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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第一章
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きみ誰?

 二学期の初日に、五十嵐が駅前のおにぎり屋を覗いてから学校へと歩いていると、

「おはよう。一緒になるのは珍しいな」

 後ろから追いかけてきた坂本に肩を叩かれた。


「ああ、おはよう」

 生気のない顔で返事をする五十嵐を、

「何て顔をしているんだよ。元気出せよ」と発破を掛ける。


「桜井が登校しているか、が問題だな。……そうピリピリするなって!」

 五十嵐の肩に腕を乗せて、彼の髪をわしゃわしゃすると嫌そうに坂本の手を払いのけた。


「あのさ、新しい情報を仕入れて来たぞ。北村院長と佐野医師だけどさ、ここ最近、学会だかで病院にはいないらしいよ」

 坂本が五十嵐に耳打ちする。


「え? 誰から聞いたの?」


「姉貴の友達が北村病院の看護師やってんの。だけど院長は精神科で、佐野医師は外科なのに一緒に休みってどうなの? 科が違っても学会って同時期にやるものなのかな? 何かありそう……」

 思案気に視線を泳がせていると、前方の見慣れた後ろ姿に目がいった。


「あ! あれ、桜井じゃないか?」

 それを聞いて五十嵐も後姿を認めると、二人で駆け出した。


「おい桜井。何の連絡も無しでどういうつもりだよ!」

 坂本が語気荒く言い、桜井の肩を掴んで振り向かせる。


「おはよう、桜井君。僕たちは、あれからきみの家に何回か行ったんだけど……、きみは、いつも留守だったね」

 五十嵐は振り向いた桜井の顔の表情を見ると戸惑い、坂本の腕を掴んで桜井の肩から離した。


「君たちは誰? 僕に何の用?」

 桜井は眉間に皺を寄せて、思いきり不機嫌に答える。


「何言ってるんだよ! ふざけてんのか?」

 坂本が興奮して顔をこわばらせる。


「坂本、待てよ。……桜井君、僕たちがわからないの?」


 難癖をつけられて身構えている桜井を見ると、五十嵐の心臓はドクンドクンと大きく拍動し、息苦しさで眩暈がしだした。


「学校で会ったことがあるのかもしれないけれど。悪いね、記憶にないよ」

 冷ややかに一瞥してから、踵を返して学校へと足を向けた。

突然のことで坂本と五十嵐は、立ち止まったまま動けないでいる。


「え? 何? 何あれ」

 坂本は憮然として、さっさと歩き出した桜井を睨む。


「……。ふざけてはいないみたい」

 五十嵐は眉根を寄せて、癖らしく左手の親指の爪をかじった。


「何が起きたんだよ?」

「やっぱり一緒に行くべきだったんだ!」

 五十嵐は震える声で言うと、暗い眼差しで小さくなった桜井の後ろ姿を見やった。


 二人が学校に到着して教室に入ると、桜井はチラっと一瞥しただけで視線を校庭に移して背を向けた。

横山が坂本に気が付いて近づいてきた。


「おっはよう、坂本。数学のプリントなんだけど、解らないところ教えてくれない?」

「ああ、いいけど……。その代わり桜井に訊いてほしいことがあるんだ。」

「え、何で? 俺、桜井と口きいたことあまりないけど」

「桜井がおまえの名前を知っているか、それを知りたい」

「何だよそれ。名前ぐらい知ってるだろう」

「いや、俺と五十嵐のことはわからないらしい。……それも確かめてくれないか?」

「変なの。俺の名前を知ってるか、おまえらの名前も知ってるか訊けばいいのか? そしたら数学教えろよ」


 横山は、また『変なの』と呟きながら桜井の席に行き話しかけた。

桜井は坂本と五十嵐を交互に見てから何やら話し、横山は少し驚いたような表情のまま戻ってきた。


「おい、あいつおかしいぞ……。おまえらの名前はわからないらしい。いったいどうしたんだ?」

「おまえのことは?」坂本が訊く。


「俺は知っているとさ。というか、当り前じゃん。もう、二学期になるんだぞ」

 横山が眉を潜めて桜井を見やり、気の毒そうに五十嵐に視線を移す。


「五十嵐は桜井と仲良かったじゃないか。なに? 喧嘩でもした?」

「いや、本当に記憶にないみたい」

 五十嵐は難しい顔で腕を組み、目を閉じて考え込む。


「ええ! 何それ、ありえないだろう。……もしかして記憶喪失とか?」

 横山が興味を持ち始めたのを感じて、坂本が

「夏休み中に頭打ったのかもな。さ、数学教えてやるよ」


 この話題から離れるように、横山を追い立てるように席に連れて行った。

 静かになると、五十嵐は目を開けて桜井を見つめた。


 始業式を終えて体育館から教室に戻ると、チャボは『二学期は学校行事が多いけれど、ちゃんと出席するように』と注意点を話してから、集めた提出物を抱えて「後はエドガー先生に任せる」と言って、教室から出て行った。


「さすが、ベテランのチャボはわかっているな」

 坂本がニヤリとする。

毎年、文化祭の仕事やらコーラスの練習などに雲隠れする生徒が多く、真面目に取り組む生徒が苦労しているのが現状だ。


「今年はボクが見張っていますからね、さぼりは許しませんよ」

 エドガーが爽やかに言うと、

「大丈夫、私たちも目を光らせて逃がしません。先生のために協力しまーす」

 と、女子がクスクス笑う。


「健人君、顔が怖いよ。スマイル、はい、笑って、笑って。そんな顔をしているとモテないぞ」


 エドガーが教室を歩きながらにこやかに言うと、生徒全員の視線が五十嵐に注がれた。

急に振られた五十嵐は、突き刺さる視線に戸惑い、うつむいてしまう。


『あーあ、エドガーの奴、何でああいう事を言うかなあ。五十嵐は耳まで真っ赤になって、お気の毒様』

 坂本が、すぐ横を通ったエドガーの後姿を軽く睨むと同時に、机の上にメモ用紙が置かれているのに気が付いた。

何だろうと広げてみる。


  この後、健人君と鳩の丘まで来てほしい。

  エドガー


 どうやらエドガーからのメモで、みんなの視線を五十嵐に向けさせて、その合間に坂本の机に置いたようだ。


 ホームルームを終え、エドガーが女子生徒に囲まれながら教室から出て行くと、坂本はまだ不機嫌な様子の五十嵐を捉まえ、

「おい、これ見ろよ」とメモ用紙を渡す。


「……気に入らない」


 五十嵐はメモ用紙を呼んでから坂本に返し、教室を後にする桜井を見つめる。

桜井はチラチラとこちらを気にしながら、そそくさと昇降口に向かった。


「とにかく鳩の丘に行くしかないだろう。さ、行こうか」

 坂本は五十嵐の肩をポンと叩いて鞄を手に取り、二人は高台へと足を運んだ。


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