きみ誰?
二学期の初日に、五十嵐が駅前のおにぎり屋を覗いてから学校へと歩いていると、
「おはよう。一緒になるのは珍しいな」
後ろから追いかけてきた坂本に肩を叩かれた。
「ああ、おはよう」
生気のない顔で返事をする五十嵐を、
「何て顔をしているんだよ。元気出せよ」と発破を掛ける。
「桜井が登校しているか、が問題だな。……そうピリピリするなって!」
五十嵐の肩に腕を乗せて、彼の髪をわしゃわしゃすると嫌そうに坂本の手を払いのけた。
「あのさ、新しい情報を仕入れて来たぞ。北村院長と佐野医師だけどさ、ここ最近、学会だかで病院にはいないらしいよ」
坂本が五十嵐に耳打ちする。
「え? 誰から聞いたの?」
「姉貴の友達が北村病院の看護師やってんの。だけど院長は精神科で、佐野医師は外科なのに一緒に休みってどうなの? 科が違っても学会って同時期にやるものなのかな? 何かありそう……」
思案気に視線を泳がせていると、前方の見慣れた後ろ姿に目がいった。
「あ! あれ、桜井じゃないか?」
それを聞いて五十嵐も後姿を認めると、二人で駆け出した。
「おい桜井。何の連絡も無しでどういうつもりだよ!」
坂本が語気荒く言い、桜井の肩を掴んで振り向かせる。
「おはよう、桜井君。僕たちは、あれからきみの家に何回か行ったんだけど……、きみは、いつも留守だったね」
五十嵐は振り向いた桜井の顔の表情を見ると戸惑い、坂本の腕を掴んで桜井の肩から離した。
「君たちは誰? 僕に何の用?」
桜井は眉間に皺を寄せて、思いきり不機嫌に答える。
「何言ってるんだよ! ふざけてんのか?」
坂本が興奮して顔をこわばらせる。
「坂本、待てよ。……桜井君、僕たちがわからないの?」
難癖をつけられて身構えている桜井を見ると、五十嵐の心臓はドクンドクンと大きく拍動し、息苦しさで眩暈がしだした。
「学校で会ったことがあるのかもしれないけれど。悪いね、記憶にないよ」
冷ややかに一瞥してから、踵を返して学校へと足を向けた。
突然のことで坂本と五十嵐は、立ち止まったまま動けないでいる。
「え? 何? 何あれ」
坂本は憮然として、さっさと歩き出した桜井を睨む。
「……。ふざけてはいないみたい」
五十嵐は眉根を寄せて、癖らしく左手の親指の爪をかじった。
「何が起きたんだよ?」
「やっぱり一緒に行くべきだったんだ!」
五十嵐は震える声で言うと、暗い眼差しで小さくなった桜井の後ろ姿を見やった。
二人が学校に到着して教室に入ると、桜井はチラっと一瞥しただけで視線を校庭に移して背を向けた。
横山が坂本に気が付いて近づいてきた。
「おっはよう、坂本。数学のプリントなんだけど、解らないところ教えてくれない?」
「ああ、いいけど……。その代わり桜井に訊いてほしいことがあるんだ。」
「え、何で? 俺、桜井と口きいたことあまりないけど」
「桜井がおまえの名前を知っているか、それを知りたい」
「何だよそれ。名前ぐらい知ってるだろう」
「いや、俺と五十嵐のことはわからないらしい。……それも確かめてくれないか?」
「変なの。俺の名前を知ってるか、おまえらの名前も知ってるか訊けばいいのか? そしたら数学教えろよ」
横山は、また『変なの』と呟きながら桜井の席に行き話しかけた。
桜井は坂本と五十嵐を交互に見てから何やら話し、横山は少し驚いたような表情のまま戻ってきた。
「おい、あいつおかしいぞ……。おまえらの名前はわからないらしい。いったいどうしたんだ?」
「おまえのことは?」坂本が訊く。
「俺は知っているとさ。というか、当り前じゃん。もう、二学期になるんだぞ」
横山が眉を潜めて桜井を見やり、気の毒そうに五十嵐に視線を移す。
「五十嵐は桜井と仲良かったじゃないか。なに? 喧嘩でもした?」
「いや、本当に記憶にないみたい」
五十嵐は難しい顔で腕を組み、目を閉じて考え込む。
「ええ! 何それ、ありえないだろう。……もしかして記憶喪失とか?」
横山が興味を持ち始めたのを感じて、坂本が
「夏休み中に頭打ったのかもな。さ、数学教えてやるよ」
この話題から離れるように、横山を追い立てるように席に連れて行った。
静かになると、五十嵐は目を開けて桜井を見つめた。
始業式を終えて体育館から教室に戻ると、チャボは『二学期は学校行事が多いけれど、ちゃんと出席するように』と注意点を話してから、集めた提出物を抱えて「後はエドガー先生に任せる」と言って、教室から出て行った。
「さすが、ベテランのチャボはわかっているな」
坂本がニヤリとする。
毎年、文化祭の仕事やらコーラスの練習などに雲隠れする生徒が多く、真面目に取り組む生徒が苦労しているのが現状だ。
「今年はボクが見張っていますからね、さぼりは許しませんよ」
エドガーが爽やかに言うと、
「大丈夫、私たちも目を光らせて逃がしません。先生のために協力しまーす」
と、女子がクスクス笑う。
「健人君、顔が怖いよ。スマイル、はい、笑って、笑って。そんな顔をしているとモテないぞ」
エドガーが教室を歩きながらにこやかに言うと、生徒全員の視線が五十嵐に注がれた。
急に振られた五十嵐は、突き刺さる視線に戸惑い、うつむいてしまう。
『あーあ、エドガーの奴、何でああいう事を言うかなあ。五十嵐は耳まで真っ赤になって、お気の毒様』
坂本が、すぐ横を通ったエドガーの後姿を軽く睨むと同時に、机の上にメモ用紙が置かれているのに気が付いた。
何だろうと広げてみる。
この後、健人君と鳩の丘まで来てほしい。
エドガー
どうやらエドガーからのメモで、みんなの視線を五十嵐に向けさせて、その合間に坂本の机に置いたようだ。
ホームルームを終え、エドガーが女子生徒に囲まれながら教室から出て行くと、坂本はまだ不機嫌な様子の五十嵐を捉まえ、
「おい、これ見ろよ」とメモ用紙を渡す。
「……気に入らない」
五十嵐はメモ用紙を呼んでから坂本に返し、教室を後にする桜井を見つめる。
桜井はチラチラとこちらを気にしながら、そそくさと昇降口に向かった。
「とにかく鳩の丘に行くしかないだろう。さ、行こうか」
坂本は五十嵐の肩をポンと叩いて鞄を手に取り、二人は高台へと足を運んだ。




