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天鵞絨の吐息  作者: 空木白檀
第一章
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出会い

 タタンタタン……タタンタタン……


 メトロノームの振り子がリズムを刻むように、単調な音を奏でながら電車はスピードを落とした。耳障りな雑音に続き、間もなく駅に到着することを知らせるアナウンスが流れると、降車する者は忘れ物の無いように準備をし始める。


 スマホや冊子をしまう若者や、伸びをする者でざわざわしだすと、肩まで伸ばした艶のある髪が綺麗な女性が、読みかけの小説を閉じ、隣の席に目をやった。


 自分の左肩に頭を預けて気持ちよさそうに転寝している少年に、申し訳なさそうに、そっと声をかける。


「ねえ、きみ……。そろそろ駅に着きますよ……」


 少年は薄目を開けてボンヤリとしていたが、声をかけた女性にニコッと微笑み、そのまま、また目を閉じてしまった。


 困り顔の女性が少年の肩に手を置こうとしたときに、上からにゅっと手が伸びてきて、女性よりも先に少年の肩を掴んだ。


「桜井君、起きて。もうじき駅に着くよ」


 白い半袖のワイシャツから伸びる健康そうに日に焼けた少年の右腕が、目の覚めない少年の肩をゆさゆさと揺さぶる。


 すると彼は驚いたように黒目がちの目を開け、辺りをキョロキョロと見回し今の状況を理解すると、すっと立ち上がり、自分を見つめている女性に失礼を詫び、顔を真っ赤にしながら慌てて鞄を抱えて、開いたばかりのドアに向かった。


 彼に声をかけた少年も女性に軽くお辞儀をしてから、急いで後を追いかけた。


「……そんなに笑うなよ。笑いすぎ!」


 電車を降りて改札口に向かいながら、恥かしさを隠すようにむっとして、桜井は隣で笑いこけている五十嵐を軽く睨む。


「あははは。だって僕はずっと観察していたけど、きみは、あの女性に寄りかかってものすごーく爆睡していたよ」


 五十嵐は笑いながら少年を追い越し振り向くと、先ほどの女性も降車したのを目にした。


 二人はこの春高校一年生になった。


 上背があり骨太の五十嵐少年は、高校生らしからぬ体格をしていて、逆に桜井少年は小柄で痩せ気味であるため、並んで歩くと同学年には見られない。


 学校への道すがら、五十嵐はしきりに先ほどの女性について「綺麗な人だったな」とか、「知っている人?」とか訊いてきた。


「あのひと、桜井君と一緒に電車に乗ってきたけど、今まで見たことある? 知り合い?」


「いや、知らない。どんな顔していたかもわからない。僕は見てないから」


 桜井はさして興味も示さず財布を取りだして、駅の改札口近くで営業しているおにぎり屋に入って行った。




 この春、岩緑青(いわろくしょう)高校に入学すると、桜井大雅は如何にもスポーツが得意そうな五十嵐健人と同じクラスになった。


 桜井は何かと自分に絡んでくる五十嵐に戸惑いを感じているが、五十嵐は今日のように、お構いなしに声をかけてくる。


 桜井は、なぜ彼が自分に興味を持つのか理解できないでいる。


 昼食用のおにぎりを購入して店から出ると、先に行かずに自分を待っている五十嵐を見つけ、桜井は小さなため息をついた。


「相変わらず、お昼はお握りだけ? きみ、また痩せたんじゃないの? ちゃんと食べてる?」


 桜井が手にしている小さい包みを見て五十嵐が心配するが、彼は耳を貸すことなくサッサと歩きだしたので「待てよ」と不機嫌そうに後を追った。


 物陰でそんな二人の様子を伺っていた青年が、隣にいる先ほどの女性に話しかける。


「彼が例の少年ですね。うわさ通り良いものを持っているようだ。魅惑的な色だけれど、まだ色は薄いな……。しかし、よりにもよって何で彼なのだろう」


 切れ長の目が印象的な青年は、立ち姿が魅力的で、若い女性が彼の横を通るときには、上目づかいで一瞥して通り過ぎる。


「ええ、彼に間違いないわ。こればかりは運命なのよ。仕方ないわ」


 女性は整った顔に満足そうな笑みを浮かべて、少年二人の後姿を見送った。




 学校に着いて五十嵐が教室に入ると、待っていたように坂本が近寄ってきた。ピンときて、


「ああダメダメ、もう見せてやらないって言ったよね。自分でやらなきゃダメだ。いい加減にしろよ、坂本」


 五十嵐は鞄を机の上に無造作に置いて、手でばってんを作ってみせる。


「えー、お願い見せてよ。今日は当たりそうなんだ。今日だけでいいから、ね! ね!」


 坂本駿は幼馴染である。


 親の都合で小学校の卒業を待って引っ越しをするまで、家が隣同士で幼稚園と小学校も一緒に通っていた。


 高校で顔を合わせて驚いたが、話してみると三年間のブランクを感じることは無かった。


 坂本が手を合わせて頼み込む。


 彼は五十嵐と同じぐらい高身長で、ガタイもいい。


「唐揚げやるからお願い! ね!」


 彼はしつこく食らいつく。


「……仕方ないなあ。今日は特別だぞ。唐揚げは桜井君にもやっていいかな?」


 鞄から英語のノートを取り出し「はい」と坂本に渡してから、


「坂本の家は唐揚げ屋だから、すごく美味いよ。桜井君は痩せすぎだから、もっと肉食べないと大きくなれないぞ」


 桜井に向かってニヤリとする。


「僕はいいよ。いらない」


 ああ、本当に僕にかまわないでほしいと桜井は思うのだが、


「いいから、いいから。じゃあ、昼は三人で一緒に食べよう」


 そう言って「早く写さないと先生が来ちゃうぞ」と坂本をあおってから席に着いた。




 四時限目終了のチャイムと共に教室を抜け出そうとする桜井の前に、五十嵐が立ちはだかる。


「ちょっと待った、桜井君。おにぎりもってどこ行くのさ。一緒に食べようって言ったじゃないか。どこで食べる? 坂本ぉ、中庭でいいか? うん、オッケイ。さあ、桜井君行こうか」


 嫌がる桜井の腕を掴んでぐいぐいと引っ張っていく五十嵐を、坂本は怪訝そうに見つめ、それから首をすくめて二人の後を追いかけた。


 南棟と北棟の校舎は二か所の渡り廊下で繋がっていて、その中心にできた四角の空間に噴水があり、その周りを囲むようにベンチがいくつか置かれている。


 暑い時期には水が流れていて、涼を感じることができるが、今期はまだ噴水は出ていない。校庭に植えられているクチナシの良い香りが、ここ中庭まで風に乗って鼻をくすぐる。


 すでにベンチを陣取って昼食をとっていた二人組の女子生徒が、後から来た男子生徒三人をチラリと見てから、クスクス笑いながら話を続ける。


 この噴水前で恋を語り合ったり、待ち合わせをすると、そのカップルは別れるというジンクスがある。


 数年前に三組のカップルが名乗りを上げて、この言い伝えを検証することになった。


 一か月の間、三組のカップルはここで昼休みと放課後に待ち合わせをして過ごしたのだが、一組はその最中に喧嘩別れをしてしまい、残りの二組も半年もしないうちに別れる結果になった。


 その後、この噴水は『嘆きの泉』と呼ばれるようになり、カップルは恐れをなして決してここには近寄らなかった。


 さらにボーイフレンドやガールフレンドが欲しい生徒も、ここを嫌厭するようになり、滅多に訪れる生徒はいなくなり『呪われたベンチ』という不名誉な名前まで加わったのである。


「いつもここは空いているね。いい場所なのになあ。さあ、桜井君は真ん中にどうぞ」


 五十嵐が勧めるが、桜井は「僕はここでいい」とベンチの右端に、坂本は左端に座った。


「チャボの奴、やっぱり俺を当てた。そんな気がしたんだ。俺、あいつに目を付けられているみたい。ほんと今日は助かったわ。はい、約束の唐揚げ。いっぱいあるから食べて」


 坂本の二段重ねの弁当箱の一段は唐揚げで占めていて、五十嵐にその弁当箱ごと手渡す。


「うん、ありがとう。相変わらず半端ない量だねえ。さあ桜井君、ご馳走になろうよ」


 五十嵐が楊枝で刺して唐揚げを桜井に渡し、自分は指でつまんで口に放り込んだ。


「ああ、美味しい。きみの家の唐揚げは絶品だよ。僕は大好きだな。だけどさ坂本ぉ、チャボは担任だし睨まれると後々大変だよ。ちゃんと宿題は自分でやれよな」


 坂本が弁当箱を受け取り「うん、わかってるよ」と、ため息をつきながら箸で唐揚げをつまんだ。


 チャボと言うあだ名は歴代の先輩が命名し、その後ずっと後輩に引き継がれている。


 チャボという鳥を生徒たちは見たことがないが、ニワトリの一種であることは知っている。この英語の教師は原田と言い、小柄な男性で、ちまちましていて何となくせせこましい。


 チャボとは言いえて妙だと、彼らは好んで使わせてもらっている。


「桜井君、どう?」


 五十嵐がもっと食べるように促すと、


「ありがとう。とても美味しい。でも、もうお腹いっぱい。……僕、先生に話があるから先に行くね。坂本君、ご馳走様でした」


「え! もう行っちゃうの?」


 不満げな五十嵐を残して、桜井は「お先に」と行ってしまった。

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