」


「いえ、何となくそう思っただけです。北棟は三年生の教室以外に保健室と、あ、そこがそうです。あとは、美術室と集会所があるだけです」


 五十嵐は言いながら桜井に目を向けると、彼はこちらを気にするでもなく、さっさと渡り廊下を進んでいる。


『嘆きの泉』には、今日も誰もいなかった。




 それから数日が過ぎて、登校した五十嵐が教室に足を踏み入れると、今度は男子生徒が妙にソワソワしている。


「え、何々、何かあったの?」


 生き生きとおしゃべりしている男子生徒の輪の中に、坂本を見つけて五十嵐が近づく。


「おう五十嵐か。この前は女子どもが騒いでいたけど、今日は俺たち男子の番だ。保健室の先生が、何かえらく綺麗なお姉さんに変わったらしいよ。今、横山たちが偵察に行っているから、戻ってくるのを待っているところさ」


 興味津々で、みんなの目がいつもより大きく生き生きとしている。


 そこへ横山たち数人が「やばい、やばい」「ああ、俺の好み」「春がきた、青春だあ!」と、楽しそうに駆け込んできた。


「どお、どうだった?」


 期待でウキウキしている男子生徒が、たった今教室に入ってきた連中を囲んだが、そんな様子を女子生徒は冷ややかに眺めている。


「うん、うわさ通り整った顔立ちで、正統派美人という感じ。スタイルも抜群だし、大人の女性の色気があるな。うん」


 横山が頬を紅潮させながら報告すると、「大人の女性の色気だって、いやらしい」「やーね、ガキのくせに」と、女性陣から咎める声が囁かれた。


「女子、うるさい。自分らだって、エドガー先生に舞い上がっていたくせに」


 男子がニヤニヤしながら応戦する。


「彼女は、青木花音って言うらしい。名前も可愛いな、似合っている。ああ明日から怪我をするのが楽しみになるかも、あははは」


 横山が言うと「それやばいよ」「あー、それな」と、男子どもは楽しそうにはしゃいだ。


「ねえ、昼休みに、どうせほかの連中も見に行くだろうから、ちょっと覗きに行こうよ」


 坂本が五十嵐に提案するが、


「ええ! 僕はいいよ、面倒くさい」


 と気乗りしない返事を返す。


「いいから、いいから、付き合えよ」


 坂本はトントンと五十嵐の肩を叩いてから、自分の席に向かった。




 男子生徒の考えることは同じで、案の定、保健室の前は人だかりになっていた。


 五十嵐はうんざりして教室に戻ろうとするが、坂本が


「待てって。ああ、ほら、こっちこっち」


 隙間を見つけて、保健室の中が見える位置に入り込む。


「本当だ。クールビューティーだな。こりゃあ体育の授業中に怪我する奴が続出するぞ」


 ふふふと実に楽しそうに笑う。


「ん? どうした?」


 五十嵐の方に振り向くと、彼は眉間に皺を寄せて、青木を睨みつけていた。



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